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2006年11月30日 (木)

3日ぶり、復活の通勤自転車

今日は新たな風邪を発症してから4日目だが、お腹の小さな痛みと白い痰がある以外は何もない。

 仕事は嵐のように終わってしまった。それで明日休暇を当初より申請していたこともあって、すでに職場に3日間放置したままだったビアンキをもって帰るため、何とか自転車で帰ろうとユニホームに着替えた。

 今日は夜風が一段と冷たい。しかし5km以上走って、信号で止まっているとき、なんとも快適な気分になってきた。ただ白い痰はよく出る。それでもやはり僕はこの通勤スタイルが一番あっているのだと思う。 

 家に帰ってからはいつものようにビールを飲みたいところだが、まだ用心しておきたいと思い、鍋焼きうどんの銀皿入りのものを買ってきて ご飯を一膳食べただけでとめておいた。とにかく風邪を体から完全に追い払って、思いっきり走りたい。それが今の僕の目標だ。    

2006年11月29日 (水)

プレーリー物語続編2

 昨日書いた風邪の症状は、かなり改善した。ただ今日職場に行ってたくさんの人から「だいじょいうですか」と心配されるついでに「ノロウィルス」と違う?といわれた。そして体験者の症状を聞いて見ると下痢、高熱、お腹が張る、痛むというところまでまるで一緒だ。ただ吐き気はない。

 普通3日が症状の引かない期間らしいが、僕は今のところすぐにM医院へ駆け込んだこともあって1日半で完治に向かっている。おかげで2日間ビール、酒を飲んでいない。またM医院に行くのもだいぶなれてきた。

 さて、プレーリーの3回目の危機だが、それは昨年次男と友達3人で深夜にプレーリーで行って、夜中を過ごしたあと朝方尼崎に戻ってくる2号線での出来事。完全に居眠り運転で中央分離帯に右前部ボディを激突。怪我はなかったが、タイヤがボディにからみつき動かなくなった。なんとか近くの警察署の駐車場に車を移動し、次男は帰ってから、どうしていいかわからず寝ていたが、妻が気づき、すぐ修理屋に連絡。JAFを呼んで、そこまで運んでもらった。

 後日その修理屋「勝本モーター」から連絡が入り、修理するのは不可能ではないが、20万円ぐらいはかかるということだ。なにせ車体がゆがむぐらいの衝撃はあったらしい。 しかし昨年のアクシデントを乗り越え、すでに15年間の思い入れがある。

 ええい、断腸の思いで修理を頼んだ。結局部品を取り寄せてもらったり、車体のゆがみをおぎなう対策をとってもらったりして、なんとも以前と遜色のないものによみがえった。実際13万円ぐらいかかったかもしれない。

 そんなこんな小さいものも入れると、かなり自動車内部はよみがえっている。ヒーターの温度がなかなか上がらなかった冬場、急速暖房が可能になった。エンジンのアイドリング時の異常な振動もこれを機会に調整してもらって直った。

 それから廃車というよりもこの車には不思議な事件もある。それは今年はじめだったと思うが、これも次男が原因。大阪なんばに夜中にプレーレーで友達と出かけて、それも朝その車で帰ろうとすると車が消えてなくなった。すぐ警察に届けたが、これはいよいよ外国にでも売り飛ばされたかと諦めかけていた翌日警察から連絡で、駐車違反の調査中に心斎橋の道路上で見つけたとのこと。次男が見にいったが、なにも物色されたあともいじられたあともない。

 いったいどうして車を移動させたのか、なぜその車をほかしていったのかまったくわからない。不思議な事件だ。

 さて4回目の危機は今年5月の車検の費用。この車にとって10回目の車検だが、見逃せない箇所を合わせると費用で20万円になるとの報告。躊躇はしたが、ある程度結論は早く決断した。車検を頼んだのだ。

 ええい!こうなったらこの車にとことんのるぞ! なかばやけくそだが、16年の歳月は重い。琵琶湖を家族全員で自転車を積んで一周したこと。上九色村(オーム真理教の本拠)などをキャンプで旅行した。上高地、唯一露天風呂のあるキャンプ場「合掌の森」にはじめて大型木綿テントをもっていき、夜中に着いて 炊事場横に無理やりテントを立てたこと。そのころいつも車の屋根に特性ケース(自家製)を乗せ、移動していた。

 つまり家族の思い出が染み付いている。子どもたちはみんな20代になってその車を運転しているが、小学生のころからその車に乗り、父の運転を見てきたのだ。こんなケースもめずらしいと思う。いきた教材ではないかと自負している。とにかく今住んでいる家より古いんだから。

 インパネには今はやりのナビゲータもETCもない。ただ音楽はすきだから、3年ほど前カーステレオをCD、MD対応に買い替えた。

 ただ言い訳しておくと僕がこの車に乗る回数はびっくりするほど少ない。だから子どもがすべて海外に行った1年間の間と冬場、あまり乗らないので、バッテリーが切れそうになったこともある。まあ、琵琶湖に行くときと、ホームセンターで重たい荷物をもって開けるときぐらいだろう。だからとても大事に乗る。燃料はハイオクを入れているが、そんなに負担に感じない。一応環境に迷惑にならないよう配慮している

プレーリー物語はここで終了。16年あるとエピソードはマダマダ山ほどある。思いついたらまた書いていきたい。

     

2006年11月28日 (火)

プレーリー物語続編

 昨日突然の風邪がぶり返した。今度は種類が違っていて、お腹、特に胃が刺し込む。下痢もともなう。昨日の昼休み、食事に出たが、出てきたおかずを見て急に食欲がなくなる。別に料理が悪いわけではない。

 だが、残すには悪いので全部無理して食べたが、それがいけなかったのか、デスクに戻るとだんだんお腹が張ってきて、2回トイレに行った。夕方は倉庫の応援に行ったが、途中で目の前が真っ白になりかけた。これは20代のころ、正月あけの出勤で駅まで急いで走ったとき目がくらんだ体験以来だ。夜もよりのM医院に行ったが、窓口で貸してもらった   体温計で熱を測るとなんと38度以上。急に風邪を自覚してきた。

 今これを書いている28日午後7時30分ころはだいぶマシだが、まだ完治はしていないようだ。

 さて一昨日に続きでわがプレーリーにまつわる話をしよう。この車は、前回言ったように所有して16年以上になった。走行距離は160,000Km。しかし順調にここまできたのではなかった。3度ほど廃車寸前ということになるアクシデントがある。普通の人ならそこで新車に買い換えているだろう。

 最初のアクシデントは12年ほど前、そのころ親交のあつかったHさん家族とスキーにいくことになったが、Hさん家族と我が家の子どもたちは先に宿舎に行っていて、妻と僕は夜に遅れて出かけた。目的の兵庫県温泉町の宿舎(宿舎といってもHさんの友人のもっている工事現場の家という感じ)へ登る坂にさしかかったとき、雪がいくぶん道路に積もっていたが、「まあ、チェーンなしでいけるだろう」と安易に考え、そののぼりをすすんでいたとき、急に前輪が動かなくなった。つまり雪がタイヤの間にたまり、じゃまをした。

 車を降りて見たとき、坂をゆっくり後ろにすべりだした。動転していて、うしろから突っ張ってとめようとしたが、間に合わず、運転側のドアを開けたままどんどん下がりだし、がけにドアをぶつける形で停車。この先どれぐらいで宿舎にたどりつけるのだろうかとものすごい不安にかられた。しかもあたりは真っ暗。

 しかたがないので、歩いてその坂を登っていったが、そんなに遠くではなかったので助かった。しかし運転席側ドアは蝶番を無理やりゆがめてしまい、帰りはドアがきちんとしまらないまま、紐で固定して帰った。ただこれは、無事修理できたので助かった。

 2回目は3年前か。今はオーストラリアの大学にいる長男が家に帰ってきているとき、野菜の納品のアルバイトをしていて、プレーリーを使っていたのだが、急に車がガ、ガ、といって停車動かなくなったらしい。当時ディーラーの修理工場にずっとお願いしていたが、そこの判断では、オートマが壊れているので、それごと変えないといけない。2~30万円は費用がかかるといわれ、これは廃車するしかないかと、そのとき同じ形状に車のパンフを物色したりしていたが、「ちょっとまてよ、念のためもう一件修理工場にあたってみよう」と、電話帳で探していると、ニッサン専門の修理工場が目にとまった。あたってくだけろだと電話し、さっそく車をもって行った。

 ベテランの整備士の人がとにかく一緒に近辺を乗ってみましょうということで近くを運転してみたが、どうもおかしいという顔をしていて、最初は前の修理工場の判断を考えていたようだが、とりあえず車を預けて見てもらうと、リアタイヤのゴムが一箇所磨耗していて、それが原因にまちがいないということだった。ここに見てもらってよかった。あかげで3万円払うだけでなおった。その後はこの修理屋さんをずっとお付き合いしている。

