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2012年3月11日 (日)

3.11一周年をログで過ごす

 012  朝目を覚ますと、当たり前だが、ログにいることを再確認する。

 それに今日は3.11だということも。

 もう一つ今日の課題があって、午前中10時ごろから、自転車で、ふきのとうを探しに出掛けた。

 もともと以前見つけた場所のポイントを知っている。

 ログから外に出て、近くの古い村の小川の土手だ。

 しかし、まったく発見できない。時期が違うのか、よくわからない。

 たしか雪解けを、待たずに出てくるということだから絶好のチャンスかと思ったが、残念だった。

 ログにもどって、その自転車の不良部分を修理してみたが、ちょっと道具が足らないので、応急措置をした。

 次いでに、雪にさらされ、初めてこの地で冬を過ごした家から庭の植え変えた木々の様子を調べた。

002 カリンの木の枝に微かにすぼみが生きていた。ちょっとうれしい。

 室内にもどって、昨日から読み続けている「下町ロボット」を読む。

 涙なみだの物語だ。悲しい涙ではない。

 感動の涙だ。

 大手宇宙開発企業にまけない技術を思い知らせる内容と、最後にその製品が取り入れられ、実際にロケット打ち上げに成功するところで話は終わるが、佃社長の社員との接し方の気さくさと船内だったか、銀行から出向の身分でありながら、この会社に愛着と確かさを感じ、成長していく姿もいい。

 人間のドロドロして思惑でなく、技術の高さの客観的事実がまさっていくということもいい。 それはちょっと昼を挟んで、午後2時40分に読み終えた。

 それから2時46分に3.11のまさに1周年の時間、黙とうをしようと、テレビをつけると読売を覗くすべてのチャンネルは、国主催の追悼集会を映していた。

 おどろいたのは、君が代が流れていることだ。

 ちょっと自分自身はしらけた。

 大震災を利用した国家的弁明の集会に見えた。

 ただとにかく46分には1分間の黙とうをテレビといっしょにした。

 ただ君が代と日の丸には言いたいことがあって、今大阪で君が代条例が話題になっているが、ぼくに言わせると、「君が代」という歌ほど国家として貧弱な音楽はないと思っている。

 客観的に音楽的に考えても、何の感動もなく、メロディーも抑揚もなく、面白さは皆無だ。

 なにが言いたいかというと、何故戦後65年経って今まで、あたらしい国歌を作ろうという運動にならなかったのか不思議でしからがない。

 これは左翼、右翼の思想の、問題以前の問題だ。

 だいたいメロディーの発生も明治時代に急ごしらえで考えてドイツの音楽のメロディーを代用したという話もある。歌詞も何かの古い既成のものから使ったらしい。

 なんで戦争が敗戦で迎え、新しい時代を過去の反省のもとに憲法も変わり、出発しようとするときに、戦前の国歌を踏襲したのかわからない。

 ぼくはあえていいたい。新しい国歌をつくろうと。日本はすばらしい音楽家がたくさんいるんだ。 国民化から広く募集し、数作品にしぼって、国民投票すればいい。

 それなら国歌を歌うとき、起立することは当然だし、誰も反対しないだろう。

 不起立に固執するのは、あの戦争の歴史をその歌がひきずっているからだろう。

 国民誰もが理解できる国家にすればいいのだ。

 国旗もまたしかりだ。あの今の国旗「日の丸」は、その発生もいいかげんだし、侵略戦争を遂行するための象徴であり、たくさんの他国の人たちを虐殺したときにその旗は立っていたし、地に染められてきた。

 そんなトラウマのような国旗をなぜ戦後も踏襲したのか。日本という国のセンスの問題だ。

 そんなことをつい考えてしまった。

 2011年の大変な国の曲がり角であるからこそ、国のすすむべき新しい方向とそれを象徴する国歌、国旗は見直されてもいいのではないか。

 黙とうのあと、すぐ帰る準備にかかる。

 また来週も来る予定なので、楽しみでもある。

013



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