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2006年12月30日 (土)

マンション年末餅つき大会

 2006                                                        もう12月30日。今日はわがマンションの恒例の餅つき大会。もともとマンションの設立はコーポラス住宅といって、建てる前から会員をつのり、土地さがしからはじめた間柄。もちろん途中からはいった人もいるが、出発の流れで、年2回の大掃除と年末の餅つき会は続いている。しかし10年一昔というとおり、入った当時は、子供たちがまだ幼児か小学生ばかりで、夫婦は、40代がほどんどだたったが、今はみんな50代。子供たちもそろそろ結婚する年頃になっている。

 しかし準備はなぜか僕とTさんが毎年組合員になっている医療生協病院から、うすとせいろなど餅つきグッズ一式を借りに行く担当になっていて、朝7時30分にはその仕事になった。

 めざましを妻に7時にされてしまい、6時かと思っておきたら残された時間は30分。トイレに行って、ひげをそって、パンを食べてすぐでかけた。

 餅つき会は20臼をみんなで交代についていく。結構ハードだ。2時間はたっぷりかかる。今年は、一番若い家族の子供たちや、うちの三男など借り出して交代でついていった。せいろでもち米を蒸して、絶妙のタイミングで餅つき器にいれ、最小のこねをすませ、臼にうつす。まだ50代のおやじたちも元気でつく。母親たちは、ついたもちを完成させてくれる。この場がかなり各家庭の情報交換になっているようだ。一年間知らなかったこともいろいろわかる。やはりこの行事は大事な場だなあと思う。

 2006_1           忘年会も餅つきの地下駐車場でやっているが、忘年会はその駐車場にブルーシートを敷いて、その上に座布団を敷いてすわってやる。そこで各家庭の近況報告を報告しあうが、僕はとりになってしまって、このブログを7月からやっていることを報告し、今書いている餅つき大会のことも載せますと報告してしまった。

 さて娘からのスカイプ(パソコン電話)が連日はいるようになったが、妻がリフレッシュ休暇で、次男をつれて、タスマニアの娘のところに2月に行くことなったので、その日程調整とむこうでの予定確認でいそがしい。僕は残念ながら2月に10日も休暇はとれない。次男に妻の付き添いになってもらうことにしたが、本人も行く気十分なのでよかった。

 明日はいよいよ大晦日。どんな記事が書けるだろう。Dsc00007

2006年12月29日 (金)

自然との対話を求めて

 今日朝おきて、それも5時半に起こされてしまった。というのは妻が、横浜のおばさんの介護施設への入所の件で、新幹線で朝早く出かけるため、5時すぎからおきている。ふとんの中で今日1日どうすごすか悩んでしまう。スキーにもいきたい。1月はじめの少年団父母会での山歩きのため、もう一度下見に行きたい。年賀状の用意もある。家もある程度掃除しないといけない。オーストラリアの娘のために、パソコンを郵便局から送る手続きをしないといけない。もうやることがいっぱいだ。

 結局消去法で、山の下見に行くことにした。行き先はもちろん六甲。その西側の菊水山付近だが、ハイキングガイドに決してのっていないコースを先日見つけた。ただ、その入り口までは、駅からかなり遠いので、バスを利用しようと考えていたが、果たしてそのバス路線とバス停はあるのか、それが気がかりだった。それがわかると今回の目的は90%終了する。しかし神戸電鉄「鈴蘭台」という新興住宅地域の駅で降りたのだが、その目的のバス停がなかなか見つからない。

 こういう場合は聞くのが一番と別のバス停で待っておられる年配のおばさんに聞いてみた。「ああ、反対側のダイエーの前から出ているわ」とすぐ答えてくれた。

 駅の反対側に歩道のトンネルをくぐって行ってみると、ちょうどそのバスが出るところ。「ああ」という間にそのバスは出発してしまった。ただそこから出ていることだけはわかった。

 ところが、そのバス停には時刻表が張られていない。どれぐらいの間隔で次のバスが来るのかわからない。しかしここは忍耐。15分ほど待って次のバスが来た。すると乗ろうとする人たちが次々現れたが、どの人も定期を運転手に出している。運転手側の入り口から入るのだが、値段がわからない。ここでも「いくらですか」と聞いてみた。ただ自分だけ登山の格好で場違いな感じはいなめない。「150円です」と返事を、もらって、「あれそんな値段もあるんだ?」と面白かった。

 よしこれで今日の目的はほぼ達成。安心してバスに乗ったが、周りの景色はいったいどの付近かつかめない。団地と住宅ばかりだが、「君影ゆき」と書いていたから、終点ぐらいかと考えていたが、どうもこのバス循環して、もとの駅にもどるらしいということが、見覚えのある道路に出たとき気づいたが、もうすでにその方向に向いている。それで、坂を下った先で下りざるを得なかった。まあここで気づいただけましか。居眠りでもしていたら、また鈴蘭台駅の戻ってしまうところだった。

 しかし今日は寒い。このあたりだと3℃ぐらいじゃないかと思う。途中野鳥がかなり目についた。人間を怖がっている風でもない。でも休みを実感できる歩きは気持ちがいい。やっと休みになったんだという開放感である。そしてこのコースは自信をもって推薦できそうだ。本番は1月7日だが、一見落着である。ついでに本番でも行く湊川温泉に入って帰った。

2006年12月28日 (木)

仕事収め、通勤自転車納め

 40000km(地球一周達成)!もうすでにすぎているかもしれないが、今日を一応達成日とした。約5年半がかかっている。しかし、それだけ遠距離自転車通勤を続けることができた。自分をほめたいと思う。どこかで聞いたことばだが?

 しかし今日は帰りはかなり厳しい走りであった。行きは寒くなると覚悟して家を出たが、なんと道路温度は11℃。「ええっ」と叫んでしまった。なぜなら防寒装備をさらにしているのだから。頭は耳あてをはじめてした。あとは特に増やした防寒具はない。しかし、ちょっと温度が高すぎるではないか。でも今日は走り納めだと思うと走りに力がはいる。今日に限っては、よく見かける自転車通勤者もみかけない。道路は思ったよりすいていた。

 仕事のほうは今年最後の日ではあるが、なぜか気がぬけない。やはり管理職はつらい。でも職員は思ったより早く帰りたいようで、6時にはかなりの人が帰った。ぼくは最後まで残っている覚悟でいたので、気合十分である。みんな最後のあいさつを交わしながら帰っていった。そして建物全体に最後にチェックをしてまわったが、やはりトイレの換気扇が2箇所ONになったままだった。それも女子トイレが。加湿器もスイッチが入ったまま。

 一応すべて確認した上で最後にセキュリティーをONにし、鍵をかけた。

 帰りの状態にはいるが、かなり寒い。まず手先が寒さを感じる。足も寒い。自然にぬくもろうと足に力が入る。30分走ったらぬくもるだろうと期待しつつ走ったが、手先はぬくもってきた。しかし足先は寒さを感じてきた。尼崎付近で道路表示があり、その掲示板をみるとなんと3℃。おどろいたというよりうれしくなってくる。これは自虐的な感動なのか。いや久しぶりに感じる寒さによいしれている。

 ああ3℃ってこんな感覚なんだ、となぜかその体験がなつかしくてうれしくなる。

 ときどき「業務最後までがんばれた。明日は休みだ」と、実感しつつ淀川大橋をわたるが、うれしくなる。でもこれでちょっと何日か走れないなあとちょっと寂しい。でもこれはぼくの特権だとも思う。この感覚は体験してみないとなかなかわからないぞ。

 自転車通勤は最後の日までできた。何歳まで走れるか心配だが、この楽しさはずっと続けていきたい。

 

 

2006年12月27日 (水)