 ディーラーの修理工場は若い整備士が多く、技術がおとるわけではないだろうが、新しい車の修理が多いので、うちの車のようなケースを経験する機会がないのだろう。それに営業がすぐ連携していてこんな時は、すぐ新車の話を間断なくもってくる。一度そこの営業の人に説教したことがある。新車を売ることばかりを考えているからだ。

 長男も以前免許を持ち初めて、「家のプレーリー早く買い換えたら」といっていたが、オーストラリアで住むようになって、いかに向こうが中古のそれも日本の自動車がいっぱい走っているかを目の当たりにして、カルチャーショックをうけて、それ以後新車のことは言わなくなった。残りの家族5人とも彼のところに旅行に行ったときも、ぼろぼろのうちの車より古い日本のクラウンだと思うが、それに乗っていた。向こうでは、ない部品は、現地で作ってしまうらしい。それもそんなに高くない値段で。

 さて3回目は、昨年だが、ちょっと疲れてきたので明日また書くことにする。それから思い出したが、4回目が今年あった。それもいっしょに書いてみよう。

2006年11月26日 (日)

わが愛車プレーリー

                                                       Photo_1   今日は本当は、流れ星少年団父母会で紅葉見学山歩きにいくはずだったが、雨で中止にしたため、書くことがなくなってしまった。ただ今日起きるのが8時前にまってしまい、集合の9時には、1時間しかないのであわてていただけに、結果的に助かった。

 そこで、今日はもう15年以上大事にのっている自家用車プレーリーについて書きたい。もともと自動車そのものに批判的な考えなので矛盾していることはあるが、自分の自動車とのつきあいについて反省もこめて報告してみたい。

 そもそもプレーリーを所有したのは、車を買い始めて、4台目だ。最初は独身でまだ仕事について間がない24歳ごろ。職場の友人が乗っていたニッサンダットサンを2万円で購入したのが、結婚するちょっとまえの失敗。というのは、購入してすぐ車検になり20万円ほど払ってしまったこと。それに当時すでにだいぶ古いタイプで、車の中からゴキブリが発見されるというしろもの。

 当然すぐ廃車にし、結婚してしばらくして買ったのが、ダイハツクオーレ(軽自動車)。当時は、駐車場所についての認識も薄く、車庫証明も要らないので、団地の道路にずっと止めていた。それでも子どもが4人生まれてもしばらく家族6人乗って旅行に出たことも多々ある。名神高速道路の吹田の登り坂で急にスピードが落ちるのをはっきりと覚えている。しかし、2男、3男の双子が生まれてから車通勤をしていたが、送り迎えをよくこの車でおこなった。今考えると貴重な思い出だ。そして長男が小学校に上がるころまで9年間乗り続けた。

 次に買ったのが、スバルドミンゴと言って、形は軽のワンボックスに近いが、排気量は1200ccで4輪駆動、7人乗りだ。これはこれなりに最初は満足していて、毎年年末に出かけていた岡山県蒜山国民休暇村までのルートで、トンネルを出ると雪だったというところが実際あって、その道路を走るとき4駆の性能が威力を発揮した。

 ところが、この車なぜか愛称が悪いのか、1年もたたないとき、駐車場にいれていたとき、盗難にあってしまった。警察に届けを出し、しばらくして六甲山の芦有道路で岩にぶつかった状態で発見された。三田警察から現場まで行き、最初一応警察の人もいてくれたが、JAFに連絡しているからとほったらかしにされ、夜暗くなる7時ごろ約1時間その場所でまっていた。ときおり事故かと思って通る自動車から降りてきて「だいじょうぶですか」と親切に聞いてくる人もいたのがせめてもの救いだった。後日談として、犯人は見つかったが、当時19歳で常習犯らしい。警察で情状酌量の依頼を受けたが、今考えるともう少し厳しく対応するべきだったと思う。

 というようなわけで、その車は廃車にし、保険では全損といって、保険料全部もらえなかったが、修理見積もりで100万円かかるということで、保険がおりることになった。そのお金をもらえるかという前に、尼崎の国道2号線ぞい朝日オートセンターという中古車販売の大型店に冷やかしがてら行った(ここは今も営業している)のだが、そこでピ、ピ、ときたのが、今のプレーリーだ。もう一台三菱シャリオだったかライバル車もあったが、断然こちらだと思った。一発で商談成立。そのときの対応の店員の人も印象がよかったのが決める要素になったかも。

 なにがよかったかというと、年式は5年落ちだが、今まで狭い自動車ばかりになれていたので、天井の高さに驚いた。頭ひとつあまっている。横幅も今感じるよりずっと広い印象だった。それから8人乗りという定員。うちは6人なので、まだ2人余裕がある。また運転席側がフラットで横に移動が簡単。リアドアはスライド式で、中央の柱がなく、ドアを前とあリアをあけると丸秋になる。この発想は最近のステーションワゴンでリバイバルしている。ハンドルとオートマチックのレバーもハンドル合体型で新鮮だった。

 契約を済ませ、そのまま運転して帰ったような記憶があるが、とても大きな車に思えた。そのまま結果的には15年乗り続けている。この車に絡むエピソードは明日に「つづき」としたい。こうご期待。

2006年11月25日 (土)

つかの間の午前休暇  

 午前は休みは8時半まで寝てしまった。起きてすぐ「芋たこなんきん」をじっくり見た。ドラマはますます油が乗ってきて、主人公と夫とも他人の子どもであろうと、大人であろうと問題があれば注意してしまうという話。ぼくも覚えがある。電車通勤で出かけるとき、駅まで歩いているとき、近くの小学校で、子どもたちが、大きな石を網の塀に向かって投げている。「こら、そんなことしたらあかんやろ!」と叫んでしまった。子どもは「すみません」と謝ってくれたが、ごく自然の言葉が飛び出してしまった。

 先日の交通事故の目撃者志願もそうだった。だから芋たこなんきんの今日の話は共感してしまう。また輪をかけてその夫のおとうさんというのが、ユニークな人で浮浪者がこまっていると、自分の息子の医院の金庫の金を勝手に持ち出して食事の援助をしたり、ただで医院で見てあげると勝手に言ったりして大騒ぎになったり。

 これは実際、原作の田辺聖子さんの義父がそうだったらしい。

 今に社会はとかく他人にかかわらないという風潮が都会にあるが、それにケイリンをならしているようで気持ちがよい。

 そのあと庭のニガウリの網の撤去をした。これも一つの季節の節目の作業だ。また来年のニガウリの成長を楽しみにしよう。

 午後からの仕事は会議と懇親会だが、懇親会のため移動した道頓堀は、人がいっぱい。やはり土曜日の午後はたくさんの人が繰り出す。

2006年11月24日 (金)

今週3日目の通勤自転車

 昨日夜スモークをしたまま忘れていたので、朝その入れ物を開けて見ると、ウインナーが燻製になっていた。

 今日は今週まだ3回目の自転車通勤。ちょっと寒さがましているようなので、上着のアンダーはかなり無厚いものにした。レーサータイツの下も厚めのタイツ。そのため行きの移動はかなり熱くなってきた。途中六甲から新大阪まで通勤しているロードの青年に「あはようございます」と挨拶された。ぼくのちょっと意地が悪いと後から思ったが、「おはよう」と答えただけで言葉をあと交わさなかった。ちょっと冷たいかなと思い次の信号で停止しとき、「どこまで」と聞いたりした。ただ彼もかなりペースは早く、常時時速35kmぐらいで走っているようで追いつかなかった。

 帰りはかなり寒く向かい風。ちょっと楽しいサイクリングにはならなかった。

 それから昨日先日の情熱大陸の別所選手の練習方法の中で、山岳コースを一番重いギアで登るということを言われていたので、昨日の帰り道途中から一番重たいギアにして走ってみた。

 やはりかなり途中から足が重い。しかしこれは結構いい練習になるかも知れない。これからはいろんなギアで走ってみるのもいいかもしれない。

2006年11月23日 (木)

休日の自転車通勤

 今日は勤労感謝の日だが、職場で「九条の会講演会」があるので、何で行くか考えたが、自転車で行くことにした。

 なぜ迷ったかというと、天気が悪く、雨が降る可能性があること、職場に午後1時に行かないといけないので、昼食を食べてすぐ出かけないといけないことがある。しかし、先週からだいぶ電車通勤が多く、通勤費を自腹で使っているため、それが影響した。

 でもやはり自転車通勤は走っている最中は楽しい。それに職場についてから体が気持ちがいい。そして今日のように休みの日が格段に自動車の数が少ない。ところが、西淀川区の歌島交差点に到達する出前から以上に車が動かないのでおかしいなと歌島交差点に向かうと、その近くで2台の車の接触事故の後警察が来ているが目に入った。いくら車の量が減っても、事故が起こるとテキメンに渋滞があこる。ドライバーも「しっかりせえよ」と思う。あまりにも日常茶飯事だ。

 さて今日の出勤の目的である講演会であるが、講師は小田実さん。1960年代から1970年「ベトナムに平和を市民連合」代表としてマスコミにも頻繁に登場していたので、僕はよく知っている。しかし今はもう70歳をとうにすぎた方で、講演台にたどり着くまでおぼつかない感じだが、話の内容はよかった。スケールの大きな人だなとおもった。

