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-天気予報コム-

2009年10月 7日 (水)

台風近し!大事をとって電車通勤に

001  台風というと最近は近畿に来ることはないものとして安心していたが、今回の18号は、太平洋を上昇するころから、台風予報でどうも近畿を直撃すると予想していた。

 それで通勤は自分なりのマニュアルで「台風は乗らない」という規定にしたがい、電車で行くことにした。 

 しかし朝はまだ霧雨状態でたいしたことはなかった。

 職場について、yahoo台風情報を見ると、明日の朝は中心が大阪近辺に来ることが予想される。

 それにその威力は945ヘストパスカル。かなり強力だ。

 職場での指示は、朝警報が解除されていない状態では、出勤を遅らせるように申し合わせた。

 003_2 仕事を終えて家に帰って、食事の後庭に出ていた熱帯性の植物、バナナ、パッションフルーツ、コーヒー、ベンシャミンの鉢植えの木を室内に入れた。バナナは実際大きくなっている。2男と一苦労して運んだ。この移動で発見したが、パッションフルーツに実がなっていた。

 まあこれで一安心というところだ。

 それにしてもこの台風でまた死者や行方不明者が出るとしたら、辛いところだ。

 明日も出勤するとしても電車しかないだろう。

2009年4月15日 (水)

昨日の雨のなごりをシューズに感じて

 002 001

 庭のぶどうの葉が開いてきた。おまけに幹の下から生えてきた枝のバレリーナツリーの花もきれいだ。

 

 昨日は、久々の雨モードだったが、今日になっても、シューズは乾かないままだ。乾燥機の上においておけばよかったか。

 今日の気温もはかりしれないが、一応夏モードで半袖、ハーフレーサーパンツで行く。

 昨日クローズアップした阿波座手前の交差点は、今日は、なんと赤信号でほとんどの人が止まっているではないか。003_2

最初の数人が止まれば、そうなるのか。

 いやしかししばらくすると赤の状態で渡りだした。

 まあそれでもこの交差点にしては奇跡の瞬間と言ってもいい。

 今後のこの信号前の様子がおもしろくなってきた。

 

 ところで今日会った仲間は一人いる。グレッグ・レモン車のAくんだ。海老江交差点で前にいるのを発見。おいついて声をかけたが、どうも疲れているのか、前を引かない。それで、先を走っていったが、後ろをついてこない。

 ちょっと事情があるのだろう。

 それにしても僕自身は体の調子は絶好調だ。職場についても疲れはない。しかし今日は職員の採用試験日で、前で挨拶をしないといけない。かなりのプレッシャーがかかっている。まあしかし娘がそうであったように、応募する側の若者たちは必死なのだろうなと、その気持ちが伝わってくる。一人だけしか選べないのが辛い。

 ほどなく午前中でその業務も終え、なにやかな忙しかった。

 帰りは、全員に配る資料の印刷で手間取り、6時前になってしまったが、すぐユニホームに着替え、職場を出る。

 帰りは、ゆっくり走りたい。ところが、海老江交差点で、前に2台ロードバイクがいた。

 よし今日はついていかないよういにしよう。と心に誓ったが、淀川大橋を登っていると、前のロードバイカーは早いと思いきや、自分が接近してしまい、後ろに付いていったが、どうもスピードが落ちてくる。やむなく追い抜く。

 004 005 しかたがないなあ。という感じで高速モードになってしまい、35km/h平均ぐらいになってしまった。

 やばい。と思いつつ走る。

 そのうち後ろには、ついてくるバイカーが誰もいない。

 まあ、いいか。そのままのペースで走る。

 家には、買い物して帰る時間と同じ、午後7時ぐらいに到着した。

 昨日コープでやたらに試食を勧められ、買ってしまった大豆ハンバーグが残っている。それをメインメニューにして夕食を作った。

 それにしてもまた最近ロードバイク通勤がたのしくなってきた。

 

 

2009年1月17日 (土)

阪神淡路大震災から14年、それはスキーから帰った翌日だった

 今日1月17日は決して忘れない。あれから14年が過ぎたわけだが、当時6歳だった子どもたちが、今年成人するのだがら、時の流れの速さをあらためて感じる。

 さてわが家はどうだったんだろう。あの日はちょうど1泊2日で兵庫の温泉町にもう1件の家族とスキーに行って帰った翌日の早朝のできごとだった。

 当時は今のマンションの前のマンションに住んでいたのだが、夫婦は、書棚とピアノにはさまれた真ん中で寝ていた。あと4人の子どもたちは、長男は1室のベッドで、他の3人は畳の部屋に布団をひいて寝ていた。

 どちらかというと一番危険な状態なのは、自分たちで、そのことは常に頭にあったわけだが、あの日は午前5時45分ごろ床が振動しだし、ふと目が覚めたが、だんだん振動が大きくなるのがわかり、思わず、立ってピアノを支えた。それから子どもたちに叫んだが、どこまでその揺れが続くのかわからない。今まで体験した範疇とはちがうゆれだ。じっとしているしかたがない。しかし地震のゆれは本当に恐ろしい。

 1分ほどの揺れだったのか、さだかではないが、一応収まって子どもたちの部屋に向かう。長男の部屋のドアには反対側の棚が倒れかかっていて明けられない。それを起こした。

 台所では、たしかかなりの食器が散乱している。

 なにがおこったのだろうと、表に出た。何人かが出てきていた。ずっと南の方では煙が上がっている。

 とにかくマンションの前に公園があるので、そこに非難した。ただし1月17日という日は今日と同じようにかなり寒い。

 家から当時庭においていた小型焼却炉を出してきて、まわりの人と一緒に暖を取った。

 ただその日の情報がない。

 ひとしきりみんなで待機していたが、そこらでガス臭さを感じたりした。

 家にもどると、一時停電した電気はなんとか復旧しているようなので、テレビをつけると、淡路島のどこかが震源で大きな地震が発生していたことが発表されていた。神戸付近の上空からの映像があったが、そこらじゅうで煙が上がっているようだった。

 もちろん電車は不通だった。月曜日なので仕事の日で、とにかく公衆電話で職場に連絡をとろうとしたが、かからない。結局夕方まで繋がらず、結局その日は職場にいけなかった。

