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2011年6月12日 (日)

宮城より夜明けの帰阪 さわやかな気分だ

__2  車中泊2日の大震災救援ボランティア参加の活動は、無事終了し、今日朝6時30分、大阪梅田駅に帰阪した。

 いつかは、支援活動に参加したいと思っていながら、もんもんとしてものがあったことはまちがいなく、今回の企画は、渡りに船だった。

 人によっては、12時間もバスで移動と車中泊、帰りも同じ、そんな強行軍はたいへんだという意見をいただいたが、やはりこの3か月、ずっとマスメディアの情報しか与えられてこなかったことに、こんな歴史的事実に対して、これでいいのかともんもんしたものがあっただけに、苦に感じるより行ってみたいということの気持が上回っていた。

 実際行動してきて、同じバスの参加者も同じ思いであることが、自己紹介の中で知り、こんなに目的がはっきりした旅行というか、長距離移動は、またとない機会だとあらためて思った。

 __1 みんな純粋な気持ちで参加している。

 支援に入ったWさん宅は、老夫婦が暮らす家だが、かなり広い土地をもっている。

 しかし震災当日の話を体験した人から聞くというのは、貴重な情報だ。

 南三陸町ほど津波の高さは、高くはなかったが、それでも3mぐらいはあったらしい。

 ある意味ご夫婦は逃げ遅れ、津波にのみこまれそうになっのだが、間一髪あそびにきていた孫たちと巻き込まれるのを免れた。

 しかしその現場を見ていたらしく、線路を通して、反対側から家が浮いてきて、Wさんの家まで浮いてきて通りすぎ、近くの空き地でとまったという。  

 そんなことで、W{さんの家のまわりはうずたかく積もったがれきが2mmもあったらしいが、ぼくたちが来る2日前、個人的支援に入ったAさんがトラクター持参でWさん宅のがれきを無償で撤去してくれたと話していた。

 ただその中に遺体が2人発見されたという。

 人口15,000人の町で、死亡者672人。ほとんど津波に飲み込まれたと思われる。

 今もJR常磐線東側は水道、電気が復旧されていないし、その常磐線も不通のままだ。駅の線路が痛々しくさびきっている。

 まさにマスコミがまったくやってきてない地域だ。

 今回の行動は、地元社会福祉協議会が現地窓口で、大阪社会福祉協議会との連携で、大阪の民医連がそれに登録する形で地域が指定されたという仕組みだ。

 個人で行くには、途方に暮れる。

 やはり「百聞は一見にしかり」だ。やはりどんな形でも被災地に入り、被災地に手助けをし、その話を現地の人の声で、聞くべきだろう。

 朝7時まえに電車に乗って、JR立花で降りた。

 そんなに疲れはないと思ったが、やはりじわじわとやってきた。

 しかしまだ休みの1日は十分ある。

 __ かなり終盤まで読み続けている「江戸に学ぶエコ生活術」を読み続ける。

 ただ何回も居眠りでとまってしまった。しかし昼過ぎ読み終えた。作者アズビー・ブラウンは外国人であるが、詳細に江戸時代の江戸にの都市の街づくりが調べられている。

 本当に無駄のない糞尿まで使い切るエコ生活だ。

 というか、ほんの100年前まで、人間は分相応のエネルギーと物の使い方をしてきたのだ。

 いつから自然を無視する考えが主流になってきたのか。いつから歩くことをさぼろうとするようになったのか。

 本当にいろんなことを考えさせられる3.11以後の2011年という年だ。

 夕食は、妻との相談で自分が作__3ることにした。

 ごく質素な魚とじゃがいも、イカの煮ものにみずなを湯にとおしたものでまとめた。

 外は雨が降っている。

 今日はやっと3日ぶりで、ふとんで足を伸ばして寝れる。

 できることなら、1年後か2年後支援に入った山元町とWさん宅を訪れてみたい。

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