電車通勤で見えるもの

 ブログをはじめてかれこれ半年になったが、内容は比較的マニアックなものなので、アクセス数は100件を超えない。しかし、いろんな店に行ったとき、話のついでにブログを立ち上げていることを宣伝するので、序々にアクセス数は増えている。

 今日職場の関係のBさんからも「ブログを書いているらしいね」と聞かれ、職場でもうわさが広がっているらしい。

 ノートで書く日記だと、数日でとまってしまうケースが多いが、このブログは多くの知らない人が見ている可能性があり、ある意味刺激的である。毎日書いていると、グーグル検索で「通勤自転車」と入れると、順位が上がったりしている。

 とにかくブログが生活の一部になっていることはまちがいない。毎日書くことを心がけている。

 さて今日はお歳暮抽選の商品をもってかえる(商品は500mlのUCCジュースとコーヒー6本)をもってかえるため、電車で通勤した。本が読めるのはメリットだが、今日から小田実さんの「9.11 憲法9条」という最新作を呼んでいる。

 大阪駅で地下鉄に移動し、切符を買って自動改札にはいるとき、きっぷがちゃんと中にかいらず、出口で音がなって出られなかった。もう一度切符いれを見るとまだ切符が中に入っていない。こんなことははじめてだ。ほとんどの人はイコカを使ってカードをタッチするだけで入っていくが、ぼくはいまだにいちいち切符を買って改札で切符に入れる。中に入ってからはその切符を失わないため、その切符はかならずズボンの右ポケットに入れるとということを習慣にしている。

 やはり自転車通勤に方が自由だ。

 明日は今年最後の通勤。最後を飾って自転車で通勤する。一応明日は40000km達成日としたい!

2006年12月26日 (火)

最悪の天候、危険いっぱい通勤

 今日は昼から雨になるだろうことは予想していたが、自転車で出発した。ある意味では「アホ」である。行きの通勤もあなりやばいというか、どんより曇っている。道路温度は12℃。「おおっ」という感想だ。昨日の5℃と同じ着込みで出発した。むしろ暑い。でも風が強いので体感温度はそうかわらないように思う。

 きょうはなぜかそんなに込んでいない。ただし向かい風は続いたので、ちゅっと脚にくる。

 かえりは明確に雨状態。一応古い方のレインウェアを持っていっていたので、助かった。ただこの上なく危険な状態だ。まず視界が極端に悪い。ブレーキが利かない。緊張がいつも以上に走る。これぐらい感覚が研ぎ澄まされることはないかもしれない。寒さはそれほどではない。しかしグローブとシューズはびちゃびちゃだ。

 こんな真冬に大雨というのもめずらしい。途中尼崎に入って、進路を庄下川ぞいに変えてから、蛍光灯の街灯の光でもサングラスが反射して先が見えにくいので、おもいきってメガネをはずしてみると、「これだ」と思うぐらい視界が一気にひらけた。もうあとはペダルに急にちからが入る。

 まあ雨も子ども心に帰れるいいときかもしれない。

2006年12月25日 (月)

なぜか気ぜわしい道路状況

 20061225_dsc00001                                                      今日はもちろん自転車通勤で行く。途中からやはり車の量が増えてくる。温度表示は5℃。それでもそんなに寒さは感じない。ちょっと体の疲れは感じる。先週の残業の連続が影響しているか。

 帰りはとくに車が気ぜわしく感じる。ビュンビュン走っている感じだ。これがもうあと一週間たつとぜんぜん反対の状況になる。

 昨日のクリスマスは、吉永さゆり主演の「北の零年」を途中からおわりまで見てしまったが、思ったより期待はずれだった。なぜそう思うか。淡路島から北海道に夢をもとめて武士の集団が移住するのだが、夫の裏切りがどうも不自然だし、最後にその夫たちの役人に抵抗する場面はあるが、どうも芝居じみたかかんじでしらける。あとから史実にもとづいた映画という説明がながれたが、どうも自分としては、ぴたっとこない映画だった。やはり夫の裏切りということが全体の印象を汚してしまっている。

 まあそんなこんなで年末はすぎていく。名目的に28日仕事おさめの日は、地球一周達成記念の日としたい。

2006年12月24日 (日)

風呂のポンプ故障によりホームセンターへ

 風呂の湯を毎日洗濯機に送っていた簡易ポンプ(1900円で購入)が突然運転停止。それだけのためにホームセンターへ行った。しかし妻も押入れの入れ物を買いたいということになり、車で出かける。朝11時をすぎていたが、山手幹線は車が多い。ポンプのメーカーは一社のようだが、種類はいろいろで協力パワーの製品は5000円以上する。結局耐久性については判別できないので、2300円のものを選んだ。

 妻はプラスチックの服収納の物色。選ぶのはまかせる。ついでに庭の土と、風呂の外につけているプランターには夏の朝顔の枯れた状態しかないので、ハナカンザシという花の苗を2つ買ってかえった。

 ところで我が家の庭にはいろんな果実があるが、キンカンとみかんが実をつけていて、すこしづつみぎっていたが、のこりを全部収穫した。

20061224_dsc00048

これで庭に実をつけている状態のものはすべてない。自分の家で作ったものはまさに無農薬である。もぎたては、それなりにうまい。また花ではサザンカが生垣用で植わっていて、その花が今満開。メジロがよくそれを食べにくる。この間はどうもウグイスではないかみえる鳥が一羽やってきた。冬に声はきたなく鳴くらしいのでそうかなと思った。

 そろそろ年賀状の季節だが、今日なんとか「筆まめソフト」を加工して来年正月の年賀状を裏面は完成した。これは20年以上にわたって家族全員の写真をのせてきたが、今年は残念ながら長男、長女の写真を手にいれられなかったので4人の写真になった。

 ひさしぶりにその4番目の長女からスカイプによる連絡が入った。ひさしぶりだったせいか、音声はよいが、画像が途中で静止になったりした。一応会話はできたが、また日を改めて通信してみようと思う。

2006年12月23日 (土)

疾風の走りと、クリスマス会

 昨日金曜日は、また9時過ぎまで残業となった。しかし管理職として部内の業務を待つ仕事というよりも、それもあったが、自分の範疇で仕事があったのでまだ気は楽だった。

 帰りは明日が休みということもありが、気分は軽く、疾風のごとく風に乗って走った。しかし不思議なことがあって野田阪神で、細めのタイヤのマウンテンバイクの男性だか女性だかわかりにくい人に出会い、スピードはあきらかにぼくのほうが速いのだが、そこからだいぶ進んだ歌島交差点で、そんなに時間を空けずに追いかけてきていた。「あれ!」と口が開いてしまった。まあおそらく赤信号を全部無視してきたものと思われるが、不思議な気持ちだ。

 そのうち 僕の前では交差点が青が続いたので、追いかけてこなかったが、気持ちが悪かった。帰りは10時半になっていたが、妻も忘年会で遅く、子ども2人も遅いので、近くのデイリーストアーで弁当とうどんを買った。もちろん探偵ナイトスクープを見て床についた。

 本日は、祝日で休みだが、朝と夕方からスケジュールがある。朝はマンションの恒例の大掃除。いつものように自分の家の外側の路地の掃除。なにしろびわを木が3本あり、それを秋ごろ大幅に剪定して、そのきったものを路地にほっておいたので、今日はその処理でだいぶ追われた。野良猫がおしっこをしているエリアもありくさい。しかし、だいぶすっきりした。

 昼は、昼寝と、夕方から流れ星少年団のクリスマス会で親代表というか「オヤジーズ」で演奏を頼まれていて、その練習をだいぶした。4時からテレビを見ていたが、「魂萌!」という土曜ドラマスペシャルを何気なくしまったが、中年妻が突然夫が死亡し、その後10年にわたるウワキが発覚したり、相続で子ども2人が争ったり、それがいやになり家を出て、カプセルハウスに泊まるところから、どんどんドラマが展開していく。ちょっと現実にありそうなシルヤスな内容でおめりこんだ。