 それで町中をまわり、同じ少年団の家庭に被害がないか見て回った。駅近くのマンションが一棟、マンションごと1階分崩れている。そこには少年団の家庭が一件あったのだ。

 また各地の交差点で水道管が破裂している。

 その日の生活はどうしたのかよく覚えていないが、水道は停止。ガスは停止。電気だけが正常だった。それで風呂には入れない。キャンプ用ガスコンロで食事はなんとかなった。

 翌日は仕事に行く必要があったので、今と同じように毎日自転車通勤はしていなかったが、臨時で自転車通勤した。

 そんなこんなで今思い出すとかなり大変なことがそのあともずっとあったわけだ。

 ただ自分が自転車通勤をするようになったきっかけもこの時にあったのかもしれない。またその年あるべき行事がことごとく自粛されたため、休みという休みはマウンテンバイクで北摂の山々や、しばらくして被害のひどい六甲も走った。登山で六甲荒地山付近をのぼった時はひどかった。本来あるべき道が岩の崩れで閉ざされていた。 

 考えてみるとあの出来事は何かの基点になっているように思う。そのあといろんなことが変わったし、建物に対して抱いていた根拠のない安心感がくずれた。

 数年後、今考えると心身症ではないかと今思うのだが、仕事をやめることを真剣に考え、実行に移しかけたときがある。

 まあそのあとある意味吹っ切れていまにいたっているわけだが、あの1995年は自分の人生にも大きな影響をあたえている。それはたくさんの人がそうなのだと思う。

 ただあの震災を決して忘れてはいけないと今日は心に誓おう。

2008年12月16日 (火)

朝マウンテンバイクにいきなり抜かれる

001  昨日と同じ着こなしで出発したが、ちょっと暑い。

 稲川橋温度計は6℃だった。昨日と1℃高いだけでこんなに違うのか、感心する。

 タイツが分厚いせいか、スピードは、28km/hぐらいしか出ない。

 そんなとき、バイクが抜いていくのかと思ったら、見たことがないマウンテンバイクが必死で抜いていった。

「むむ、やり手か?」と後ろからマイペースで走った。

 しかし、知らない自転車通勤者が次々デビューしているように思う。またいなくなった人も多い。

 そのうちそのマウンテンバイクを捕らえ、逆抜きしてしまった。ぼくはとくにスピードを増したわけではない。彼がスピードダウンしてきたのだ。

 歌島交差点で、停止となり、また後ろから彼が信号の前で位置取りした。

 矢印青信号に変わり、ぼくは、次の200mぐらい先の信号を青でクリアするため、35km/hぐらいにスピードをあげる。そのまま彼をまた抜いてしまった。そのまま追いかけてこなかった。

 あのタイヤの太いマウンテンバイクにスピードで負けているようでは、ちょっとプライドが許さないが、無理はせず抜いていった。

 今日は後輪を家を出る前、空気を入れていたのでよかった。

 

 仕事は、それなりの緊張感もあり、作業もあり、充実しているわけだが、夕方日が暮れるのが早い。

 

 005

  走り始めるなにわ筋は、イチョウの葉がまだ辛うじて残っていて、それにライトがあたって道路ぞいはなかなかきれいだ。

 きょうもそのなにわ筋で、無灯火逆走自転車に3台ほど遭遇した。

 注意するのもいやになってきた。

 まあ、いつかは、きっちり左側通行を守る時代が来るだろうと、それだけを信じ、また走る。

 JR立花のバイパスは、ダンシングのまま上まで登る。

 そのまま信号を右折し、コープへ。昨日もらった500円券を使った。

 家では食事の準備を終え、風呂から上がると、2人の子どももそろい、妻もそろい4人で夕食。それは幸せな瞬間なのだろう。

 健康であることも幸せなことだろう。仕事を続けていられていることも、これだけ解雇がクローズアップされているときだけに幸せなのだろう。

 何ごとも前向きに生きることが今重要なことではないだろうかと思う。

 自転車通勤はそれを後押ししてくれているように思う。

 明日も元気に通勤しよう。

2008年10月 8日 (水)

ベイコムでもネット設定に1日をかける

004_2  今日は休みを取って、この間環境を変更したネット(ベイコミュニケッションー ケーブルテレビ)でまたこの2日苦労しるわけだが、今日はサポートセンターヘ腰を据えて助言をこおうと思った。

 しかしとにかく自分で何が問題か、あの手この手で触ってみた。

 今の問題は、家庭内ランで3台のパソコンを稼動させているが、MAC(2男使用)と、WINDOWS MEの2台がネットとつながっていない。それも無線ランでつないでいて、その問題点をまず置いていくため、無理やりランケーブルでつないでの挑戦だったが、問題が解決していない。唯一XPのパソコンがランケーブルを使って稼動しているという状態だ。

 朝10時ごろからサポートセンターの何度もアスセスするが、通じない。予想どおり込み合っているらしい。

 また自分であれこれ、ベイコミュニケションのホームページを開いて、対応マニュアルを見ていたが、解決しない。とにかく2男たちが使っているMACだけでもなんとかしたい。

 ただ、この際、自分がブログのために使っているMeのパソコンは故障が多い。よけいに複雑な原因を作っていると判断し、近くにあるコジマにパソコンを買いにいった。

 最近5,6万円でノートパソコンがあると新聞などで宣伝してたので、その線を探しにいったわけだが、最低は78,000円。しかもオフィスは入っていない。ただ家にあるバックアップ用の2003年度版オフィスCDがsダウンロードできると確認してもらったので、それを買うことにした。しかも展示品しかしれはないので、それを指示し、4,000円まけてもらった。

 すぐ持ち帰りはできなかったので、そのまま帰り、またサポートセンターに問い合わすと、たまたま通話可になった。

 女性のサポート係員が応対してくれたが、結果はつながらない。結局無線ランのバッファローに問い合わせほしいとの回答。

 一時落ちつくため昼食にする。

 食べ終わってすぐ、XPのパソコンからバッファローのホームページを開く。というのは、バッファローのサポートセンターもつながらないのだ。いかにトラブルというか、困っている人が多いかということだろうか。 

 それでホームページの問い合わせ例をさぐっていくと、どうも初期設定をぜんぶする必要があるらしい。そんなことはベイコムの工事に来たおじさんは一言もいっていなかった。

 それと関係あるかどうかだが、無線ラン親機のルーターが稼動していなかったことが、ベイコムの女性の指摘どうりだが、リセットボタンを慎重に押してみると、稼動しだし、点灯した。