 日本国憲法を今後の世界的視野で捉えている。今アメリカは中間選挙の結果で大きな変わり目になっていること、そしてブッシュ政権であっても、方向転換せざるを得ず、武力で他国を抑える考えは変えざるを得なくなるということ、今までアメリカに擦り寄っていた日本の自公政権は、それでも現時点のアメリカに擦り寄ろうとするのか。

 ジョン・レノンと憲法9条がとなえる武力のない世界が来るかもしれない。なのに多数決で今の憲法を変えてしまって、戦争にさきばしったら、日本はアメリカさえさておいて、世界から孤立するかもしれない。それとも第二のヒトラーのような人を作って、それでも戦争を起こそうとするのか。日本の財界関係者に聞いてみたい。

 小田さんによると、自衛隊を自衛軍に変更して、他国と戦争すこと自体空論だと言っていた。それは、日本が穀物の自給率が40%を下回っていること。燃料の石油が自給できないこと。たちまち単独では、国の守れないということだ。ゆえに武力でなく、平和の話あいを追求することが第一という意見だ。僕もそう思う。もうこれ以上無駄な殺戮はやめてほしい。いったいそれぞれの家庭が築いてきた家族の平和を、他人が脅かす権利があるのか。国は文化も各家庭から作られると僕は思っている。

 一部の権力者と金持ちの人生を保つために一般のまじめに汗を流して、それでも全生涯の財産はそこそこの人たちがなぜ犠牲にならないといけないのか。小田さんは「小さな人たち(地を這う虫)」といっていたが、そこにこそ庶民の文化が形成されているのだ。

 戦争のない世界が本当に世界に達成されたら、世界は自転車のかべがなくなるだろう。どこへでも安全に自転車で移動できるだろう。そんな世界を夢みる。

 話は高尚なことになってしまったが、今日は家に帰ってきて誰も帰っていなかったが、オーストラリアの娘から電話がかかってきた。ナンバーディスプレイの表示で「ヒョウジケンガイ」と出るので、すぐわかる。明日に授業料がいるので、VIZAカードで出金してもいいかという内容だった。彼女は一人でホームスティ先でがんばっている。

 さて夜ごはんの用意は僕がするしかないが、今日は鍋にした。ご飯を炊く間、ピアノに向かう。今日朝NHKで吉田拓郎とかぐや姫の31年ぶりの嬬恋コンサートの番組があり、得に僕は吉田拓郎をよく思っていたわけではないが、そのころのフォークにほれ込んだ人たちの多いことと、今50代、60代になって今もそのころの感動を引きずって生きている人のなんと多いことか、またそれが子どもたちを刺激して、そのころを知らない人まで巻きこんでいることをその番組で感じ、僕も同じ世代として涙が出そうになった。

 Dsc00023_3 だからピアノに向かった。

思わず平井 堅の「思いがかさなるその前に」「瞳をとじて」、喜屋武惣吉さんの「花」を歌ってみた。気持ちよかった。

 

夕食はなべで水抱きだが、ついでに僕のすきなサザエを買ってきたDsc00024_2ので、七輪で焼いてみた。これまたうまい。今日はひさびさに夜ゆっくりできるので、ゆったりできた。

  

2006年11月22日 (水)

深夜会議は辛い

 昨日は午後9時からの会議に出席するため、5時を合図に一度自宅に帰ることにした。もちろん自転車での出勤であったため、自転車で帰った。

 昨日書き忘れたことが一つある。走るとまだ痰が出るなか、力八分目で走っていたが、尼崎の中央消防署付近を走行中、渋滞状態の路肩を走っていたのだが、一台の大型トラックが何を考えたのか、じわっと路肩をふさぐ形で左によって走ってくる。僕の進路をふさぐ形でこちらが徐行しているところをますます道をさえぎる。あわやトラックの後ろタイヤに接触かというぐらいのタイミングだった。

 思わず僕はフロントブレーキを思いっきり握り、前のめりになりかけて止まった。なにがないやらわからない行為だ。まったく初めての体験で抗議する前にあっけにとられてしまった。しかし知ってそういうことをするとしたら殺人行為だ。ナンバープレートを記憶しておくべきだった。こういった体験はまったく初めてだ。ドライバーは酔っていたのか、居眠りか、いやがらせか、とにかくおかしい人物にちがいない。事故にまきこまれなかったことを幸いと考えよう。

 夜は、家で風呂と食事を済ませ、わがプレーリーで職場に再度出かけた。夜8時を過ぎた道路はすいている。カーステレオはゴスペラーズの「LOVENOTES」。不協和音でまとめたコーラスが心地いい。しかしほどなく会議を終えて家に帰ったのは11時45分。妻はすでに寝ていた。そのあとこのブログを書いていて、本をちょっと読んで寝たのは午前1時半。ビールを2杯飲んでしまった。

 きょうは午後からの出勤。またよるの会議があるので、電車で出かけた。午後からの仕事は中途半端になってしまうが、それでもそれなりに仕事はあった。

 今ブログを書いているのは、NHK「その時歴史は動いた 真田一族・家康からの郷土防衛」が放映されている時間。今日はキリンの発泡酒「円熟」を飲みながらである。妻は東京の日比谷公会堂の保育集会参加のため、東京のビジネスホテルに泊まっている。ちなみにそのホテルは一昨日インターネットで僕が予約した。うまく行ったようで、ホテルの中もまあまあということらしい。

 ああ、やっと書けた。あとは筑紫哲也のNEWS23を見て寝る。

復活の自転車通勤

 一昨日からあの別府史之さんの情熱大陸に刺激された。サイクルスポーツ誌(八重洲出版発売)でも11月号で彼のページがあって、その兄がサイクルジャーナリストとして書いているので一度見ていただきたい(11月号17ページ)。

 あれだけ毎日プロとして練習に励んでいる選手でありながら、彼のブログもその雑誌で紹介されていて開けてみると、レースに出るたびに喜びを感じて、涙が出ることがあると書いていた。それは僕もよくわかる。3年ほど前、琵琶湖一周を一人で挑戦していて、マキノから安曇川付近まで走っている最中涙が出てきたことがある。ある意味感激しているのだが、生きていることへの喜びのような思いである。

 また琵琶湖は、この十数年間の中で、小学校4年生の次男、三男(双子)と3人で挑戦したり、家族全員で走ったり、思い出がいっぱい詰まっていて、そのことも思い出てしまう。

 今も毎回琵琶湖にきたとき、奇妙な骨董屋が湖西の途中にあるのだが、次男、三男と琵琶湖大橋ぞいの琵琶湖タワーをめざして走っているとき、そこで休憩した覚えがあり、そこの主人から「こんな小さい子をこんなさむいときに走らして」と言われたことばがいつもそこを通るたびに思い出す。そのときはそこから琵琶湖タワーまでなかなかつかず、時間も夜の8時に近づくし、当時この2人は、8時には眠くなるころで、本当に申し訳ないことをしたなという思いが今もある。それに3男は途中暗いので、ブロックにぶつかりなきべそをかいていた。でも父である僕には、あまり甘えることを言わない二人で、ユアサキャンプ場に着くまで本当につらかったなと思う。

 でも彼らに今話しを聞いてみると当時は楽しかったと言ってくれる。父親としてはいっぱい失敗していることがあり、かなり子供たちをそれにつれまわしたかもしれない。

 話はそれてしまったが、とにかくそんな感激する瞬間が自転車での遠出には体験する。

 そういった刺激で今日は自転車通勤が楽しかった。ウエアは上下長袖、長タイツで少しあついぐらいだったが、力を出しすぎず走ると、気持ちがいい。それにおととい、わがビアンキの変速機とチェーンとペダルを整備したせいもあり、ペダルは「カチッツ」という音で靴にはまるし、チェーンのすべりもいい。

 自転車って再発見するところがいっぱいだ。シンプルな乗り物だが奥が深い!