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 夜は少年団のクリスマス会。青年、高校生指導員の援助のもとに中学生たちが、全部自分たちで企画し、小学生を口コミや、小学生団員を集め、ゲーム、ケーキつくりなど運営しているのは、この2.3年定着し頼もしい。でも会は15年ぐらい途切れず、続いているのではないかと思う。続けるということはだいじなことだ。しかし当初は親が飾りつけから企画までだいぶかかわっていたが、様変わりしてきた。

 演奏は、僕が平井 堅の「思いがかさなるそのまえに」。これはだいぶ以前から暖めていたが、今日はギターで歌った。もう1曲はもうひとりのメンバーMさんがトキオの宙歌を歌った。なかなかのできだっDsc00044_1たのか、「よかった」という感想が連発。やはり歌える曲でもよく練習するべきだろう。

指導員たちも踊りを披露。かれらは最近よく練習を真剣にしていて結束も固い。よくここまでになったものだと思う。

 クリスマスは本当は1日早いが、団ではこれで今年の行事終了。しかしこの集まりではやはり親集団ではお母さんが多いのだが、安心してよくビールがのめてうまい。やはり気を許せる団体なのだろう。自分にとってはこの地域とこの親集団は貴重だ。

  明日は日曜日。ビアンキとランドナーのハンドルテープを変える仕事がある。それから年賀状を作る作業をしないといけない。

2006年12月21日 (木)

帰りはバスと競争!

 今日は仕事が終わって ソワソワしながら着替えにかかった。魔の残業をさけるため、5時15分には、タイムカードを押した。

 2日ぶりの自転車であるが、行きも帰りも気持ちがいい。とくに行きしは、自動車の数がなぜか少なく、スムーズな流れ。追い風も手伝って足は軽い。道路標示は8℃。毛糸セーターを中に着ているのが暑い。

 帰りは野田阪神交差点から2号線に入り、「阪神甲子園」行きの阪神バスと遭遇。案外のんびりしたバスの運転に見えるが、ある程度それについて走る。一度は引き離されたが、むこうはバス停で停車するので一度追いこして、そのまま追いついてこなかった。今日はぼくの勝ち。

 そして阪神尼崎付近では、前に別のバス「神戸税関前」だったか、このバスに出会う。停車状態ですぐ発車しそうだったので、それをまって後ろをついたが、ある程度ついていこうとすぐ後ろについてギアをあげ、思いっきりペダルをこぐ。45kmは出ていただろう。そのままサンワサイクルの近くまで500m以上信号をパスして、一緒に走ってしまう。バスはかぜよけになって、かなり得をした。

 気持ちがハイになって、いきおいで「よし、サンワサイクルに行って、チェックしていたビアンキ仕様の水色自転車ジャンパー(15,000円)を買いにいこう」と決断。すぐ近くまで来ていたが、歩道側に移動し、サンワサイクルのひときわ明るい店先に着く。

 「まだ売れていなければいいが」と思いつつ、2階(ロードバイク専門フロア)に上がっていき、かかっているところに行くと「あった!あった!」。目当てのウェアがかかっていた。すぐハンガーをはずし手に持つ。

 店長はいそがしそう。別の客に応対していたが、そうこうするうち別の処分品コーナーで長袖だが、薄手のウェアを見つけ、5,000円の値札のものを一緒に買った。

 店長が倉庫から別の客のためにハンドルの商品を取りにいっているあいだ、店内のロードバイクの値札と商品とメーカー名をチェックしていたが、高価なコーナーでは40万円から50万円台、他のところでは15万円くらいから25万円ぐらい。そのなかで在庫処分的なものも若干あった。これはかなり値を落としているので買い得だと思うが、ただ何で人気がなかったのか気になるところだ。

 先日自分のビアンキの寿命のことが気になると書いていたが、よく考えると、2003年12月に買ったものなので、ちょうどまる3年。概算では1年7000km走行したとして、21000kmということで、25000kmから30000kmまでまだ1年以上は持つ勘定だ。

 それじゃあ、ちょっとビアンキを部品でリニューアルしようと思う。次回はサドルを買いにこよう。

 さて、調子に乗って書くが、僕にはロードバイクをテーマにした未完成の歌がある。その歌詞を紹介する。

 曲名は「グレート!ロードバイク通勤」としておこう。

 

 1. ロードバイクで走っていくよ

   渋滞情報も関係ないぜ

   自分の足がエンジンそのもの

   好きなところに出かけていけるのさ

      機械に使われ 時間におわれて あくせくする生活なんて

      もうこれ以上やめようじゃないか

 ロードバイクのペダルを踏めば

 好きなところへ好きなように走っていけるのさ

2. ロードバイクで走っていくよ

  年甲斐もないとちゅっと思っているけど

  風を切ってペダルを踏めば

 むしゃくしゃしたことみんな忘れてしまう

    プライドでもなく 義務感でもなく 健康のためだけじゃなく

    ただかっこよく生きるためなのさ

 ロードバイクで走っていくよ

 自動車乗る人がみじめに見える

 時速40kmだってこの足まわせば

 あっというまにこえていくよ

 以上一応メロディーもあるが、誰かメロディー考えて頂戴。無断転出、使用OKです!

 

2006年12月20日 (水)

残業はきつい

 昨日は、管掌の人の作業を終えるのを待つため、自分も難しいパソコンのインストール作業で残っていたが、結局夜9時10分になってしまった。昨日書いたように帰りぎわりんごをかじってがんばって自転車のペダルをこいで帰ったが、その後の食事が夜11時まえだったかで、これは健康によくない。

 朝起きるとおなかのもたれと体の疲れをもろに感じる。結局脚の疲れも加わり、通勤は電車で行くことにした。しかし電車通勤の場合も、駅まで歩いていくのだが、1.2kmあるので、15分は歩く。ペダルをこぐ場合と若干使う筋肉が違うので、これもいいかなと思う。

 あとはなんということもなく、一日は過ぎていったが、昼間もびっしりのタイムスケジュールだった。また夜は昨日と同じように管理上残っていないといけない状況があり、残業となった。

 ところで今筑紫哲也さんの12年前ぐらい発行の「この『くに』のゆくえ」(日本経済新聞社発行)を読んでいるが、もうフィニッシュにかかるところ。中に今もテレビで続けている多事総論を、そのころの連日のできごとをまじえて書かれているが、これがおもしろい。ある日に視聴者の苦情の一部のことがかかれていて、それがどこかのマスコミの論説委員らしい人からの電話でヨーロッパのアウトバーンは無料だとしゃべったことを、「それはまちがいだ」と抗議であったらしい。しかし事実は無料であった。

 この本は、長男が日本に帰ってきているときに古本屋で105円で手に入れたものを読ましてもらっている。

 明日はがんばって自転車通勤の再開だ。なんとか5時過ぎには帰りたいものである。

いろんなことのある自転車通勤

 今日はもちろん自転車での通勤。しかし朝は寒い。国道2号線杭瀬付近の道路温度表示はなんと4℃。「いやこれは真冬か?」と逆にうれしくなる。そろそろ生糸のセーターを下に着る時期かもしれない。

 ところで今日いやな場面に遭遇。行きしなの大阪土佐堀付近で自動車とバイクの接触とおもわれる事故。土佐堀川へののぼり途中。バイクの運転手はヘルメットをかぶったまま仰向けに倒れ、近くにトラックの運転手と思われる人が気にして立っている。その他携帯電話で連絡している人などいる。一応僕はそこを立ち去ったが、バイクの彼はどのような症状か気になる。