 やった!!!という感じで原因がやっと見えてきた。つまり配分ができない状態だったので、1台しかつながらないのだ。

 そのあと2男のパソコンを3男が動かしてくれたが、あっという間につながった。ただ無線ではまだだめだ。まあとにかく有線でも今日のところはいいだろう。

 次にXPを無線ランでつながるか、何度か挑戦したが、ついにつながった。

 あと一台に新パソコンは夕方でないと手に入らないので、ここで中断。

 しかしほっとした感覚で、無意識にピアノの前に座り、歌を歌いだした。気持ちがいい。

 夕方、食事の用意のため買い物に行く必要があったが、そのころコジマから電話で新パソコンのリカバリーが完了したと連絡が入った。

 それで、先にコープで買い物し、それからコジマに行った。

 そのあとはあわただしい。ようやく9時を過ぎ、いよいよ新パソコン(SOTEC WinBook)を立ち上げた。しかし画目が新しく配置に慣れていない。

 結局無線ランは、「ネットワークの管理者よりのパスワードを入力してください」というとこで、阻まれ、進めない。こんな指示は軽く書いてあるが、これはもう相当精通した人以外はこういった設定は、おそらくできないだろうと思う。

 それで今有線状態でリビングルームに線を這わして使っている。

 今日のブログはそれでうったものだ。

 ただ感想としては、たしかにケーブルからのネットはADSLに比べてずっとスピードが速いことは実感した。更新の遅い日は、2時間はゆうにかかっていたことがあるので、これは活気的だ。

 後問題は無線ランの稼動だ。

2008年9月 3日 (水)

朝突然の大雨、再度電車通勤に

080903de  朝はバケツをひっくり返したような大雨が降ってきた。

 妻はやむを得ず、その中を自転車で職場に向かった。時間はまだ7時20分。

 自分が出かける時間までまだ間がある。しかし今日は、多くの会社を招いて展示会の説明会があり、司会役でスーツを着ないといけない。

 去年はデイパックにスーツを入れて自転車で行ったのだが、今日はちょっと様子が違う。雨が降っているのでやっかいだ。

 ええい。今日も電車で行くか。ということに決定した。

 しかし雨もだいぶ小降りになったが、駅まで約15分歩いていくが、サラリーマンの男性は誰もスーツの上着を着ていない。

 昨日飲んだ席で、一般企業は上下スーツが常等だ。という意見があたっが、なんのことはない。その先入観で、きょうはぶくは上着を着て歩いていたが、決してそれが主流ではない。あっけにとられた。

 なにせ日ごろは、自転車通勤なので、スーツの上着を着ることが皆無だ。ただネクタイは日ごろからしている。

 まあしかしそのまま電車に乗った。次の電車に乗り換えるとき、連絡路を歩くが、いわば地方から都会へ出てきた人そのもので、むこうからやってくる人をよける要領が悪い。

「みんなうまいことあるくなー」と感心する。

 職場について、頭はその説明会のことでいっぱいだ。就業チャイムがあるなり、バタバタする。しかしあっという間に今日の仕事は終わったようだ。

 夕方ははやく帰ることに固く決めていたので、ロッカールームからスーツの上着を出してタイムカードを押し、帰路にむかう。

 帰りJR立花で降り、コープ立花店に入る。洗濯洗剤と化粧品とアイスクリームとビールを買って帰る。西の空は沢山の雲の間にオレンジ色にもえるている。

 一つ仕事を終えた安堵感が沸きあがってきた。

 家にかえって夕食に用意をした。

2008年8月11日 (月)

暑い、暑いお盆休み前の通勤

Photo  3日ぶりの自転車通勤である。暑さには、家の中でもだいぶ慣れてきたが、それでも今日は朝から晴天。走り始めから暑い。sun

 2号線は、いくぶん休みに入った企業が多いのか、自動車の台数は減ったように思う。しかし、西淀川に入った左門戸橋あたりからは、大型車も多く、渋滞していた。空いていると、いっきに歌島交差点を信号が変わらずにわたれるが、今日はあきらめた。

 coldsweats02そこで日陰の歩道に上がる。そしてボトルの水をヘルメットを脱いで頭からかける。

 信号が変わって走りだすと、ここは次の信号めざしてスピードをあげるところだが、水を浴びた頭が生き返るようだ。2つ目の野里交差点でまた日陰に入る。淀川の橋をこれから上るので、もう一度水をかぶる。

 それを近くのバイクの青年がどう思ってみているのか、こちらに視点が向いている。とにかく、そこから淀川大橋をリラックスしながら登る。

 あらためて気づいたが、川の風が涼しさを感じさせてくれて、生き返る。

 そんなこんなで何とか職場までたどり着いたが、さすがにきつい。たしか道路温度は31℃をさしていた。

 仕事は、求人の件が山場。今日と明日は休みわけにはいかない。

 まああと一日働くと5日間の休みに入るわけだが、休みのやりたいことも目白押しだ。

 23日の星空映画会用のプロジェクターを西宮の取りに行く。それに9月半ばに娘に会いにシンガポールに予定だが、パスポートが期限切れ。旅券事務所のそれを新しく取りに行く。しかしインターネットで調べてみると、お盆期間中もあいていることは、わかったが、混雑する期間らしい。ただこの間に手続きしておくと取得は旅行に間に合うことがわかった。

 まあ、それなりに忙しいお盆休みになりそうだが、朝は急がなくてもいいだけうれしい。

2008年4月 1日 (火)

自転車走行は平日がいい!

080331  ぼくにとって自転車での走行は、6年間以上通勤で使っているせいか、平日が体にあっている。

 今日は、昨日のパソコン、プリンターの配線工事立会のあとの初めての営業日なので、気になって朝7時に家を出た。

 こんな時間に自転車通勤することはめったにない。それで出会う人は知らない人ばかり。

 おそらく今後会うことは一生ないかもしれない。

昨日からの雨が上がったばかりのようで道路は濡れている。稲川橋交差点からの下りは、先日書いた工事あとのがたがた道路に文句をいったが、今日はきれいに舗装をやりなおしていた。おかげでかなり早いペースでその部分は走れてうれしくなった。

 職場について、その工事後のIT機器に稼動状況を見た。何の問題もなかった。

 それでほっと安心した。

 しかし次の仕事と考えている入れ替えパソコンのデータの消去である。指定のソフトの入れ替えなど今日はとにかくいそがしい。

 それでその作業の1台が異常に消去データが多く、午後4時から設定して、なんと午後8時40分までかかってしまった。

 帰りの自転車通勤では、普通よりスピードを落として走った。 

2008年3月 2日 (日)