2006年11月20日 (月)

昨日の情熱大陸に感激

 昨日の夜、情熱大陸(尼崎4チャンネル)午後11時で、ロードレーサー、別府史之(べっぷふみゆき)くんが出演していた。彼は23歳という若さだが、日本でのレースではぶっちぎりの優勝を重ね、アメリカのディスカバリージャパンの選手としてヨーロッパで生活している。

 おどろいたのは彼は歩くことが不得意ということ。自転車では、圧倒的な力が出るのに、普段歩くことは、すぐしんどくなるということだ。以前もヨーロッパの有名選手も同じようなことを言っているのを聞いたことがあるが、やはりそうらしい。つまり自転車用の筋肉になっているということだろう。僕の場合はホビーサイクリニストだからそこまでいかない。先日も山に登ったがびくともしない。ただ山に登ると、他の人より圧倒的に足に疲れがこないかというとそうでもない。翌日痛さが出てくる。

 またマッサージの場面を写していたが、太ももは、本当にやらかい筋肉に見える。それは、わかるような気がする。筋肉を鍛えると硬く太くなるように思うが、瞬発力のためだけだとそうなるが、長期の運動に耐えれる筋肉というのはしなやかで太くない。その象徴的なことだろう。

 またイタリアの山岳地帯まで、一番重いギアで上りきり練習をしているところも写していたが、すごいなと思った。平地で自動車を風よけにしてすぐ後ろを付いて走ると、時速80kmも出るという。

 ぼくの場合は、帰り道、阪神尼崎付近から西を走るとき、時々バスに引っ付いて走るが、最高でも45kmしか出ない。ただし周りに何のなく独占的に走る条件とくらべると、前のバスが急停止することも想定して走らないといけない。ただし、何も周りに障害がないならば50kmは出ると思う。それだけロードバイクは車体が軽く、直進性能がある。

とにかくこんな選手が日本人でいるんだということでカルチャーショックである。数年後には彼がツールで走っているかもしれない。楽しみだ。

 もうこうなったら僕も明日から自転車通勤をさらに気分だけでもグレードアップして走らないといけない。だって、まだまだ上がいるんだと再認識した。ただ年齢を考えると別府くんとは30年も違う。

 でもこうなったらシニア50歳代の同年齢のレースで優勝をめざすしかない。と夢を突然抱いた万年青年の自分である。

2006年11月19日 (日)

雨の1日、2男の自転車でビラ配り

 風邪の回復をなお祈りつつ、今日は予定はないが、スーパー銭湯に行くのは自粛した。庭を眺め、地植えのカリンの木に実った実がなんとも大きくなっているのがうれしい。そして1時間英語の勉強をじっくりおこなった。これもひさしぶりだ。多くの単語を覚えるのを重点に英文をピックアップしている。

 妻も昨日から風邪らしい。 なんとなくついていたテレビを見ていると、東京女子マラソンが放映されるところだった。高橋尚子と土佐礼子の争いといわれたが、30km時点でまだいっしょなら高橋がギアチェンジが得意で、有利と下馬評であったが人間は機械ではないのだから、そううまくいくはずはない。ぼくが見ているかぎりついていっているのが精一杯というふうにも見えた。

 というのは、自転車ロードレースなら、2人で逃げる場合、相手がライバルでもある程度先頭交代をして力をわけあうのが常識だが、高橋はずっと土佐の後ろにひっついたままなので、ちょっと卑怯じゃないかとも思っていた。しかし実際は、ついていくのに死力を尽くしていたのだろう。それに非常な寒さもある。ただもうひとり注目したいのは、その後を走っていた尾崎選手。資生堂社員で、9時から午後2時まではきっちり勤務しながら、練習している24歳。2回目のマラソンで10分以上を自己記録を更新した。走りもきれいで安定している。

 レース放映が終わって、雨の中を山歩きのチラシを配れていない家に配布しに行った。来週日曜日、地域少年団父母会の企画、ぼくがいつもガイドだ。 乗っていくのは、久しぶりに2男のパナソニック折りたたみ7段変速で出かけた。タイヤはマウンテンバイク風なので、デコボコの吸収がよい。ただ、配るところについて自転車から降りて立てかけようとするとどうもスタンドのすわりが悪い。これはクランクのした両足方式だが、それを固定しているボルトが緩んでいたのを発見した。

 家に帰ってさっそくボルトをしめて直す。ついでに庭においているマイビアンキに目をやるとチェーンが一部さびていた。昨日雨の中を帰り走ったせいだが、これはちょっと恥ずかしい。後ろ側の変速機の送りギアのドロを掃除し、チェーンに油を差した。またついでに妻のマウンテンのブレーキ調整も。これはだいぶブレーキワイヤーが緩んでいた。

 自慢ではないが、うちの家には、自転車がえーと、1台、2台・・・。合計9台ある。すべて僕が整備しているので、ときどきそれぞれに乗ってみないと不備がわからないことが多い。

 ああ、それからこれを書いているのは、今午後10時半ごろだが、11時から情熱大陸という番組でヨーロッパで活躍しているロードレーサーの別所さんを放映するので、これでブログは終了としたい。

 それからわが尼崎市の市長選挙があって、応援していた白井 文(しらい あや)さんが再選された。政党の色分けでは、数が合わないが、広い支持があったのだろう。白井さんが当選となった。うれしいかぎりだ。

2006年11月18日 (土)

今週やっと2回目の自転車通勤クリア

 後ろ向きの記事が続いたが、今日は風邪の悪化を恐れず、とりあえず午後からの会議だけの出勤だが、わがビアンキで出発した。この間書き忘れたが、最近淀川大橋をわたるとき、下りの路肩付近で車の頻繁な通行でできたアスファルトの山にいつもこまっていたが、削ってきれいになっていた。これは誰がきずいて補修したのかわからないが、自分が頻繁に通るところで膨らんだところは、スピードを出しているととても危険なので、助かっている。

 しかし、毎日乗っていないと怖さが倍増するもので、帰りとくに夕方暗くなるのが早いし、なぜか雨が降っている条件で、一番危険ではあったが、「怖いな」と思った。げんに西淀川の左門川を渡る手前の信号で、対向右折の車を2台やりすごして渡ろうとすると、明らかに危険な状態でとまらず、まがってこようとした車に遭遇。

 思わず左に交わし、「あぶない!ぶつかる気か!」と大声で相手をにらみ、ちょっと徐行した状態だった。まっすぐ進んでいたら本当にぶつかっていたかもしれない。「自転車だと思ってなめているのか」と腹が立つやら、恐怖を感じるやらである。

 ああいう状態の場合同じ方向に走る自動車がいないから、そういうことになるのだが、もっとも慎重になろうとすると、交差点手前で、全部右折するまで停止している以外にない。

 しかし、自転車といっても車両だし、あきらかに直進優先ではないか。ただぶつかってしまっては、いくらこちらが筋を通したところで、怪我するか、命まで失いかねない。みんながみんなそんな運転手ではないが、本当に怖い場合がある。

 また逆に自転車の側も僕は信号が赤で停止線で正しくとまっていて、その先頭で停止している車と僕の間を猛スピードで交差点に入っていく自転車があるではないか。本当に信じられない好意だ。交通法規をなめている。

 さて文句はこの辺にして、とにかく風邪のぶり返しを恐れず自転車で出たが、今これを書いている夜の状況を見ると、改善の方向に向かっているようだ。

 それと話は変わって、庭のみかんが色づいてきたので、シャッターを押した。Dsc00014_1

桃栗3年、柿8年ということわざがあるように、うちのみかんも地植えで10年ぐらいになるのだが、去年1つ始めて何とか実になったような木で、今年もそんなに期待していなかったが、3ついまのところ育っている。そのうちのひとつがこの写真だ。

それから、先日ロッグハウスにいったときベランダの端に育っていた渋柿をいっぱいもぎってきて、家で干し柿にしている。Dsc00017

それがこの写真。まるで田舎の農家を写しているように思えませんか。

それから今日朝、洗濯物を干していると、庭のすももの木に羽が黒でおなかが白い一羽の鳥がキッキー、だったかどうか泣き声は表現できないが、とまりにきた。何か口にミミズか毛虫のようなものをくわえていた。思わず息を殺し、体は停止状態にしていたら、数分その木の枝を飛び回っては、口にくわえたえさを枝においたりしていた。

 あとで、甲山のパンフに鳥の種類のことを書いているのをトイレに張っているのだが、それを見るとシジュウカラかエナガという鳥に似ている。ちょっとそのすももの木に小鳥の巣箱でも置いてみようかという気になる。

 秋はいよいよ晩秋に向かいつつあることをその光景から感じている。

2006年11月17日 (金)

セキ、痰はきれず、仕事は超加重

 今日も大事をとって、電車通勤。費用もかなりかかってしまっている。2週間電車で通うと、いよいよ嫌気が出てくる。

 しかし、痰がなかなかなくならない。これだけ長い風邪の影響は人生で初めてかもしれない。おまけに今日は、部下の方からちょっと辛い訴えがあったり、同じ部署の女性が入院することになったり、また来週から改革というか体制をかなり画期的に変えるので、そのまとめ役の役割、職員全体のミーティングの実施とレジュメの準備など超多忙な一日になってしまった。

 しかしへこたれてもしかたがないというか、「なるようになるだろう」とくよくよ考えないことに起動修正した考えかたになってきた。

 いよいよある程度のところで自転車通勤を再開しないといけないという思いがあり、明日も昼からの出勤だが、自転車で行くことを考えている。まあとにかく仕事は明日もあるが、やっと土曜日だ。気分的にはいい。また一応今日山場を越えた感があり、仕事的に希望はある。

 たださすがに帰り道は疲れていて、もろにその疲れが自覚できる。電車に乗っていても寝てしまいそうだ。帰り食事当番なので駅についた時間は、7時半を過ぎていたが、定番カレーを作るために、コープ神戸立花店におもに肉を買いに入った。

 おかげで食事は午後9時ということに。今日はゆっくり寝るぞ!