 おそらく、事故の状況は、渋滞が続く中をバイクはかなりのスピードでその間を直進中、左にとまっていたトラックが後ろをよく見ず右によりながら直進しようとして接触したものと思われる。

 ぼくの場合、こういった場面では、渋滞の中だから、左と交差点付近での対向右折車にとくに注意し、徐行して走る。しかしバイクは一定のスピードを出すと瞬時にはとまれない。よくある事故だろう。

 かえりは今日は自分の管理範疇の職員が残業になるということで一応終わりまで、待って自分の仕事もしていたが、午後9時をすぎてしまった。管理職はつらい。

 しかし、よるの道はやはり大阪市内はすいている。あまりお腹がすいたので、みんなに配ってくれていたりんごひとつを丸かじりでしのいだ。しかし尼崎に入ってからは市道に道が変わると、逆送で無灯火の自転車につづけざまに3台も出会った。「ライトつけろ!」とさけんでしまった。またよく走行途中立ち寄ったドラッグストアがなくなっている。通勤経路の移り代わりもちょっとむなしいものがある。

  ああ、それから今日テレビ番組で草薙剛の「ぼくの生きる道」の最終回があった。なかなかほのぼのとしたドラマだ。ただロードレースで本栖湖の大会場面があったが、もうちょっとその魅力を描いてほしかった。知らないもの同士で語りながら走ったり、風除けを交代したり、楽しさはいっぱいある。まあ自閉症の主人公の生き方を中心で描いているからしかたがない。ただ自転車は手段であってほしくない。生き方と一部として描いてほしいものだ。

 まあでもロードバイクの主人公なんて今まで見たことがないだけにうれしい。ぼくは自分でかってにブログの主人公として走っていくのみだ。たくさんの人にスポーツ自転車に魅力と、今の道路環境の不便さと、それでも楽しめる部分のあることなど知ってほしい。

2006年12月18日 (月)

月曜日はロードバイクが似合う

 きょうは12月18日。あと12日で正月とは信じられない。

 今日は朝の通勤時道路温度は6℃。しかし体感温度はもっと寒い。はじめてパールイズミの新しい手袋をしていったが、指先が寒さを感じる。それでもなれたマイビアンキ、ロードバイクはペダルが軽く感じる。今日の淀川大橋をわたる感じは気持ちがいい。

 でも最近は、けっして無理をしないようにしている。信号手前で車がたくさんとまっているとき、前の路肩を車が遮断しているとき、無理に歩道に出たり、スピードを出したりしないようにしている。そこで信号が赤に変わってもしかたがない。

2006年12月17日 (日)

年末近い日曜日

 今日は自転車の関する報告はない。あと2週間で正月ということ時期、いろんな行事もあと年末の持ちつき大会大掃除を残すのみで、まあエアーポケットという感じか。

 朝は天気もよく太陽の光がリビングを奥まで差し込む。ひさしぶりの晴天だ。いつも庭に来るメジロが今日も来ていた。あまり人間を恐れないようだ。

 今日やるべきこととして、風呂場の手前の洗濯機の上に作った自家製棚の一番したの部分が、置いている荷物の重みで折れ曲がり、洗濯機のふたを開けるのに邪魔をする。もう限界。

 それで朝10時半ごろ妻とホームセンターのその棚に最適な板を買いに自転車で出かけた。自転車は、折りたたみ20インチ。しかしこれは中国製のものだが、僕が改良に改良をかされて使っている。それで今は調子がいい。近い距離ならとても便利だ。しかし妻は移動の間周りの庭や家をみながら進むので、すぐ遅れる。しかしこれものんびりしていい。

 家へ帰ってから昼まえだったがさっそく大工開始。案外1時間でできた。Dsc00038

昼からは、テレビで屋敷タカジンの番組を見てしまったが、なかなかい今のホリエモンの拝金主義や日銀職員のサラ金への天下りなどに怒っていた。

 結局今週は4日自転車通勤できたが、昨日のマウンテンバイクでの通勤は足にこたえている。でもこれからもし雪の日があれば、これでいこうと思う。もう一度整備をしておこう。

2006年12月16日 (土)

マウンテンバイク通勤

 今日は午後からの理事会が目的だが、その他にも課題があり、いつもは午後から出勤するのだが、朝10時に出勤した。しかし午前中はサービス業務とした。

 それで出勤は、最近ほとんど使っていないタイヤ太めのマウンテンバイクを使った。ところがかなり長期間使わなかったので、空気がかなり減っていたが、それに空気を足すにあたり、後輪がすこし平均的に空気がはいらなかったため、タイヤが少しいびつになってしまった。

 朝走っている途中きずいたが、もうその段階ではどうしようもない。ペダルを踏まない状態で惰性で直進してみると、そのことがよくわかり、異常に車体が揺らぐ。

 やはりときどき乗らないといけないものだ。

Dsc00035_2 帰りは昨日書いたなにわ筋のイチョウのじゅうたんを写真にとろうとデジカメをもっていったが、ちょっとピンボケ写真である。このときちょっと事件があって、結構遠くまでその落ち葉をフラシュをたいて移していると、100m先の自動車の持ち主がこちらに近づいてくる。なにかなと思って近づいてくるのを待っていると「なんでおれの車のナンバーとってんね」という勘違い。

「この落ち葉とってますねん。なんなら消しましょか」と返事すると「ええわ」と言って、自動車の方へ行ってしまった。

 なんというかそういったことに過剰に反応する社会になってしまったのかなと思ったりした。それは彼だけの行動かもしれないが、テレビなどでナンバープレートを必ずぼかして写しているわけがちょっと分かった。

 でも他人であっても、もっとオープンな大らかな世の中であってほしいと思う。他人に排他的になってしまうとギスギスする。もっとお互い知らない人であってもまず信頼しようという前提があれば、もっと暖かい社会の関係が生まれるような気がするのだ。

 マウンテンバイクは、日常的にスタンドもつけて使っていこうと思う。

 帰りは、コースをちょっと変えて、庄下川沿いに走って、JR線路の下を通るダウンアップの階段のトンネルを降りずに走ってしまった。「うふふ」という感じだ。ほかに人が通っているときは絶対できない。ちょっと子どもに戻った感じ。

 ついでにJR立花線路に沿って走ったので、駅近くの「マサゴ楽器」により、フォークギターの弦セットと、以前集会でつぶれてしまったマイクスタンドの先部分も買った。ついでに自分のブログのことをしゃべってしまい、「一度あけて見てみなす」とその奥さんに言われた。またよけいなことを言ってしまったか。

イチョウのじゅうたん

 昨日は少し帰るのが遅くなって、夕食の後3日間雨の後の洗濯ものの山があり、これを処理するのに時間がかかったことと、週末の安心感でブログが書き込めできなかった。気楽な気分でジャッキーチェーンのテレビ映画「ラッシュアワー」を英語でそのまま見ていた。ついでに探偵ナイトスクープも見てしまった。

 もちろん自転車の通勤であったが、帰りはスキー旅行へいけなかった代わりに「自転車があるや」と軽快な気分でペダルを回した。おまけに風は無風。疲れなく走れる。帰りスタート時、なにわ筋を走っていくが、イチョウの並木の葉がちょうど黄色真っ盛りから落ち葉になっているころで、そのにおいがすることをはじめて気づいた。またその落ち葉が路肩から往路に敷き詰められている。その上を夜の明かりのなかを走るのはなかなか印象的だ。デジカメで紹介したかったが、日ごろ持ち歩かないので写せないのが残念。

 今16日午前8時45分まもなく職場に向けて出発だ。

2006年12月14日 (木)