9条講演会、インパクトあり

Photo_2   今日は日曜日ではあるが、医科・歯科9条の会の講演会に出かける。

 やはり自転車でしかないでしょうということで、それで向かう。

 しかし、通勤モードになりきっていないせいか、どうも体が重い。約1時間かかって職場についた。

 すでに会場はかなり参加者が入っていた。

Photo_3  2時半からおいよいよ堤 美果さんがやってきた。今結構話題の人だ。とにかくあの2003年の9.11にはニューヨークの倒壊ビルのすぐ横のビルで野村証券社員として働いていた。

 今はジャーナリストとして活躍しているが、その9.11以降アメリカに対する価値観を180度変えた。

 アメリカは今国民の生活格差はひどく、それも意図的に作られてきたふしがあるらしいが、その貧困層や、高校の学力テストの低い学生を対象にイラクに送り込むノーハウを執政側は実践しているらしい。

 政権の犠牲になっているのは、戦争渦中のイラク人ばかりではなく、アメリカの貧困で暮らす自国の国民も同じだということだ。

 しかし2003年9.11以降、アメリカでは洪水のようにマスコミを使って「テロとの戦い」という大義名分をふりかざして国民はまちがった報道を刷り込まれてきた。

 堤さんは、世界の紛争の打開策は、相手をみとめ、少しでも話し合いでお互い理解を深めていくことだという。9条は世界から見直されている。

 ただ貧困を是とするのではなく、生活保障は、戦争を食い止める側面を持っているということに考えさせられた。

 体は小さい人だが、ほとばしるエネルギーを持っていると思った。

2008年2月13日 (水)

寒さ本番、凍結の道を走る

Photo  昨日の天気予報で、今日からかなり強い寒波が続くというニュースであったが、かなり覚悟で家を出た。

 やはり手の指に感じる痛さはある。いつもの稲川橋の温度表示は1℃であった。 

 ちょっと安心したというか、この温度なら今年一度経験している。

 歌島橋近くではもう寒さは感じなくなった。しかしところどころ道路の路肩付近に昨日の雨の残りの水分が凍りついている。というか光っている。

 「これはやばい!!」と言う感じで慎重にペダルを踏む。

 まあ、なんとか職場にたどりつくが、タイムカードの前には8時55分に着いた。

 それでも昨日の電車通勤のことを考えると、これほど気楽は気分はない。まったく自由だ。あの電車の中の混雑は恐怖感と不快さを感じてしまう。

 昨日の仕事時間は、なぜかモチベーションが低く、どうも調子に乗れなかったが、今日は頭がさえていた。

080213kaeru  帰りは寒さが本格的。途中でへんなクロスバイカーがいて、おお、おいつきそうだなと思ったとき、信号が赤になり、その赤信号を通り過ぎていった。それが2回ぐらいあって、見失ったが、尼崎に入って、また発見。

 よし、このままだとぬいてしまうという感じで、自然にぬいてしまった。その前は、ときどき見るロードバイカー。あまり洗練されていないスタイル。

しかし結構早い感じだ。

産業道路を越えて、結構年取った感じの車の運転手が徐行して走るので、その自転車は、スピードを落としたが、ぼくはその車を追いかけて、ずっとついて行った。

 後はコープ立花店に直行。2階でシャンプーとリンスとボディーソープと入浴剤を買った。

 家に帰ると暖かい。床暖房は今役立っている。

2007年11月 3日 (土)

疲れに疲れた金曜日

091  やっと金曜日。今週は梱包作業であけくれ、体の疲れはピークに達している。

 行きの通勤は、一度シャッターをと思っていた尼崎警察の交通警官の人にシャッターを押した。

 なぜかというと大阪市に比べ、尼崎は毎日ほとんど大きな交差点で交通整理をしている。なかには名物になりそうな年配警官がいて、歩道を渡る歩行者を誘導するため、信号のたびに移動している。なかには若くても立ったままなにもしない警官もいるが、この人は敬意を評したい。ただし今日シャッターを押したのは別の人である。092 093

ついでにいつの顔を合わせる白い髭のおじさん、子どもを送ってママチャリで淀川大橋を渡って大阪中心部まで走るチャパツの若者。

 この2人の方も自転車仲間と言える。

 さて仕事のほうは明日は出勤しなくても全作業を今日終えることを目標に全職員総出のような一日だった。

  結果的にみんなのがんばりで明日3日は、出勤しなくてもいいことになり、大喜び。

 ただし自分自身疲れは最高に達しているのだろう。

 夕方5時すぎ歯科の健康チェックを予約していたので、あわてて職場を出たが、歯科医院について、チェアーに寝かされると、眠気が襲ってくるが、スタッフの方の優しい対応で心癒された。

 ただ、もちろん職場から自転車でいくわけだから自転車ウェアで行ったのだが、そのスタッフの方に、自転車のクリートのついた靴のことやら、ロードバイクの性能のことなど、10分ぐらい治療に入り前にその話になった。知り合いの女性で固定ギアのピット用自転車を愛用している人がいるらしい。

 「ブレーキがないんですよ」と驚いていっていた。

 さて歯科の治療を終え、家に帰るまでの走りは、こんなときに限って向かい風。絶えてたえて走った。

 家に帰って開放的気分になったが、食事をしてビールを飲むと、胃がすこし差し込む。これはやばいと思う。あとは気をつけてじっとしていたが、テレビでは「ALWAYS・三町目の夕日」が9時から放映されていた。

 すでに見た映画だが、明日続を見に行くことにしていたので、もう一度じっくり見たが、途中から眠気がおそい、中抜きの形で「終わり」を見おわる。

 まあ、疲れは仕方がない。おかげでこのブログは翌日更新している。

2007年9月27日 (木)

夕焼けの淀川大橋シュチュエーション

 Photo                                                      昨日妻にパソコンを占領されて、ブログ更新はストップした。

 昨日は通勤途上誰にも会わない行きの自転車だったが、帰りにシングルギア青年が歩道をゆっくり走ってる、ぼくが想像するに、彼はメッシャンジャーの仕事をしていて、すっかり疲れて帰る途中というところではないかと思ってしまった。

 今日は、朝「裸おじいさん」に再会。こちらにむかって「エイッ」という感じで敬礼してくる。ぼくのことはたしかに知っているのだろう。こちらも「おはようございます」と言葉で返す。そのあとモンベルのTくんに会う。琵琶湖一周した話をする。

 「すごいですね」と言ってくれる。

 そのほか最近目に付くのは、西淀川で子どもを保育所に送っていって、大阪の中心部へ向かう茶髪でパーマ頭のママチャリおとうさん、マウンテンバイクのヒゲおじさん、対向者の大柄青年などよく顔を合わす。