2006年11月16日 (木)

地球一周まで足踏み状態

 地球一周まで後一歩!という記事を書いたのが、いけなかったのか、11月15日がゴールの日と決めていたが、ゴール直前風邪を引きまくり、そかも長引いてしまった。シュミレーション6日以降、先週は一度を自転車にのっていない。そして今週も月曜日になんとか乗ったきり、また痰とせきがぶりかえし昨日、今日と電車通勤である。

 したがって、ゴールは11月末ということにしたい。

 昨日は、躊躇せず家に帰ってから近くのM医院に急いだ。今度は息子先生に見てまらった。若いが愛想のいい先生だ。気になっていたこととして、「ストレスで痰が長引くことはあるんですか」と質問してみたが、「そんなことはありません」の専門家の助言をもらい、安心した。

 しかし今日の電車通勤でいいことがあった。それは帰りの電車の中。JR大阪駅から西明石行きに乗り、なんとか座ることができたので、今読書中の「売られ続ける日本、買い漁るアメリカ」をあと数ページというところで、それに集中していたが、2つ目の駅で杖をついた60代と思われる男性が乗車してきたのに目が行き、躊躇せず、自分が立って、一番近い場所にいたわけではないが、「席をゆずらないと」と思い、その方に近づき「どうぞ」と声をかけた。最初もう一人のつきそいの人と僕の対応がよくわからなかったようだったが、すぐ気づき、席に座ってもらった。

 たまたま次の駅で降りるタイミングだったが、そんなことはなにも気づかず、自然に反応できたことが、自分としてうれしかった。その人に良いことをして満足というよりも、自分が自然にそういうことができることに自分なりに満足して、うれしくなった。

 ちょうど今職場では、いろんな課題が山積していて、重量オーバーで抱えきれないと苦しい思いをしていただけに、気がスゥーと軽くなった。これは自己満足かもしれない。でも電車通勤でもドラマがあるかもしれないと、いつもは電車通勤のこみあい、先を争うように歩く人たち、肩があたっても何もいわずに行ってしまう人を見たりしてきたので、自転車通勤にまさるものはないと自負していたが、ものは考えようだなと思う。何事を前向きに思考すれば楽しいことがいっぱいあるのかもしれない。

 しかし逆に今日、朝駅まで歩いている間15分はかかるが、自転車にぶつかりそうに思った場面が3回あった。一回は無理やり僕の直進の前を強引にすり抜け左折した自転車。もうひとつは、向かってくる自転車だが、こちらにぶつかる進路で走ってくる。前が見えていないのか、運転がへたなのか。

 歩行者に取っては自転車も危険な乗り物だということを感じた。僕の場合は自転車乗車中、歩道や、歩道のない道ではぜったいスピードをこれでもかというぐらい落とす。これはひとつの運転技術の問題もあるが、まわりへの配慮の問題もある。自分の状況がわかっていないのではないかと思える人が結構いる。これはどうしたらいいのだろう。

 やはり自転車乗車中の人は歩行者には危険な乗り物だということを自覚し、クルマから見ると危険にさらされているといういことをよく自覚するべきだろう。これは啓蒙と模範運転を見せる以外ない。僕は「あの人は気持ちがいいぐらい交通法規を守り、モラルを守っている」と思われるよう自覚して運転していこう。それしか自分のできることは残っていない。

2006年11月14日 (火)

一週間ぶりの通勤自転車

 昨日は休みを取ったので今週は今日が初出勤。体はまずまず回復と考えて、自転車で出かけることにした。ただ、一週間走っていないので、その間どんどん気温が下がってきているが、どんな格好でいくか考えたが、ちょっと厚めの服でいくことにした。

 下半身は、タイツ(実は女性用)の上にレーサーロングタイツをはき、靴下は厚め。上半身は、半そで厚めアンダーの上に長袖のレーサーウエアを着て、その上に軽めのコットンの上着。手袋はいよいい指だし用ではなく、指もかくれる冬タイプ。

 道路表示温度は、2箇所とも14℃。2週間前と2℃ちがうだけだが、やはり寒い。ひさしぶりの乗車で、いまいち違和感とバランスの悪さを感じる。また足が回らない。自然に回転させるだけで普通は30kmがすぐ出ていたが、28kmどまり。ただ後半になるにしたがって、スピードを出さないといけないところがあり、自然36kmは出ていた。

 帰りはあいにく雨。大阪市内ではだんだん雨が強そうになってくる。昼がら痰が増えてきて、だんだんしんどくなってきて、帰りの自転車は痰を出しまくり、セキしまくり。家にかえって、近くのM医院に急いだが、あいにく火曜日は夜休診日。がっくりだが、今これを打っているころは、だいぶ収まっている。

 しかしなかなkなおらないものだ。でも自転車はいい!やはりやめられない。

2006年11月13日 (月)

ひさしぶりの山歩き

 今日は休日出勤の代休を取っていたので、連休3日目になったが、少年団父母会で26日に計画している山歩きの下見に行くことにした。ようやく風邪も回復の兆しなので気持ちよく行けた。それに今回はもみじ探訪で、昨年実施した場所と同じところを目指すのだが、昨日地図とにらめっこしていて思い出したが、六甲の地図3種類の中で、一番信頼度の少ない地図に、神戸西側をアップした部分があり、そこに他の地図にはない鵯越から鈴蘭台に行けるいと思われるコースが書いてあるのが気になっていて、ぜひ行ってみようと好奇心が沸いてきたのだ。

 本番は、鈴蘭台駅から南向きに歩くのだが、今日は、逆コースで道の導入部を見つめようと思った。Dsc00011_2

鵯越駅から出発する。ただここは神戸電鉄でちょっと無視される駅であり、ほとんど新開地駅から出発するが準急でとばされる駅だ。だから、普通電車の便がすくない。手前の駅長田でおろされ、だいぶ待たされた。

やっと鵯越におり、いざ出発。烏原貯水地(もみじがみごと)へ行く手前で、北に入る道があるはず。

 見つめた!しかしほとんど烏原貯水地についたところにのぼり口がある。今回電車の中で最新ビーパルを読んでいたのだが、遭難の話ばかり載せていたので、ちょっと不安になった。熊はでないだろうか。滑落したらどうしよう。また自殺者を目撃しないだろうか。いろいろ不安になる。なにせ一人歩きだがら。そして携帯電話をない。

 道は最初登りの連続。しかし今日はあまり疲れない。ちょっとハアハアするぐらいだ。午前10時30分に出発して、予定は12時に鈴蘭台に着く予定だが、なにせ時計を持っていないので、感で時間を予測する。Dsc00012_2

途中東に菊水山山頂が見えた。去年はその山頂を通って南に下りたが、急坂が続くため、中高年にはちょっと不安な道だ。

しかし今日の道は東イヤダ尾根という尾根道に入ると、とても気持ちのいいシングル道になる。そしてやたら現在地を示す看板が出てくる。ほとんど平地歩きになるが、どんどん進むと新興団地らしいところが見えてきて、最後は山道が急にとぎれて団地の中に入ってしまった。ここでスナップ。しかしデジカメの充電をおこたっていたため、電池はあと少し。Dsc00013_1

 最後の電気を振り絞って写す。ここから団地ばかりの中を神戸の地図を見ながら鈴蘭台駅を探す。ここは下り続き。ということは本番は登り続きということになるのでちょっと不安。団地に入って20分ぐらい歩いたか。やっと鈴蘭台駅に到着。12時15分になっていた。

ここからもう一度鵯越に戻り、烏原貯水地にて昼食にし、目当ての湊川温泉に行く。烏原でのもみじは、まだ紅葉していない。あと2週間先が本番だ。よしよしちょうどいいぞ!

 ここで最悪と思ったのは静かにこの貯水池入り口で昼食にしようと思っていたら、幼稚園児集団の声。ありゃーこれはまずい。それで落ち着く予定だった川原をあきらめ、静かなところを探した。ちょうど100m先にトイレもあり、常設の木の机、いすがあった。ここでカセットコンロを出し、お湯を沸かす。しかしきょうはなぜかついていない。コンロの火のいきおいが弱い。かぜが吹くと赤い炎がゆらゆらしている。やはりもっていく機材の点検は十分する必要がありますよ。

 なんとか湯は沸いて、カップラーメンにそそぐ。それからコーヒーの用意。ところがこのコーヒーは粉末で紙コップとセットになっているヤツだが、かなり古いもので、封を切ると真っ黒で石のよう。まあいいだろうと湯をそそいだが、とても飲めるものではない。ここでもしくじった。今日は運が悪い。

 ただ、この貯水地は気持ちいい。空はおだやかな綿雲が浮かび、天気は快晴。貯水池のまわりの木々はやや紅葉に近づいていてきれいだ。ダムのそばの水が豊富なところは、渡り鳥がたくさん浮かんでいる。落ち着いた気持ちになった。

 そして30分歩いて湊川温泉へ。ここはかけ流しそのもの。飲料の設備もある。そして古くからある温泉だ。ほどなく湯であたたまり、平野交差点で神戸市バスに乗り、三宮から阪急に乗り家路に着いた。

2006年11月12日 (日)