会議と望年会の一日

 今日は僕が運営する会議のため午前中その準備と午後は会議本番。その後職員の打ち合わせと慌しい。仕事が終わったあとも自主的組織の会議、その後はOM九条の会の望年会とあっという間の一日だった。

 結局今日は電車通勤になってしまったが、望年会で酒を飲むのがわかっているだけにしかたがない。

 明日は本当なら職員旅行(蔵王のスキー)に参加するつもりだったが、いろんな事情で涙をのんで不参加とした。しかし仕事の方はきびしいものをまかされた。その件で部下からの誤解もあるが、なぜそれを受けたのか苦情を言われるやら散々である。

 しかし明日は、ぜがひでも自転車で通勤するつもりだ。新しいタイツとグローブが楽しみだ。 

2006年12月13日 (水)

行きはしんどい、帰りは楽し

 今週はずっと雨と曇りという天気予報であるが、今日は朝は曇っていたが、雨はまだ降っていなかった。それで自転車で出かけたわけだが、「今日はきっと自転車で」と思わせる動機をつけてくれたテレビ番組がある。

 スマップの草薙くんが主役の番組「僕の生きる道」。初めて見たのだが、サイクルスポーツでも確か書いていて、どうも若い女性がロードバイクに引かれるきっかけになっていたようだ。実際見てみたが、主人公は自閉症で、動物園の飼育係をしている。一つのことに集中する能力は非常に優れているようで、ロードバイクにもだいぶはまりこんでいるように描いている。中で自分の部屋でテレビを見ている場面があるが、移っているのは「ツールド・フランス」のビデオっぽい。こんな番組は見たことがない。草薙くんがロードバイクに乗っている場面も映し出される。

 これは追い風とさっそく朝うきうきしてバイクウェアに着替え、断然自転車でという気分だった。ただなぜか行きのペダルは最初は追い風でよかったが、途中から急に重く感じて体の調子がでない。そのままの流れで職場に着いた。

 帰りは逆に最初ゆっくり行こうと軽めの回転で出発したのがよかったのか、足の重さは何もない。スウーと進んでいく感じだ。たまに信号近くで若い女性から視線を受けることがあって、「ああ、見られている」と思ってしまった。中年のおじさんがぼくをいうよりも自転車を見ていることはよくある。しかし今日は僕を顔を見ているので、「むむ」という感じだった。

 ところで昨日、6年前に6歳の少女が信号で左折してきたトラックのはねられ、そのまま犯人が見つからず業務上過失致死、ひき逃げの時効が成立するということで大きく報道されていた。そのときの両親の監督不注意も言えるが、僕は一番問題は、信号で自動車と歩行者、自転車が同時に侵入する方式がまかりとおっていることにこそ問題を感じる。歩行者、自転車はスクランブル方式にし、自動車と遭遇しないようにすれば信号での事故は飛躍的に減るはずだ。たしかに一部でスクランブルをおこなっているところがあるが、一部のかぎられている。なぜ全部に応用しないのだろう。

 それはきっと車優先の考え方が根幹にある。信号で車が停止する時間をできるだけ短くする。あくまでも車の交通をスムーズにという考えが見え隠れしている。しかし僕たち通勤自転車で信号に入る場合、直前で黄色信号になると信号をとおりすぎようとしても速度的に出てしまうときは赤信号になる。それも車のスピードを想定して黄信号の時間を設定している。

 なぜそういった部分への責任は不問になるのだろう。少なくともそろそろ車優先の道路をあり方を考え直すべきだ。

2006年12月12日 (火)

雨に負ける

 昨日の天気予報では今日はたしかに雨だったが、朝起きると本当によく降っている。通勤をどうするべきかまよったが、家にあるレインウェアは入れ替わっていまって、古い分が残っている。これは先週着てかえったものだが、よく水がしみこむ。

 家への帰りならまだよいkが、行きしなは辛い。結局苦渋の決断で電車に乗っていくことにした。

 よく他人は、僕によく尼崎からよく自転車で毎日通えるねと言われるが、体験している自分としては、ずっとサドルの上に乗っかっているのだから、電車で立っているより楽だ。それだけ自転車というのは、それになれてしまうと心肺機能もそれに対応し、ハアハアすることもない。だから今日は家に帰ってみると疲れが残っている。これは先日のみかんの配送の影響が一番多いのだが、電車と歩きは疲れにつながるのかもしれない。また雑踏も疲れる。神経を使う。

 また電車で座席に座れたときも横の空間があると誰か座れるように気をつかう。今日行きの地下鉄では横に女性が座ってきて、かなり窮屈だったが、化粧をはじめたので、驚いてしまった。

 とにかく自転車での移動は気を使わない面でもいい。

2006年12月11日 (月)

マイ・ビアンキはだいじょうぶか?

 今日は行きの通勤で、国道2号線西淀川区手前の道路温度表示は6℃を示している。「ええー」と驚いた。実際真冬の温度だ。30分走ると体はあったまってくるが、そのあと淀川大橋を走るとき横風を受けまた寒さを体感する。ただ電車通勤で、外へ出たあとの寒さに比べるとどうってことはない。

 帰りの道すがら、尼崎三和商店街近くのサンワサイクルにひさしぶりによる。目的は、ブレーキシュー、ハンドルテープ、冬用タイツ、チェーン用オイル、それに行って見て見つけた3千円均一の冬用グローブなどだ。ほかにも15,000円のビアンキのネーム入り冬用上着があったが、かばんに入らないので、一応チェックしておいた。

 ただ、自分のロードバイクの寿命についてご主人に聞いてみたが、ちょっとショックなことを言われた。フロントフォーク(カーボン製)とハブ(車軸)は、2万5千kmから3万kmが限界ということだ。ぼくのビアンキはもうすでに4万kmに近づいている。急に店内においている新車の展示車を見ながら、自分の自転車がみすぼらしく感じてきてしまった。

しかしよく考えて今後を考えよう。フロントフォークとホイールを取り替えるか、新車を新たに購入するか、冷静になって考えようと思う。

 家に帰って冬用タイツをはいてみたが、これは正解だった。これで冬用タイツは3個になったので、2日づつ履いても1週間で一回りになる。グローブも穴があいてきているので、3000円で買えたのはラッキーだった。

 それから今日行きの通勤時ひさびさに六甲から新大阪まで走っている若者と、大阪に向かう固定ギアの青年が僕を抜いていった。二人とも話しかけたことがあるが、あえてよかった。

 また明日も自然体で通勤サイクリングで出かけよう!

2006年12月10日 (日)

例年恒例の有機みかん販売

 今日は日曜日。しかし昨日に引き続き、ボランティア活動で半日以上動かないといけない。何しろ60個以上の10kg入りみかんを地域に1日で配布するのだから大変だ。生産は和歌山の湯浅というところで、1件だけまわりが普通に農薬を使っているのに、有機栽培でがんばっているMさん。もう15年ぐらいこの時期に送ってもらっている。

 販売は所属する流れ星少年団だが、父母が働く生協病院での注文が3分の2をしめる。ことしは温暖化の影響か、仕入れ価格が値上がりした。そのため販売も3500円としたが、それでも有機みかんの市場価格は4500円を超えるからだいぶ安い。

 朝8時半には、わざわざ生産者のMさん親子が直接トラックで持ってきてくれたので、午前中だいぶ動くことができた。一度現地に十数年前に直接とりに行ったことがあるが、そのとき小学生だったご長男は、今日いっしょについてきていて、もう23歳だといわれて驚いてしまった。

 尼崎の端から端までわがプレーリーにみかんを積んで、満杯時、車体はおもいっきり下がり、いざ運んでいった。おかげで午後1時半には全部運び終わり、家に帰って昼ごはんDsc000331をたべて、テレビの旅番組を見ながらさすがに疲れが出てきて、夕方5時までうとうとしていた。