 ただみんな自転車通勤しているんだ。

 帰りは、今日は午後15分に職場を出て走る。まだかろうじて空は明るい。日が短くなるのは早いものだ。それにしても相変わらず信号を完全に無視する自転車の多いこと。うんざりする。

 尼崎に入って、時速30km/hで琵琶湖を走るイメージを浮かべて走る。しかしこれは大変だ。これを150km維持する自身はない。そんなことを考えながらやや力を入れてこぐと32km/hで走っていて、一台バイクのおじさんを追い抜いてしまった。

 サンワサイクルの前を通るとき、5時半過ぎの早い時間なら、ぼくが通るのをオーナーが休憩中で見ていてくれることが多いらしい。意識して走ってしまう。

 家に近づき、コープでビールと食材を買ってかえる。

 今日も2男がディナーを作ってくれている。今日はディナーというにふさわしい。銀紙につつんだ鮭と鶏肉をレモンでまずしているもの。

 さっそく風呂に入り、出てきてその食事をいただく。

 ビール(MDドライと金麦の発泡酒)がうまい。

 明日もまた走るぞ。

 

2007年5月18日 (金)

誰にも出会わない自転車通勤

 いまだにしまなみ街道を走ったスピードと感覚を味わいながら走っている。このスピードならみんな抜いてしまっているだろうなと思ってしまう。

 しかし今日は通勤自転車の顔みしりに誰も出会わない。行く前天候が悪く、ちょっと雨がぱらついていたので、みんなあきらめたのだろうか。

 しかし、一人初顔の大柄青年がマウンテンバイク風の細タイヤでヘルメットをかぶって走っていた。ただ、信号まちでやはり無視して先を進んでいく。ちょっと期待はずれだ。

 帰りの行程で、交差点でむこうは明らかに赤なのに入ってこようとするスクーター風バイクがいた。ぼくは交差点を通り過ぎる直前に左から入ってきて、先を走った。ナンバープレートは4901。4901の君。そんな行為はみられているよ。それにしてもバイクまで自転車の軽い感覚で信号無視をしていこうとする派が増えてきている。

 その前の道路上をあきらかに逆進してくる自転車がいる。おもいっきりどなる。「ばかやろう。あぶないやろ」。

 自分の命をたいせつにしない人は、人の命もかるんじるということはいえるのではないだろうか。まず自分の命をいとおしんでほしい。あまりもテレビでは、異常な殺人事件が多すぎる。

 さつばつとした時代といえば、そうなのだが、一生懸命生きている人がおそらく圧倒的に多いはずだ。それなのになぜこんなに異常な人が目立つ社会になってしまったのだろう。

 夜は遅くなることはわかっていたが、帰りの自転車のついでに、尼崎極楽湯に行くことを朝の段階で考えていて、それを実行した。

 仕事を終えて、ただひたすら極楽湯に向かって走る。そして湯につかる。これ以上安上がりの贅沢はないだろう。なにしろ650円だ。風呂からあがって、造り定食に飲み物という贅沢。ああ贅沢。こころも体もリフレッシュである。それに今日夜はテレビでお気に入りの番組「探偵ナイトスクープ」がある。明日朝は、連続テレビ小説「どんど晴れ」をゆっくり見れる。

 金曜の夜万歳!!!

2007年4月29日 (日)

母死す!施設での生活4年目

 昨日は、ゴールデンウィーク初日であるが、まだ仕事のモードが消えていない。また心配ごとも帰りぎわに聞き、どうもうれしい休みとはいえないが、とにかくそのしがらみを立つため、スーパー銭湯へ行った。また宣言していた琵琶湖一周サイクリングは天候の予報もあり、疲れも抜けきれていないとこをあり、30日に設定を変更した。

 スーパー銭湯は、JR尼崎近くの「極楽湯」。午前11時半ごろ入ったが、客はまだ少なく、のんびり湯に浸れた。入浴後、そこで食事をし、帰りついでに、注文していたワイヤレレスマイクシステムをマサゴ楽器に購入しにいき、そのあとコープこうべに買い物に行った。

 家に帰ると午後2時。ところがところが、兄の奥さんから、母が危ないと突然の電話。すぐ入院している病院に事情を聞いてほしいということで、電話番号を聞き、連絡した。自分でも電話番号をプッシュしながら動揺を隠せない。

 電話を入れると、どうも午後すぐ病状が急転し、心肺停止と呼吸停止で、死亡にちかい状態で、点滴だけ続けているという答え。「死亡しているということですか。それとも脳死状態ということですか」と聞いても、はっきりしない。ただ脳死状態の先を行っているとのことだ。すぐ誰か親族が病院に来てほしいということなので、インターネット地図情報でその住所を入力し、すぐ車で向かった。

 病院では、入っている3階の看護士長さんと思われる人から経過の説明を受け、病室に入り、すでに死んでいる母を見た。そのあと、当直の若い医師が来て、瞳孔のチェックと聴診器でのチェックのあと「死亡されました。時刻は午後3時28分です」という言葉。すでに死んでいることはまちがいないが、正式には家族が立ち会う時間で死亡時刻にするらしい。まああとから考えると危篤の連絡がある前にすでになくなった状態なので、家族が立ち会う間がなかったとうことで異例ではある。

 母はそれまで預かってもらっていたグループホームから老人保健施設の入所が可能になって、2月から代ったのだが、そこで誤飲が多く、胃から「イロウ」という措置をせざるをえないという提携病院の指示で最近胃からチューブを挿入する措置をしたばかりだ。

 うたぐったらきりがないが、それがあだになったことはまちがいない。ただ誤飲の繰り返しで、肺炎にちかい状態にはあったようだ。なにせ本人は重度の認知症になっているため、自分では、急変に対応できない。悲しい現実である。当年83歳である。

 その後、どう対応していいのかまったく白紙状態であったが、その病院の看護士長さんからも対応のしかたを聞き、とりあえずその日一日は霊安室に置いてもらえるとうことだが、家族が1人はついていないということなので、午後4時からずっとそのあとの対応が決まるまで、ずっと母のそばにいた。

 兄は午後7時を過ぎても所在不明。携帯電話もOFF状態。そのうち妻がきて、兄の奥さんがきて、そこでできることを相談。兄の奥さんに近隣の集会所で借りれるところを探してもらうため帰ってもらった。しかし兄とはなかなか連絡がつかない。