またまたインターネット故障

 先日のインターネット故障に続いて原因はいまだわからないが、昨日夜突然つながらなくなっていた。その後その夜いっぱいと、今日日曜日朝から夕方6時まで悪戦苦闘の末、グーグルの初期画面に突然つながる瞬間を体験。このときのうれしさはものすごいものがある。

 どうも原因は、モデムとパソコンを無線ランでつなげているが、プロトコルという部分の設定がどうもおかしくなっていたようなのだ。無線ランのCD-ROMを何回も何回も修復やなにやらを選んでやり続け、最後は一度もとの選定を削除し、ローカル接続を無効にするとつながった。この間食事以外、パソコンの前にすわりっぱなし。

 さて、昨日と今日のことだが、今日はそういったことでパソコンの前に8時間ぐらいすわりつめただそれだけだ。

 昨日は、夫婦で午後12:12分開始の映画「ただ、君を愛してる」を見に行った。なにせ夫婦割引でどちらか50才以上を証明するものがあれば、夫婦二人で2000円という安さ。これが普及してから、僕は一人で映画館に行ったことがない。

 映画館は、阪急電車次の駅「塚口」近くのサンサン劇場。4本をいつも上映しているが、今回はなぜか、一番小さな上映室で、30人ぐらいしか入れないところ。しかしここも最近全席指定にしているようで、券を買うとき「どちらを選ばれますか」と聞かれた。また室内で食事持込は禁止なようだが、近くのダイエーで寿司を買って入った。当然中で食べた。

 映画は、市川拓司原作で、最初の作品「いま、会いに行きます」を本とそのあと映画で見て、非常に感動しただけに、今回もぜひ見ようと思っていた。主演は、あの純情きらりのヒロイン宮崎あおい。それに今売り出しの玉木 宏。期待にたがわず内容は、ちょっと変わった青年男女一組が叙情に愛し合うようになっていき、その男女の愛のあるべきすがた、命がなくなることがわかっていても、相手を愛することの幸せを自覚する女性の姿と、その彼氏のひたむきさが描かれている。

 映画の後、次男がアルバイト通勤時、乗っていく自転車が、駅前で放置自転車対策でもっていかれて、すでに10日たっていたので、それを取りに行った。そのため、映画を見に行くときから、ちょっと贅沢だが、愛車「プレーリー」で出かけた。ところで、映画館にいくため、駅前「サンサンタウン」の地下駐車場に入ったとき、係員の人が二人ともとても親切なのが印象的だった。ある意味ちょっと寂れた建物で、駐車場に入ってくる車も少ないので、仕事に余裕があるのだと思う。でも親切にしてもらうと気持ちがいい。

 放置自転車の引き取りには2500円かかるが、これも仕方がない。もうかれこれ4回目だ。それから話は前後するが、映画が終わって、自転車預かり場所の営業開始時間まで40分ほどあり、そのまま行ってもまたないといけないので、途中、上坂部公園といって、かなり多種類の樹木を植えていて、温室もある公園に寄り道した。ラッキーだと思ったのは、ちょうど天気が悪く、雨もちらついているので、その公園の駐車場はがら空き。公園内も雨の濡れてしっとりとした感じがとてもよく、人もほとんど来ていない。ちょっと夫婦で手をつないだりして歩いた。温室には南国の木、パパイヤやマンゴー、バナナなどがある。

 ほどなくそこも立ち去り、自転車を引き取って家に帰ると午後4時ごろ、夕方までうとうとした。なにもしない幸せといった時間がながれた。

 夜は、今問題になっている「教育基本法改正」についての学習会を尼崎の少年団の主催でおこなわれるので参加した。よる歩いて駅前の会場まで行ったが、今年秋以後はじめて経験する寒さ。おまけに突風。北海道の竜巻がふと頭に浮かんだ。

 会場は、30人ぐらい大人から中学生まで埋め尽くしたが、講師のI 先生(女性)の話が気さくで、自分のことを「おばさん」とよんでいたが、職場の小学校での子どもたちの行動を本当に毎日新鮮に受け止められている姿が印象的で、こんな先生にあたったクラスの子は安心だがと正直思った。

 その話の中で今の教師をされている人は本当に管理の中で悪戦苦闘と苦労をしているということで、自分たちの学校にいじめがあるなど、たとえ現実にその事実があっても教師どうし口に出せないらしい。子どもたちも小学校高学年になるほどストレスをもっている子が多く、6年生は30%ぐらいそうらしい。実際この5年間、文部科学省は、いじめは一件をなかったと発表しているが現実は、それが報告できない環境になっているらしい。その上に、教育基本法のめざすいい面、つまり教育を受ける子どもたちと親の意見を聞き、その立場で、教育を進めていくことだが、その法律が改正されると、その中身は、ますます一定のマニュアルの元に文部科学省と教育委員会の顔色を見ながら、教育をすすめていかないといけない。

 また今世界で15歳の子どもの学力を比べるとフィンランドが世界一で、その教育の中身が注目されているが、もっとも自由な雰囲気と一人ひとりの個性を大事にしていると聞くが、その違いも話されていた。

 また憲法改定とこの教育基本法は結びついていて、現に今も東京では、日の丸、君が代の強制がおこなわれているが、なにかきな臭い方向と結びついているようだ。

 九条の会の講演会で聞いたところによるとアメリカでは、高校で実際教育基本法のようなものが5年くらい前に改定されたのだが、その目的はほかでもなく、通っている高校生すべての連絡先を報告することが明記され、その本質は、その後イラク戦争のとき、実際に20ぐらいになった当時の高校生が、とくにまずしい地域で、学費の援助を引き換えに戦場にとられているということがあるらしい。

 ぼくたちはマスコミが毎日流す報道だけを無批判に聞き流すだけでは、今危険な状況にきているではないかと強く思う。裏情報もいっぱいある。インターネットやブログはそれからはみ出せる情報源を流せられる手段だろう。しかしより悪質なものもある。一人ひとりがしっかりしていかないといけないということか。

 昨日書けなかった反動でどんどん書いてしまった。でも最近自転車に関することがかけない。来週は、いよいよ自転車通勤を再開するぞ!

2006年11月10日 (金)

今週すべて電車通勤で通す

 結局今日も電車通勤にした。自分にとってはこれは記録的なことだ。ただ着替えをする必要がないので、楽な面をある。いままでたまたま電車通勤にした日に限って、人身事故で電車が遅れる確立が高かったが、今週は、遅れた日は2日あるが、うまくながれに乗れたので、職場に遅れることはなかった。

 メリットとしては、5日間生き帰りに読書をすることができたこと。車内の様子を眺めていると、やはり携帯電話でインターネットかメールをしている人が増えたなと思う。ぼくが電車通勤をしていた5年前ぐらい前は、車内でも携帯電話による通話が回りに迷惑になっていたことを思い出すが、今はメールが普及しているので、うるさい声はない。

 ただ今日帰りの電車は、大阪の環状線「玉造」から乗車したが、入ってきた電車は特急と同じような前向きの椅子なので、開いている席の窓側に腰掛けたが、次の駅で、比較的若い女性が横に座った。いやがられていない対象と思うとうれしいが、ちょっとどきっとする面もある。ぼくは読書をしているので、別段気まずきことはないが、彼女はしきりに携帯の着信を見て、携帯をバックから出し、それも音声で応答していた。「今電車に乗っているところ」「なにか食べたの」と、つまり夫からの電話であろう。しかし、電車で通話で応答しているのはめずらしかったので、ちょっと読書に身がはいらない。

 さて今日紹介したいのは、ぼくが常連になっている喫茶店「キャビン」。Dsc00010_3

マスターは以前は、大阪府内に20店舗ほどしきっていたオーナーだったが、さすがに人間関係や、人の管理で疲れ、結局今の四ツ橋線なんばの店だけを残し、今に至っている。ぼくのはじめて入ったとき、たしか15年ほど前だと思うが、当時も350円で、ちょっと高級な喫茶店だなと思い、そんなにかよわなかったが、仕事が内勤におさまった5年ほど前から毎日昼休み通っている。おかげで、マスターと奥さんも顔なじみになり、よく夕方、職場のグループの会議で奥のボックス室を貸してもらう。Dsc00008 マスターは今日を写真をとらせてもらったとき、キャビンのイメージキャラクターのポパイを横において「これに似てるやろ」と自慢そうに笑っている。ああ、それでポパイかと思った。

何が気に入っているかというと、喫茶店自体が、地上から1階分降りていく感じで、結局そばの川に面している。つまり船の中にいる感じ。だから店の名前も「キャビン」と言い、すべての窓は船と同じ円形の器具。室内も船の中にいるようで、船の模型や、本物の鯨用やりや、舵もある。Dsc00006_5

ぼくはこういったものがすきだ。もう5年以上毎日通っているが、有線のジャズを聴きながら、落ち着くし、あきない。マスターにコーヒーの製法を聞いてみたことがあるが、ぼくは、ブルーマウンテン一種類の豆と思いでいたのが、思い込みで、10種類以上ブレンドしているとのこと。さすがにプロだ。