 ところで、家には庭にカリンの木があるが、これは毎年ほっていても大きな黄色の実をつける。今年ももうそろそろもぎ取らないと落ちてしまう。最後も一番大きな実を今日もいだ。

Dsc00032

2006年12月 9日 (土)

音楽バンドの一日

 きょうは休日。しかし、地域で障害者団体のクリスマス会に演奏をしにいくため、朝から曲目の練習、機材の用意であわただしく過ぎた。

 演奏は午後3時半だが、すでに午前11時のは現地に行った。現地といっても自宅マンションから歩いて5分程度。しかし早く行っていてよかった。会場は婦人センターというところできれいな建物だが、肝心のホールの音響設備は二流としかいえない。マイクはワイヤレス1本と有線マイク1本。これではわがバンド3人のボーカルマイクが足りない。

 しかたがないので、いつもうたごえ喫茶で使っているコンパクト音響セットを持ってくることにした。いつも会場に行ってみないと実際の状況はわからないものだ。Dsc00034_1

本番は、音量調整ができない状態だったが、数々の失敗の経験からうまくいった。今般障害者自立支援法というのができて、実際は障害者にとっては、負担が増え、ますます生活しにくくなっているのは最近よく言われる。しかし今日は参加者や介護する先生たちは、そこぬけの明るい。 

おかげで、僕たちの演奏にもよくノッテきた

 さて今日は雨が昼間も続き、会が終わり機材をもって帰るころも雨もよう。わが愛車プレーリーが役に立った。以前も話したとおり雨の日も地下駐車場に入れると、まったく雨にぬれずに家に入れる。Dsc00036

Dsc00037

 帰りは4時半になっていたが、5時からFM大阪の「アバンティ」を聞きながらゆっくり新聞を読んだり、あと米を買いにいく必要があったが、小型ラジオのイヤホンを耳につけて、それを聞きながら雨に歩道を歩いていくとなにかしっとり落ち着いた気分になれた。

2006年12月 8日 (金)

消防訓練で切れる

 今日の朝の通勤時の藻川付近の道路温度表示は11℃。昨日より3度高い。ただ昨日の雨の影響で道路はところどころ濡れていた。今日はテーピング付きタイツを履いているので、回転がいい。

 職場では今日午前10時から消防訓練をした。前回実施してから5年はたっているかもしれない。また新会館(昨年3月完成)に移ってから初めてなので、警備のシステムがよくわかっていない。

 警報をならしても誰も動こうとしない。デスクで仕事をしたまま。昨日から予告しているし、概略の案内も渡しているのにどうなっているんだ!と頭にきてしまって、ついに大声で「すぐ動いてください!」と叫んでしまった。ここ数日インフルエンザ予防接種の段取り。コンピュータシステムの変更説明会など、全体が集まってもらわないといけない行事が続いた。なかには自分がやるはずではなかったこともあるが、全部責任が回ってきてしまった。その緊張感の続きすぎで切れてしまった。

 そのあとはほぼ全員ビル外に非難したが、本当に火事になったらどうなるかちょっと不安だ。周りを伺わなくても自分から判断して動くようになってほしい。

 さて朝の通勤で職場に近づいたとき、交差点でビアンキのそれも同じイエローとブルーの色彩のものに乗った青年に遭遇。おそらく2003年製だろう。ちょっと近づいて声をかけようと思ったが、信号で先に行ってしまった。服装は普通のラフなスタイルだ。でもちょっとうれしい。

 帰りは夜の会議があり、そのあとだったので午後8時半を過ぎていたが、国道2号線を歌島交差点に入ったとき、カップルでロードとクロスに乗っている2人が、交差点で右から入ってきた。なんで今ごろ走っているんだろうと思ったが、信号が変わって結構早いスピードだったが、ただこちらのほうが早いので、抜かさるを得ず、左手をあげて抜かした。ただ残念だったのは、小さな交差点だが、赤信号で直進していってなにか僕を抜かそうと意識したように感じたことだ。そんなことで競争するなよという感じだ。だが、そのあとは抜かしては交差点で後ろに遅れてついている。でもこちらも声はかけなかった。

 そのときのフィーリングがある。声をかけようと思える人は直感で、わかる。

 とにかく毎日走っているといろんな人に出会う。

 ただ11月に設定した4万kmの達成がいつかわからなくなってきた。まあ体は絶好調になってきたので年内は毎日走れると予想して12月28日をゴールをしたい。

2006年12月 7日 (木)

朝の道路温度8℃

 朝は「今日はどんな格好で出かけるようか」とちょっと迷う。しかし幾分厚めで行ったほうが無難だと思い、厚めで出かけた。つまり上半身は、長袖の防寒下着に長袖自転車シャツ、その上にトレーナー、その上に冬用自転車上着。下半身は厚めのタイツに自転車用タイツ。手袋は、昨日までのものをデイパックにしまって、冬用の厚めものに。

  走りながらもっと寒くなったら何で防寒を増やせるか考える。頭は、耳隠し。上半身はトレーナーのかわりに毛糸のセーター。足さきは、貼るカイロ。これいじょうは難しい。ただ一冬を通じてー1℃というときが1~3日はあるので、そのときはさらに防寒が必要だ。

 帰りは、雨。職場にストックしているカッパを着たが、だいぶ古いので、防水の効果が少なく、中も濡れる。

 しかし雨の夜は安全性からいうと最悪の条件だ。今日も緊張しながら走った。めがねの内側が曇る。対向車のライトでよけい視界を見えにくくされる。ブレーキの効き具合が半減する。タイヤのグリップ力はわからないが確実に落ちていて、すべりやすい。

 帰る途中、なにわ筋でずっとむこうで落車している場面を見てしまった。それは一般用自転車の方だが、倒れて起き上がってもいたそうにしていた。

 また尼崎に入ってからも路肩に止まっている自動車が多く、こちらにとってはとても危険だ。いちいち右側によらないといけない。後ろが見難いのでそういった自動車が大変迷惑だ。

 それに今日は家に帰ってからわがバンド「オヤジーズ」の練習が夜7時半からあるので、ちょっとあせる。しかし、「まあいいや。帰ったら取り合えず即席ラーメンでも食べよう」と気楽に考えを切り替えたので、ゆっくり帰ることにする。まあなんとか6時45分には家につけえたので、そのあとシャワーを浴びて、ラーメンを作って食べてもまだちょっと余裕があった。あさっては障害者団体のあつまりで演奏する予定だ。

2006年12月 6日 (水)

体は復活。自転車通勤

Dsc00031_1 鼻はまだ詰まった感じはあるが、完全復活宣言である。ただ、今日は昨日の深夜会議で午前中は休暇をとった。それで午前中今月10日ぐらいがタイムリミットで手続きしなければならないマンションの管理費の引き落とし手続きの用紙を銀行に持っていくのと、長男に送金するため郵便局へも行った。案外30分ぐらいで処理は終わった。

それでちょっとうれしくなり、家へ帰ってから残り2時間しか自由時間はないが、このブログのために2番目に使っているノートパソコンに直接デジカメの画像が取り込めるようにしようと挑戦したが、結局カメラからのUSB端子が反応しないことがわかり、あきらめた。

 すでに11時になっていたので、そろそろ職場へ行く準備。自転車でいくことにしていたので、昼食は早めにたべようとさっそくうどん作りとウェアと荷物の準備を同時並行で急いだ。

 12時まえに家を出たが、昼間はやはり道路の様子がちがう。のんびりしているというか、繁華街では駐車中の車が多い。出発する前タイヤの空気圧を手で触って確認したが、後ろタイヤがあきらかに減っていた。さっそく空気を入れる。これで前後完璧。運転中道路からの振動はダイレクトに伝わるが、この刺激はまたいい。しかし、自分の大腿筋をまわす感じで車体は進んでいく。なんと言ってもシンプルそのもの。