 妻と相談してとりあえず、大阪パルコープとコープ神戸の連絡先を自宅の長男に連絡し、調べてもらう。そのうち兄が家に帰ってきたが、自宅にとりあえず母の遺体を運ぶのもむすかしいということなので、動けない。もう午後8時を過ぎていた。

 午後9時過ぎやっと集会場が手配ついたということで、やむなく病院から提携の葬儀屋さんに依頼し、そこまで運んでもらう手配をつける。そのうちパルコープの葬儀屋さんにお願いすることが決まったのがすぐあとだった。

 午後10時半ごろようやく移動の葬儀屋さんの車が来た。病院の関係の医師、看護婦さんに見送られ、集会場にむかった。その間なんと僕は7時間病院にいた。

 そんなこんなで、日が変わって、今日は密葬として兄家族、僕の家族(ただし、オーストラリア留学中の娘は、帰ってこれないがメールを送った)で、昼の食事をしながら、母との思い出を話あった。住職などの宗教者は来てもらわない。読経もない。かざりもほとんどない。しかし2家族だけでゆっくり母を送るための場はできたと思う。

 午後3時すぎ、同じ西淀川区の火葬場へ向かう。午後3時半ごろの火葬ということだが、この時間での申し込みは少ないらしい。というのは、また明日にもやした灰をひらいに行く。でも今回はゴールデンウィークの初日になくなったいうことで、対応がやりやすかった。

 本人にとってはどんな人生であったのか、韓国の植民地時代にシンガーミシン支社長の子どもとしてなに不自由ない生活をすごし、敗戦ととも坂を転がるように日本に逃げ帰ってきたらしい。したがってもって帰ってきた財産などない。どういうきっかけか、父と見合いで結婚し、僕と兄が生まれた。理髪店を夫婦できりもりし、父が53才でなくなるまで続いた。

 そのあとはいろいろあったが、兄の子どもたちが生まれて以後孫との触れ合う生活にそれはそれなりに幸せであったのだろう。しかし人付き合いが下手で、子どものような性格であるため、各所でトラブルを起こしていた。最終的に痴呆が進行してしまったが、83歳の人生は本人でないとわからないことだろう。

 ぼくはそんな母であったが、それなりに落ちこんでいる。今日はおやじーずの演奏に予定があったが、キャンセルしてもらい、夕方はすこしやりきれないので、庭をおもいっきりいじった。少しスッキリした気持ちであるが、まだショックはとれていないのだろう。

 暗い話ばかりだが、自分の人生も振り返る2日間であった。

2007年4月17日 (火)

家に帰ってびっくり!長崎市長撃たれる。

 今日家にかえって、おやじーずの演習の後、テレビを1チャンネルにあわせると、ニュースで、「長崎市長、伊藤一長氏が拳銃で撃たれて心肺停止」というニュース。それも市長選挙の最中ということだがら、悪質だ。

 また続いて、アメリカのバージニア工科大学で32人の殺害発砲事件のニュースが発表されている。

 長崎の事件では、山口組系暴力団組長代行が犯人ということだが、人を威嚇するような暴力団が、拳銃で人を撃つという、なんとも卑怯な手口に腹がたつ。「男なら正々堂々と素手を使うなり、言論で抗議するなり、やりようがあるだろう」と思う。

 拳銃なんて誰でも相手を殺すことのできる卑怯な武器だ。しかしアメリカでは、それを廃止できないでいるという根深い問題をかかえている。

 ただ道路上にたとえると車は拳銃に相当する。人を撃つ目的ではないが、ひとたび人に直撃すると明らかに殺人の武器になる。

 車にしろ、拳銃にしろ自分の力を使っていない。人差し指か、足でアクセルを踏むぐらいだ。しかしたとえると、その反対のものとして、拳銃に対しては吹き屋や、弓矢となり、車に対して自転車ということになる。

 自分の力で勝負しよう。人間は自分の力だけの力量の限界を自覚するべきだ。もし他の力を使うなら、それはあくまでも生活の改善、平和のために使うべきだ。

 自分なりにいいことを言っているかも?

 まあ、興奮はそのくらいに! 今日は通勤自転車は、ロードバイクで行く。2台の自転車に抜かされてしまった。一台目は、スーツウェアのサラリーマンだが、マウンテンバイクに乗っていた。ただがむしゃらに走っていたので、まだ通勤初心者だろう。もう一台は2号線の国道に出てから、ものすごいスピードで抜かれた。格好は、ズボンが作業用、上着は紺のシャンパー。ズボンはきちんと右足側をゴムで止めている。

 ただ感心したのは、思いギヤーだが、わりと軽いペダリングで走っていく。ただ強い追い風だったので、うまく風にのっているのだろう。尼崎、杭瀬付近で左折してしまった。距離は短いのだろう。

 最近はそんなスピードにまどわされない。30km前後をひたすら守る。なにせそれ以上出すと、危ないのと、後から後遺症が出る。

 ただ野田阪神の交差点からはスピードをさせるときがあり、あわよくば300m先の土佐堀の矢印直進信号をクリヤーできる場合があるので、40kmぐらいでギヤーを2つあげて走ったが、すでに赤信号になっている。「そんした!」と一瞬思った。それからは28kmペース。

 今日は職場についたらある程度覚悟で職員と面談する件があるので、気が重いが、足は職場へ向かう。自分としてはこの自転車通勤がとても助かっている。それは、いちいち重たいことを考えている暇がない。ほとんど忘れている。

 かえりの通勤ものめちこんでいる。ただ今日は帰ってからおやじーずの練習が7時30分からあるので、あわてる。途中コープこうべ、立花店でおすしを5人分買って帰ったが、家に帰ると次男が料理の用意をしてくれていた。

 

2007年4月 5日 (木)

またまた寒くなってきた。道路によく落ちているおむすび?