 娘さんが二人いて、長女は、東京でダンスを職業にしていて、以前武富士のコマーシャルの集団でのオドリの一人だったそうだ。最近喫茶店で偶然会ったが、30歳過ぎにしては、もっと若い感じで、コートを着ていたが、スマートな体だ。さすがだなと思った。

 この喫茶店は、四ツ橋筋沿いで道頓堀川の交差点北東の角、向かいに三井住友銀行道頓堀店(ATMのみ)の向かいにある。

2006年11月 9日 (木)

4日目の電車通勤

今日で5日自転車に乗っていない。そろそろ電車通勤もあきてきた。風邪もだいぶなおっていたように思うがときおり、発作のように痰がたまってせきが出る。

 しかし、北海道の竜巻被害は地球温暖化の兆候かと思うと、恐ろしくなる。9人の人たちはまった予期しないできごとだけに無念であったと思う。報道ではどの人も「いい人、やさしい人と」という。ヒイキ目のあると思うが、自然災害は誰をうらんでいいのか、むなしい限りだ。

 ところで、JRの駅を降りて家にむかう途中、走る自転車のライト点滅率はいつになく多かったのでうれしくなった。しかし昨日も書いたが、一般車のライトをダイナモから電池式にするときっとライトをつける人は増えるはずだ。

 明日は夜会議があるが、翌日正真正銘の休みなので、帰りにスーパー銭湯にいこうとおもう。それを考えると夜の会議も辛くない。よし明日は自転車で通勤に決定!

 

2006年11月 8日 (水)

なかなかしぶとい風邪

Dsc00004_3 今日も電車で通勤した。徐所にせきと痰はちいさくなってきているが、完全に消滅しない。今週は仕事もかなり落ち着いてきて、疲労はないが、なぜか体はもう一歩である。

 ところで今テレビで報道ステーションが放映されているが、アメリカの中間選挙下院の結果が報告されている。共和党202議席にたいして民主党232議席、その中で民主党の候補に中には、イラク戦争を軍人として体験した人がいたりする。国民の流れは、「テロとの戦い」から2800人の米兵が戦死する中で、この戦争はいったい何のためだったんだろうという疑問と、ブッシュへの支持離れが進んでいきそうだ。

 どちらにしてもこれ以上、戦争での双方の死亡者を増やしてほしくない。日本の安部政権もアメリカ一辺倒のすりよりはやめるべきだ。なんのための憲法の改正、いや九条の平和条項の改悪かが見えてくる。

 Dsc00002_6 話は政治的になったが、今読んでいる本「売られ続ける日本、買い漁るアメリカ」(本山美彦京都大学大学院教授著)を読んでいると、ここまでアメリカは日本を食い物にしているのかということに腹が立ってくる。医療も教育も福祉も、郵政民営化もみんなアメリカ資本が自由に日本の株を買えるように法律を変えてきた結果ということらしい。

 それから、このブログで載せている写真がどうもボケで写るので申し訳ないが、どうもカメラの設定でWEB用にしていなかったことが原因らしい。明日からいい写真の掲載を試みたいと思う。

2006年11月 7日 (火)

風邪の回復は当面の目標

 昨日は、2週間以上こじれている風邪をなおそうと、仕事は5時に切り上げて、自宅に近いM医院に急いで行った。医院の前は自転車が4台ぐらい止めている。月曜日だけに患者が多いだろうとあきらめたが、窓口で診察券と健康保険証を渡し、順番を待っていた。

 ほどなく診察室によばれ、お父さん先生に見てもらったが、喉と胸の呼吸だけを見ただけで、自分の症状説明で、おもにセキと痰の薬を処方してくれた。こちらは院内処方なので、窓口で薬を出してくれる。本人も3割負担なのだが、1500円ぐらいですんだ。

 薬はトランサミン250mg、ダーゼン10mg、フスコデ、ビソルボン混合シロップ。職場の薬剤師に聞くともっとも妥当な処方だろうという。

 その夜効き目が出たようで、2日間夜中に目が覚めるほどせきが突然出たが、ぐっすり寝れた。ただ今これを書いている本日もまだすっきりはしていない。

 とにかく今はこのセキを直すことのみ。ただ医者にいくとなんとなく症状を認定してもらえるので安心できる。

 さて今日は急に気温が下がり、朝から夜まで寒いが、昨日、今日とぼく自身は、風邪完治を優先させて、自転車での通勤を取りやめた。こんなときは人ごみのイライラも「今日はこれしかない」と変に納得しているせいで定着している感じだ。

 おかげで、今日は帰りにJR大阪駅まえのギャレの中の「モンベル」店に立ち寄った。ここはずっと通勤でよく会っていたT君が9月から転勤で会えなくなったのでで、一度きてくださいと言われていた。それと地域山のぼりでよく使う湯を沸かすための中型コッヘルを手に入れたいということもあった。しかし彼は休みということで会えなかった。まあいいか。ついでにモンベル会員に入会した。

 明日は自転車でいくか、電車で行くかまようところだが、ただ電車で行くと定期を持っていないので、880円かかる。これは考え物だ。しかし自転車の場合は、レッグウォーマーかタイツをはかないといけないだろう。手袋は、指まで隠れるほうにしたほうがいいか。

 ところで、今日駅から家まで歩いていてふと考えたが、通行する自転車のダイナモ式ランプを使っている人が目に入るが、これは自転車会社に言いたい。すべて電池式に変えてほしい。それも単1か単2ですぐ電池が切れるものでなく、単3で長期間使えるものを定番にしてほしい。そうするときっともっと夜ライトをつける人が増えるはずだ。今妻の自転車につけているライトは、夜のような暗いときに、振動を受けるとライトが自然に点滅するものだが、これなら自分でライトをつけなくても自然に光ってくれる。

 新車を販売するとき一般自転車でもこういうタイプを一般的に普及してほしい。これはきっと自転車の交通事故を減らす大きな手段になると思う。

2006年11月 5日 (日)

心の洗濯へ、琵琶湖ログ日記

 昨日の警察への出頭であるが、9時半に家を出て、10時5分前に尼崎南署に到着。面談のHさんと会う。事故係も部屋へ通され、調書のようなものに書くため、もう一度事故現場の地図でHさんの質問に対し、返答する。被害者の女性は、どうも足の一部がバスの下敷きになったかもしれず、脊椎と骨盤、骨盤と大たい骨がはぜれてしまっていたということ。体を救急用のベッドにのせる時など、措置が悪いと、体の内部の動脈を切る可能性があり、かなり危険であったらしい。

 ぼくの証言も重要な要素になるが、それぞれの不注意はあるということで、文書作成に同意し、警察を後にした。Hさんの話では事故の目撃者の申し出る人は、なかなかいないらいい。今回もぼく一人となった。ただ道路自体の問題点、歩道の直進とクルマの左折が同時に信号でおこなわれれることの問題点は指摘しておいた。

 Dsc00012_1 さて、昨日夜から今日まで、通いなれた奥琵琶湖、今津のログハウスに妻と出かけた。今回はテレビ放映で見た「鶴瓶の家族に乾杯」の高島町、針江地区での疎水を家庭に利用した様子を見たくて、そこを探しにいった。

 4日の夜はぼくの職場の会議が長引いた関係で、出発は7時45分ごろ。しかし夜は車が少ないので、現地まで1時間50分ぐらいで到着した。9月に来てから1ヶ月半ぶりだが、夜はちょっと寒く、ストーブをつけた。ビールで乾杯。平井 堅と小野リサのCDを流し、満月の空に感激しながら、夜長を過ごす。

 朝は8時過ぎに起きて、洗面、トイレを済ませ、ゆっくり食事をした。ログ近くの田んぼの稲刈り後に伸びた田んぼを眺めながら、コーヒーを飲み、トーストと野菜を食べる。至極のときである。そこにおなかが茶色で、羽が青い小鳥がこちらを向いて近くにとまった。たぶんシジュウカラじゃないかと思う。そのあと掃除機で掃除や自転車の整備、昨日うかつにも境界線のレンガの中のはまったクルマを何とか動けるようにし、10時過ぎにやっと針江に向かうため、自転車2台をクルマにつんで出かけた。

 Dsc00001_2                                                       クルマは風車の森(道の駅)に止め、自転車を出して、それにまたがり、広い田んぼばかりの農道と自転車歩行者専用道路をとおり、目的地を探す。妻が地図から「かばた館」にまず行かないというので針江についていたが、そこを探した。しかしここはただの食堂だった。また針江にもどってどうも湧き水があるという寺 に向かう。そのそばのとうふ屋さんで豆腐を買う。Dsc00005 そこの娘さんの話を聞くと、最近いろんな番組や新聞の取材があるらしい。また「かばた館」は愛想が悪く、地域の案内はしてくれないと苦情を言っていた。

 そこからその集落内を散策。どのDsc00004_2家も道の端を流れる疎水から自分の家にたまりをつくり、そこで野菜を洗ったりしてるらしい。残飯は、そのたまりに飼っている鯉にたべてもらうらしい。ぼくたちが散策しているときちょうど川ざらえというか村の人総出で、その作業をしていて、テレビの取材らしい人も密着で、同じように川に入る服装をして着いていっていた。