 ウェアはちょっと着すぎかなと思ったが、まあまあ快適。おかげで12時40ごろ職場についてしまった。

 仕事は午後からばたばたと進み、インフルエンザ予防接種の世話役、続いてコンピュータシステムの来年からの変更のための説明会の呼びかけなど、あっというまに5時になってしまった。あさっても消防訓練の世話役があり忙しい。

 帰りの自転車はかなり追い風気味で足は軽い。しかしぼくの前にきた車が左折するケースが多く、あまりスピードをあげられない場面が多かった。しかし今日はなぜか満足。

 やはり体が全快しているせいだろう。しかも今日は予防接種も受けているのに。

2006年12月 5日 (火)

夜の会議は自動車で

 今日は夜8時半から会議に参加しないといけない。なにせ歯科の開業医が役員だから平日は診療を終えてかたずけをすますと8時を過ぎる。

 そのため僕の今日のモチベーションは朝からすでに夜を照準あわせていた。昼ましていたことはよく覚えていない。

 しかし、5時の終業チャイムがなると、夜まで長いので、やっぱり一度家に帰ることにした。5時すぎに帰ると6時すぎには家につける。そのとおりにした。結局そのほうが、あとかえって来る息子たちの食事を買ってかえれたし、風呂に入れたし、洗濯ものをある程度たためたし、気分もリフレッシュできた。

 そんなこんなをしているうち午後7時40分にわがプレーリーに乗って家を出た。車の利点は夜だと道がすいていて早く目的地につけること、CDが聞けることだ。CDは行きは、またゴスペラーズで、帰りはハモニカ奏者、トゥーツ・シールマンの「この素晴らしき世界」。キーボードがケニー・ワーナーとどちらも名手らしい。帰りはとくにこの音楽でいやされる。夜のビルの明かりが幻想的だ。

 会議は予想したよりけじめよく気持ちがいいぐらい全体での合意を得て終わった。ただ内容は涙が出るほど悔しさが残る。しかし若い歯科医師の決断力はすばらしいと思った。

 自転車と関係のない世界を語っているが、車も使いかたによっては、役に立つなと思う。ただ自転車や歩きの時の自動車を見て思うが「こんな生活道路に入ってくるなよ」と思うことが多々ある。僕は主要道路の出るまでの生活道路はしかたがないが、そのほかならまず幹線道路を使うようにしている。

 だって歩いているとき自動車が走ってくるだけで脅威だ。げんにそれで最近集団での死亡事故をおこっている。

 やはり実際自動車が主流になっていることを受け入れるとしても、運転者はできるだけ人間がおもに通る道は通るべきでない。自分の家に帰るためとしても最大限徐行運転で走ってほしい。

 日本で本当の人間優先のモラルが定着するのはいつのことだろう・・・・・・・・。

2006年12月 4日 (月)

月曜日は自転車で

 月曜日はやはり出勤するのが一番気が重い日だが、「いざ、自転車で」と気合を入れると出だしはスムーズだ。

 今日はいちだんと寒いと天気予報では報じていて、サイクリングタイツの下にまたタイツ。上半身は、厚めの下着に自転車用長袖ウェア、その上に薄めのジャージ。その上にサイクリング上着を着てみた。これでちょうどいい。ただグローブは指まで隠すものだが、それでも走りはじめは寒い。そのうちもっと厚めのグローブに変えることになる。ヘルメットはいつものタイプから以前使っていたイエローのちょっと穴のすくないのに変えてみた。

 20分も走ると寒さは感じず、逆に暑くなってくる。おまけに水筒は、魔法瓶タイプの新型に変えているので、さめない。中はもっぱらお茶だ。

 職場に着いて今日は昼から近畿ブロックの事務局長会議というのがあることにきずき、懇親会が5時過ぎからあるので、夜が遅くなるのにきずく。

 懇親会の時間になると、自転車で帰ることを決意し、酒はほとんど会の間我慢していた。そのためみんなの話の乗りについていけず、苦痛の2時間だった。

 しかし、なんとか8時半から家に向かってペダルをこぎ、調子よく帰ることができた。明日は、またよる8時30分から会議に出ないといけない。通勤はなにで行くか揺らぐところだ。

 さて、昨日書き忘れたが、なぜか、すももの木に小鳥の家があったら素敵だなと思い、ベランダを作ったときに木の切れ端で小屋を作った。Dsc00028_1

これはひょっとするとメジロでも住んでくれるんじゃないかと今から楽しみなのである。

2006年12月 3日 (日)

陽だまりに誘われて

 朝起きたのは、8時すぎ。夏場はやけに朝早く目がさめて、加齢の影響かと思ったりしていたが、最近は朝なかなか明るくならないせいか、遅くまでよく眠れる。

 今日はとくに予定もない。予定がないということはいいものだ。テレビで「趣味の園芸」「日曜美術館」を見るのが、朝ゆっくりしているの日曜日の定番。

 きょうの日曜美術館は建築家の伊東豊雄。はじめてこの人を知ったが、コンピュータを使いこなし、その上で自然との融合や、自然のスタイルを取り入れている。福岡の埋立地での美術館だったか、圧巻である。床は自然にスロープしている。普通は考えられない。その建物は年数が経てばたつほど、その埋め立て地の平地だらけの中で丘があるように見えることをめざしているという。それは2棟ぐらいのまあるい屋根の上は、緑で覆われていることがそれを意味する。廊下を進むとその緑に屋根に通じる。近くの人口池はなぎさのような遠浅だが、渡り鳥がきているようだ。

 伊東さんの建築jのめざすものは、ITが発達し、それが進化すればするほど、その先に自然のメカニズムと融合した新しい概念が生まれてくる。それを目指しているということだ。

 つまり僕的な解釈では、科学が進めば進むほど人間と自然の本来の姿に到達する。ただしもとの自然だけの世界ではない。次世代の人間と自然を重視した世界である。またまたこじつけると、自転車という乗り物もその流れにふさわしい機械だとふと思ってしまって、ちょっと伊東さんと言葉に感動してしまった。

 むかし手塚治虫のまんがの中の未来社会に、地上の上を幾重にも重なる道路、高層建築の林立する街、それがが新しい社会のあるべきすがたのように考えていた。しかしそれが今現実になった状態を考えてみると、都市には不恰好な高速道路が幾重にも走っているが、決して景観が言い訳ではなく、その下は光を遮断する。これは本当の進化ではない。

 今ようやくその悪弊が考え直されつつかる。実際あの小泉前首相も東京の日本橋(旧東海道の起点)の上に高速道路を取り去ることを提案していた。韓国では実際に高速道路を撤去して、もとの運河を復活したという実例も生まれている。

 きっと遠くない未来では、遠距離での食料輸送などがなくなり、地域の発展と近郊農業が守られる中で、車の量が飛躍的に減り、ある程度遠距離でも、今に自転車という概念でしばられなくても、自分の体を動力にした移動手段が主流になると空想してみる。そうすると楽しい。そのころは当然「急ぐ」「あせる」ということばがなくなって、ゆっくり移動を楽しむという思想が一般的になると考えて見たい。

 きっと相乗効果で生活習慣病といわれるものは飛躍的に減る。もっとみんな高齢まで元気に暮らせる。田舎に憧れなくても都会でも自然がふんだんになっている。

 そんな空想をすると楽しい。

2006年12月 2日 (土)