 今日は再び自転車通勤。朝の国道2号線途中の温度表示は8℃を示している。「あれ今日4月の何日だったっけ」。一瞬今のカレンダーを疑う。

 それにしても今日は車の数が少ない。朝は出掛け、資源ごみの準備を忘れていて、慌てて朝の時間で用意したのだが、そのため出る時間が少し遅れた、。それでも最初に停止する一番近くの交差点で出会う女性にまた会ったので、ほっとしたが、ちょっと遅れているなと思った。

 今日は朝のミーティングの担当者がいないので、遅れるわけのはいかない。開始の時間の5分前の入ったのでは着替える時間についやされるため、9時の開始チャイムに間に合わない。

 ただ、今日は車の量がさっき言ったように少なくて、歌島交差点は、一機に通過できた。

 ところで最近淀川大橋付近でおおきなおにぎりが道路端に落ちているのを見かけるが、これはどうも不可抗力で落としたのではないようだ。自分でほかしているのではないかと想像する。だれが作ってくれるのは想像しがたいが、もしほかしているとしたら、せっかく作ってくれているのに、また食べ物に困っている人を想像すると、なんてことをするんだと怒りが湧いてくる。まあこれはあくまでも想像だが。

 ところで今日はクロスバイクで歩道を走る青年とずっと争っていたが、なにせ信号無視を平気でするのだから、こちらがいつもの30km/hで走っていても交差点でいっしょになる。ある種ばかばかしくなったりするが、それでも結局スピードで差をつけた。

 やはり一瞬でも追い風になったときのペダリングは「おお、おお~~」という気持ちで楽しくなる。てき面のペダルの軽さを体験することができる。やはりロードバイクなわではの感覚だ。

 帰りの自転車はかなり寒かった。ただそれだけだ。

 家に帰って風呂に入り食事になるときのビールはやはり走ったあとでないと味わえない感覚だ。偶然見ていたNHK衛星のクローズアップ現代の「伝説の先生」だったか、定年まじかの金森先生の最後の1年間の小学校6年生の授業を紹介していた。それは職場の人間関係に通じるものを感じた。

 とかく本人は意識していなくても他の2人が仲が悪くなるように、外から計掛ける発言をしたり、まわりの人に変に攻撃的になったりするケースがあり、それをそのままにしないで、みんなの手紙でのおたがいのやりとり、それもみんなの前に発表する形で表現し、お互いのわだかまりを解いていく。

 それは先生の若い時代に、受け持った1人の生徒が「なにも楽しいことなんかない」という言葉を残して自殺していった。そのことが金森先生の今の「命の授業」というコンセプトになっているということも、関心させられた。

 職場にも、自分の問題点はたなにあげ、人を批判するタイプの人が一定数いる。また管理職に責任をすべてもっていこうとする発言もある。しかしお互いが分かちあえる気風を作ることは、学校に通じるのかもしれないと職場とつなげて考えられた。

 ただまだ職場に入って1,2年の若い職員がむしろ感動や感じたことを率直にうけとめ、発言や行動に表そうとすることには、はげまされる。

 人間の集まりはどこも同じだなと思う。

 ただ、社会の中で交わろうとしない人が増えていることは体験で感じる。自転車どうしニアミスしかけたときも、何食わぬ顔をして去っていこうとする。ちょっと前、自転車に女性が自分の無謀運転でバスと下敷きになりかけたときも、ちょっと無表情にその人の顔にかんじた。

 いったいどうなっているんだ。泣くときは思いっきり泣き、笑うときは素直に笑う。知らない人であっても、こまっている人がいれば、声を掛ける。そんな社会になってほしい。そんな職場の人たちであってほしい。

 ふと考えてしまう今日このごろである。

2007年3月29日 (木)

朝の道路温度あっとおどろく18℃

 今日は木曜日。仕事では、病気休みの職員の代わりに車で配達と集金に出かけた。目的地はまったくわからない土地。頭の働かせ方が問われる。

 一件目は、大事をとって別のマンションの前に車を止め、歩いて探した。周りは狭い道だらけ。車では、最徐行が要求される。僕は車優先の立場ではなく、いつもの自転車通勤モードで車も操縦した。

 2件目はまた狭い道だが、そこまで行く前の国道の位置と近くの目印にまる地下鉄の出口の位置がわからずオウジョウしたが、なんとかその目印の駅を見つめ、地図にしたがって、感で路地を入っていくと100m先にその目的地があった。その医院では、先生と30分以上世間話をしてしまった。

 その医院を出たのは11時20分。だが、地道を職場までの帰り道で進んだが、渋滞にも関わらず12時10分ぐらいに着いた。

 しかし乗っていった車は、日頃タバコをすいながらに乗っているらしく、タバコくさい。このにおいというのは、かなりしつこい匂いだ。

 ところで、きょうの自転車通勤は暑いぐらいだ。この一週間で気温は様変わりした。ただ今週は、土曜日も出勤予定なので、連続6日の自転車通勤になりそうだ。

 まあいいか!

2007年3月 9日 (金)

逆送自転車が多い道路!

 今日は今週自転車通勤5日目。さすがに脚が疲れている。できるだけ負荷をかけないように走ろうとしているが、調子にのると足がつい回ってしまう。

 しかし、今日は職場に着くまで疲れが残った。それから淀川大橋を走ってる最中、ちょうど真ん中あたりで大きな犬が路肩部分で完全に死んでるように倒れていた。びっくりしたが、とまるわけにはいかないので先を進んだが、犬を抱いた男の人が携帯をかけていたり、警官が2人そちらに向かっていたので、その犬にかかわってのことなのかなと思った。

 ただ、疲れているとはいえ、野田阪神交差点を過ぎてから、やはりロードバイクの人がいて、ついていこうかなと思ったが、「あれ、抜けるかな?」という感じでペダルを踏むとま40km/hになってしまい、体勢を前に倒して、高速の状態になっていた。

 「まずい」と思ったがあとの祭り。そのまま土佐堀を進み、長堀まで進んでいた。

 ただ、仕事の帰りになるとさすがに疲れがいっぺんに自覚できる。昼食の時、となりの会社の庭になっているみかんらしい木のことをその食堂に来ていた人にたずねると、それはレモンの実だと真実を明かされ、「へえーーー」と驚く。なんせ100個以上実がなっているが、みんなオレンジ色をしているので、どうみてもみかんとしか思えない。

 その職場の主のような人は、いくらでも取ってくださいといっていたので、帰りのひとつもぎって、家に持ってかえった。妻にみせて、たべてもらうと案外甘いという評価。僕もたべてみた。苦味はあるが、案外甘い。来週職場に行くのが楽しみになった。

2007年1月12日 (金)

1月第1週の走りはきつい

 2007年最初の勤務の週はやっと週末を迎えた。年賀状では、「今年こそよい年でありますように」と願望を書いたが、1月はじめからバラバラ殺人事件が3件も報道され、やはりぼくの今年のテーマ「たえる一年」ということが暗示されるような気がする。

 こんな年はじっと自分と自分のまわりを見つめ、浮き足立たず、自分の目標を1歩でも進めていくしかないのではないかと思う。

 人間の世界だけで一喜一憂せず、自然に中には、ゆっくりとした営みと、子孫繁栄のための生き物たちの下向きな生き様があることをもっとしっかり観察するのも必要だし、そういっても人間が、この小さな地球とすべての生き物のこれからを左右する大きな影響を与えている。これは重大な問題で、これ以上二酸化炭素を増やしたり、温暖化を進めてはいけない。