 Dsc00006_4 あと川島酒造というとこで原酒を買う。ここは鶴瓶の番組に出たところかと思って入ってみたが、どうも後から考えると違うらしい。ご主人にもそのことを質問してみたが、もうひとつはっきりしない。しかし近々別の番組の放映があるらいい。

 しかし目的の探索は達成した。ぼくは折りたたみ自転車での移動だったが、風邪がなおっていないせいでちょっと疲れた。妻も疲れたらしい。ログに帰って昼寝。目を覚ましてかえるまえに抹茶のアイスをテラスから田んぼを見ながら食べる。

 午後3時半に現地を後にした。帰りは、やはり連休の最後の日の道路状況で湖西から名神に入るまでかなりの渋滞だった。しかし比良近くの山並みと空の夕焼けと琵琶湖の眺めがなんともいえない絶景だった。

2006年11月 4日 (土)

警察の事情聴取へ

 今日は夜から、琵琶湖ログハウスへ行くため、書き込みは朝にした。

 朝は、先日の交通事故の目撃者として尼崎南警察にいかなければいけない。交通事故は被害者、加害者はほとんどの場合、相手に迷惑をかけたり、危害を加えようとして事故が起こるのではないが、結果的には被害者を不幸にする。ただ、ただその加害者になるクルマを作っている企業はまったく責任はないのか、交通環境での信号の作り方や、道路に作り方に問題はないのかということも、もっと考えるべきだと思う。

 だいたい歩行者の進行とクルマの左折が同時に行われること事態、事故を起こす条件を作ってしまっているとぼくは思う。ほとんどスクランブルにするべきだ。

 今回の事故のそれ例だろう。ただ移動する当事者に問題がないことはない。今回は、自転車の女性が直前まで前を見ていなかった形跡がある。あわてていたのか、携帯電話を見ていたのか、よくわからない。

 事情聴取の結果は明日書き込みたい。

 旅行は今回夕方出発だが、明日は、テレビの鶴瓶の○○に乾杯で紹介された、高島町の水をうまく生活に使っている地域を探しのいくつもりだ。

 風邪は妻がしきりに心配しているが、今日中にに回復したい。

2006年11月 3日 (金)

休日出勤は晴天!

 Dsc00014

今日は職場ほとんど全員で商品の梱包作業。しかしぼく自身はまだ風邪が全快しない。おかげで昨日書いたように自転車乗車中しんどさがないと言ったが、今日はしんどい。ただ休日でクルマが少ないことだけが精神的にはよい。

 出発する前の朝食では、先日買ってきたコーヒービーンズ「ティピカ」のボリビアコーヒーがうまい。

 仕事は2時50分に終わったが、結局みんなが退社したあと、ビルの警備セットをする役になって、帰れたのは3時30分を超えた。帰り道温泉によるべきかまよったが、これで風邪がなおればと、阪神センタープール前近くの「蓬莱湯」へ行った。ここは4回目の利用だ。ここは造りはたしかに普通の銭湯だが、湧き出る温泉の湯がたしかにあたたまる。帰り際、300円生ビールを買った。今日はまあいいか!

 夕食は、温泉の疲れと、仕事の疲れで手を込んだものを作る気力がわかず、冷蔵庫に保管したカレーの残り3種類を全部まぜて、解凍して温めた。カレーはまぜこぜの風味とアバウトな味は、ほとんど失敗がない。今日も3種類がほどよく味つけされた。野菜の小皿は、これもあてずっぽで、たまねぎとジャガイモをざく切りにし、細切れチーズをまぶして、電磁レンジにかけ、小皿の4つ分けた。

 夕食後、のんびりしていて、テレビもあまりみたいものはなかったが、NHK衛星第2にチャンネルを回すと、映画特集の解説で、クリント・イーストウッドの話があった。彼はジャズピアノも弾くらしい。そのヒィーリング、即興のおもしろさを映画監督する時に結びついて、映画撮影のカットはほとんどテークワン(TAKE1)、テークトゥー(take2)でOkを出すらしい。しかしそれには俳優さん同志でその本番の1..2日前によく打ち合わせし、アイデアを出させるらしい。そのコラボレーションで煮詰まったカットに成功するという話があった。

 やはりその人のひととなりは聞いてみないとわからないものだ。この衛星放送では、その前に「ウォッチング」という番組があったが、これもなかなか必見だった。きょうはちょっとためになるテレビを見てしまった。

2006年11月 2日 (木)

やっと木曜日。しかし風邪はなおらない。

 夜中の3時まえ、のどに痰がたまっているのを感じ、目が覚めた。それで洗面j所で痰を出したり、イソジンでうがいをしたりした。

 朝おきるとちょっとよくなっているようにも思ったが、やはりすっきりしない。風邪が長引いている。やはりまともに2日以上休んでいないので、休息がたらないのだろう。ストレスもある。気楽な仕事になりたいとものだとも思うが、それなりに面白い面もある。第一仕事をやめると今の通勤自転車生活は維持できないかもしれない。

 いろいろ愚痴を書いてしまったが、これは体の調子のせいもあるだろう。

 ところで、今日の通勤では、久しぶりでいろんな人に出会った。出会ったといっても自分がそう思っているだけだが、よく見かける人たちだ。

 一人目は、国道2号腺の尼崎付近で以前よく見かけたはだかのおじいさん。はだかといってもランニングシャツは着ているが、真冬でもその格好で、自転車タイヤのチューブをもって、いろんなものに敬礼したりしている。当然ぼくが道路を走っていて、歩道を歩いているそのおじいさんに会うと敬礼して、何か言っている。ぼくも無視せず手を上げて返す。

 しかし半年以上あっていなかったと思うが今日突然ひさしぶりに出会い、手を上げてあいさつした。その後一人笑いの顔になってしまっておさえられない。

 二人目は、歩道をもくもくと走ってる内装シングルギヤーの若い女性。おそらく毎日走っていると思うが、最近出会わなかった。しかしまだがんばって走っているのがうれしい。

 最後は、シマノのHさん。もとロードの登録選手。さすがについていくのは大変で平均35km以上出して走っている。ただ、信号まちの関係で、追いつく時があり、よく話をする仲だ。最近彼も見なかった。出勤が変則とは聞いていたが、2週間以上あっていなくて、昨日やっと会った。しかし、ぼくが例の警官に呼び止められているときで、そのまま行ってしまったので話しはできなかった。

 今日話しを交わすと、最近ヨーロッパに出張に行っていて、そのとき食中毒かなにかで点滴を打って寝ていたとことだった。どおりで会わないわけだ。しかし、今日は最後西長堀あたりで別れるときまでいっしょに走れた。

 しかし走っているときは不思議に風邪をことを忘れる。ペダルを勝手に輪回している感じだ。これはとても不思議なことだ。しかし職場に着くとまた痰が出る。家に帰ったときも一緒だ。自転車で走っているときというのは、感性も本能的にとぎすまされ、運動状態のため、心臓をたくさん使い、体の血液が活発に流れるため活性化しているのではないかと思う。

 それから職場についてからも含めて走っているときも気がついたが、さいきん普通にロードバイクで走っている人がやけに多い。ちょっとかっこいいトレンドと感じて購入しているんだろうか。

 それからシマノのHさんと今日しゃべっているとき、彼は休みに遠出するなら、京都の美山か能勢がいいと言っていた。能勢は以前よく行っていたことがあるが、美山はクルマでしか行ったことがない。これは計画の価値がある。

 

2006年11月 1日 (水)

やっと水曜日って感じ!

 今日はまだ水曜日。生ごみ出しの日だ。なかなか仕事では楽しいことがない。また風邪がこじれたまま。気管支でこじれてセキがでてしようがない。

 ところで今日自転車通勤の途中。国道2号線、産業道路の交差点で、交通警官に呼び止められた。また道路を走っていることに対する過剰な注意でよぶとめられたのかと思いきや、「先日の事故のことなんだけど」と頼まれ、調書を書きたいので、南警察に来てほしいという要望。

 ぼくのことを覚えていたのかと、ちょっと驚いたが、その時間を待ち受けていたのかもしれない。おとといの交通事故で被害者の女性は骨盤の複雑骨折をしているらしい。ただ命には別状はないとのことだった。今度の土曜日10時に南署に出頭する約束した。

 また昨日書いた六甲での遭難者の打越さんは、奇跡的に意識が戻ってきているとのこと。西宮市職員組合の執行委員ということで妻は、よく知っているし、情報が入ってくる。その3週間の真実が彼の意識の回復で明らかになってくるだろう。ただ命を回復してくれることに越したことはない。

 とにかく両方とも命が助かってよかった。

 しかし仕事のほうは展示会の事後処理と、難しい問題の検討に追われる。明日は木曜日。しかしあさってはみんな出勤して作業をしないといけない。あさっては全国で憲法守れの集会があるが、参加できない。あさっての土曜日も役員の会議に出席しないといけない。しかしその後一泊で滋賀のログハウスに行く予定だ。楽しみだ。

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