ノロウイルス撃退

 今日はかなり寒い。朝からの通勤であったが、電車でいくことにした。ところが、駅に着いて見ると、アナウンスで「芦屋と西宮の間の踏み切りで、こどもが進入したため、普通電車が調整で8分送れます」と説明がある。

 今さら引き返すわけにいかないので、券を買ってプラットホームで待っていたが、自転車通勤するべきだったかと後悔した。しかしJRは延着が多い。

 行きの尼崎での乗り換えで優先座席しか開いていず、座ってしまったが、立っている人の中に小さな子どもを抱いて入ってきた若いお母さんがいて、条件反射的に交代した。わざわざ横をあけて座ってくれて、どうぞと言われたが、座るには密着しすぎる幅なので、「いいです」と断った。

 ところがおもしろいのは、大阪駅で地下鉄四ツ橋線に乗り換えて、何気なく、なんばで降りて、地上に出て前の信号待ちで立ち止まると、どうもJRで座席を替わってあげた親子がすぐ前にいた。むこうはわからないようだったが、不思議な感じがした。

 帰りの電車ではJR大阪駅から席に座れたが、今度は端のおじさんが立っている老婆に席をゆずろうとしている。老婆といっても鬘をかぶっていておしゃれしている女性だが、「いいのよ」という感じで立ったままで、そのままそのおじさんと同じ「立花駅」まで話続けていた。ちょっと暖かい空気を感じて気持ちがよかった。

 今思い出したが、昨日テレビ番組で「探偵ナイトスクープ」をみたが、22歳の最近失恋したという青年が依頼者で、「フリーハグ」を実験してみたいという企画だった。見ず知らずと人と抱き合って挨拶しませんかというものだが、これはまずないだろうと思っていたが、だいぶ苦戦したあげく、ぽつぽつと本当にハグしてくる通行人が出てくる。その場面は、このせちがない世の中で、他人の壁を越えることを平気でできるひとが案外いるということに感激する、あったかいものを感じるものを共有できた。当然西田敏彦はなみだなみだだが、ぼくも涙が出てしまった。特に依頼者の彼に、探偵側で家族を呼んできて、おとうさん、おかあさん、おばあちゃん、弟と次々抱き合うとき、お互い泣いているのを見てまた涙がでた。彼は来年小学校の教師になることが決まっているのだが、自信がついたと言っていた。なかなかの好青年だ。

 やはり僕を人をとことん信じていこうと思う。でないと疑いばかりの社会では、救われない。何か希望がわいた体験だった。

2006年12月 1日 (金)

中仙道てくてく旅終わる

 今日はもともと休暇をとっていたので、ちょうど火曜日M医院に行ったときに血を検査することのなっていたので、その結果を聞きにいくのをかねて再びM医院に午前9時40分ごろ行った。

 しかし時間が悪かったのか、風邪が流行っているのか、患者は10人以上待合室にいた。「こりゃ、またされるな」と無意識に足がバックしかけたが、頭はしかたがないと靴を脱いで上がった。座るところを探して、入り口そばの臨時丸いすに腰掛けた。前回本棚でチェックしていた「縄文の声」という冊子を読もうと思ったが、本棚の近くにも患者さんが座っているので、取り出すことができす、どの辺にそれがあるか、チラッチラッとそのほうを見ていた。

 ようやくその患者さんが席を立ったので、すかさずその本を見つけ、手にとった。

 三内丸山古墳発掘実行委員会発行のこの冊子は、冊子といっても読み応えがある。なぜこの本が気になったかというと、僕は縄文時代とその文化にとくに興味をもっている。というのは最初は、新婚旅行のときに北海道に行って、アイヌ部落の中で、アイヌを研究する地元の研究家の本を購入し、それを読むと日本のあらゆる地域にアイヌ語に共通する地名がたくさん残っていて、それもアイヌ語の間に「っ」が入ることば「ノサップ」や「キリタップ」などと同じことが九州の「ベップ」ということばにあることを知ったことだ。

 その後自分で関連の本をいろいろ読んでいるうちにますます興味が出てきた。中には縄文のルーツの人々が太平洋をまたいで世界に広がっていったという仮説もある。縄文土器によく似たものが南米で発見されているという。

 ちょっとブログの趣旨をはずれるが、ものすごく興味がある。そして今日読んだ冊子を読むと三内丸山古墳の発見で、ますます縄文の概念が新しいものになってきているということを読み、期待するばかりだ。これは自転車生活と何の関連もない。いやひょっとすると何かでつながるかもしれない。じっくり考えて見たい。

 ただ、このM医院の本棚は、たくさん本を置いているが、ちょっと自分の本の傾向に似ている。椎名誠あり、歴史ものありで「ははあ」と思ってしまった。

 この2ヶ月で5回このM医院に通ったが、こんなことはいままではじめてで、自分は同じ世代の人より健康で、医者にかかるなどありえないと思う間違った気負いがあったが、医院に通うのもいいもんだなと思い始めた。それに自分の仕事は、その医院が使う材料、機械を提供することだから、そういう面でも患者の立場で医院に行くのは役に立つ。

 家へ帰ってから、筑紫哲也の10年ほど前出版の「この『くに』のゆくえ」を読みつつ、雑誌「バイシクルクラブ」も呼んだ。武蔵野市で自転車のあるべき道を模索していることと、都市計画の専門家(自転車まちづくり研究会)が考える「シェアザロード」のことがわずか1ページだが掲載していた。

 今スポーツバイク、なかでもロードバイクが急速に人気が出てきているらしい。それもマニアックな人だけじゃなくて、普通の若い女性までファッションという意味で。それは幕張で開かれた「サイクルモード」の記事の中に書かれていた。

 それだけに自転車販売業界でも、そのロードバイクが走りやすい道路環境がないと広がらないと考えているのだろう。このバイシクルクラブの「シェアザロード」に知られたメーカーが賛同してきている。

 話は変わって、NHK衛星第2で企画され、放送され続けてきた「中仙道てくてく旅」の主役、勅使川郁恵さん(元アイススケートショットトラック・オリンピック代表)がついに京都三条から歩ききって、東京日本橋に到着した。僕も全部は見れていないが、屈託ない彼女に注目していた。いまどき歩いてかっての主要街道を走破するという企画は好感がもてる。第一うそがない。前回の企画では東海道を走破するものがあって、サッカーで引退を決意していたもとサンフレッチェ広島の岩本選手がチャレンジャーで見事達成したが、かれは今日の番組でも祝福のため電話で出演していた。タダかれの紹介に驚いた。なんとかけてきた電話の場所はニュージーランドからで、そこでサッカーチームの代表になっているのだ。

 たしかひざの痛みでサッカーを諦めていて、その東海道の企画を受けたのだが、その毎日のウォーキングがリハビリになっていて、ひざの故障がなおり、他国のチームでカムバックしているというのだ。これは僕にとって感動ものだ。

 やはり人間は歩かないといけないようになっているのではないか。それから今書きながら思い出したが、縄文の冊子の中に縄文人の骨格の研究について書いている部分があって、それは今の日本人より背丈は低いが、なんと骨の形状は、今のスポーツ選手なみの筋肉の発達に対応した骨格の形になっているというのだ。そしてひざから下の骨、腕も先端部分の長さの割合が今の日本人より高い。哺乳類ではピューマやヒョウがそうであるらしい。早い走りがやりやすいような形なのだ。それは1万年から5千年前の祖先の姿だ。

 現代人は自動車という便利や移動手段を発明したり、ほかにも楽な生活を享受したが、大事なものを失っている。一方自転車はその便利さの一部ではあるが、少なくとも自分の足と体を動かしながら、自然の空気と過剰でないスピードで移動する祖先のながれを保ちつつ、現在の便利さももっている恐るべき発明品ではないだろうか(こぢつけと思いますか)。 自分なりに答えを導きだせた。

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