 このことははっきりしていて、もちろん戦争は環境破壊と生物への悪影響をあたえる最たるものであるが、森林伐採、人口物(ダムなど)の構築も自然を破壊している。

 最近聞いた話では、大阪の箕面の滝そのものが上流の宅地開発のため、水の流れをとめ、いったんポンプで上流の川に水をもどし、それが滝に流れているというから驚いてしまった。

 ちょっと抽象的なことを書いてしまったが、人間社会の悪の部分が最近目につきすぎて、明るい未来が見えてこないのが、なにかもんもんとした気分になるのだ。

 しかしそれでも道路上では、徐所に自転車でのちょっと遠距離らしい通勤者が増えているように見えることだけはうれしい。ある人は、背広姿で、ある人は運動ウェアスタイルで、ある人はアウトドアファッションで。これがもっと広がってほしい。しかし道路の約束、マナーは守ってほしい。これだけかっこいい乗り物とファッションはないのだから。

 いよいよ今年5月で6年間の自転車通勤になる。職場では、たまに電車で通勤すると、いまや「どうしたん」といわれるくらい自転車での通勤がぼくのスタイルになっている。ただ年齢は確実に中年の域を増しているので、無理をして誰かと競争などすると、翌日か翌々日に影響してくる。それでも常時30km/hでは普通に走れるので、まだまだいけるか。

 身長169.5cm、体重58kg、胸囲83cm、ウエスト72cm、ヒップ90cm、体脂肪率14から15%。スタイルには自信がある。これは5年間の成果かもしれない。

 今日の通勤は行きは道路温度4℃だが、体感的には寒く感じる。空が曇っているからか。ただ自動車の数がいつもよりすくなく、歌島交差点では、交差点に青で入れないくらい渋滞状態になることが普通なんだが、今日はスッっと通過できた。

 帰りは、いつもの道から帰ったが、できるだけ飛ばさないようにこころがけた。

 ところで何気なく夕食時テレビを見ていてNHK衛星第2にチャンネルをあわしていたら、9時からなんと2006年世界選手権自転車ロードレースが放映されているではないか。「これはひろいもの」と単純によろこんだ。周回コースを10周ほどするのだが、その周回1回がながく、総トータルレース距離はなんと265kmという。

 それでも最後に近い9週目の登り斜度15%を全力で走る抜ける競争の繰り返しで、どこからあれだけの力が出るのか不思議だが、解説の今中大介と話では、体脂肪3~5%を維持し、こまめに食料を口に入れながら一日7000kcalだったか、の消費カロリーを補っているということだから、単に走る技術やパワーだけの問題ではない。力の配分、食事の取り方、レース全体の読み、チームの連携。

 いろんなものが関連しながらレースを争っている。しかも過酷さもあり、華麗さもあり、見ているだけで、テレビのくぎづけになる。

 今日はいい番組を見てしまった。いやなことが続くなか、こんなちょっとした喜びもよけいにうれしく感じる今日このごろだ。

2007年1月 9日 (火)

追い風自転車通勤

 昨日書いたように寒さもあって「よし行くぞ」という決意が必要だった。やはり休みが長いと仕事へ行くこと自体覚悟がいるというのが、多くの人の心理ではないだろうか。

 しかし出てしまえばただ走るだけ。いつもの感覚に戻ってくる。今日は追い風で、歩道にときどきなびくのぼり旗が進行方向を向いている。天気もまずまず。体調もよい。道路温度は4℃。これぐらいでずっと季節が流れるとなんとか続けていけるのだが。3℃下がるとかなり違う。

 今日は以前トマトがたくさん落ちていた靭本町3丁目交差点近くでグループフルーツが落ちていた。

 職場につくと、それぞれ「あけましておめでとうございます」と挨拶を交わし、神聖な日だなと晴れやかな気持ちにもなる。午前仕事中は建物自体が1週間以上冷え切っていたせいか、エアコンがついても足が結構寒い。昼食を済ましてやっと寒さがなくなった。

 帰路は、ゆっくりいこうと思ってペダリングしていたが、尼崎に入ってから変に競争をしかけてくるマウンテンバイクの青年、はたまたママチャリで坂道を抜いていく豪傑がいたりする。「やられた」という感じだ。すっかりペースを乱された。マウンテンの青年はかなり長い距離一緒だったが、だんだん追いついてしまい追い抜くが、また信号で先に行かれ、また抜かしということでこちらも力が入ってしまい、スピードを普通以上に出してしまった。

 おかげで家に帰ってから普通疲れがないはずなのに、スポーツしてしまったという感じだ。体脂肪計で図ると14.6%。なぜ日本人はこんなにムキになるんだろう。たかが自転車なのに。

 おそらく朝おきると今日の影響はあるだろう。

 

2006年12月13日 (水)

行きはしんどい、帰りは楽し

 今週はずっと雨と曇りという天気予報であるが、今日は朝は曇っていたが、雨はまだ降っていなかった。それで自転車で出かけたわけだが、「今日はきっと自転車で」と思わせる動機をつけてくれたテレビ番組がある。

 スマップの草薙くんが主役の番組「僕の生きる道」。初めて見たのだが、サイクルスポーツでも確か書いていて、どうも若い女性がロードバイクに引かれるきっかけになっていたようだ。実際見てみたが、主人公は自閉症で、動物園の飼育係をしている。一つのことに集中する能力は非常に優れているようで、ロードバイクにもだいぶはまりこんでいるように描いている。中で自分の部屋でテレビを見ている場面があるが、移っているのは「ツールド・フランス」のビデオっぽい。こんな番組は見たことがない。草薙くんがロードバイクに乗っている場面も映し出される。

 これは追い風とさっそく朝うきうきしてバイクウェアに着替え、断然自転車でという気分だった。ただなぜか行きのペダルは最初は追い風でよかったが、途中から急に重く感じて体の調子がでない。そのままの流れで職場に着いた。

 帰りは逆に最初ゆっくり行こうと軽めの回転で出発したのがよかったのか、足の重さは何もない。スウーと進んでいく感じだ。たまに信号近くで若い女性から視線を受けることがあって、「ああ、見られている」と思ってしまった。中年のおじさんがぼくをいうよりも自転車を見ていることはよくある。しかし今日は僕を顔を見ているので、「むむ」という感じだった。

 ところで昨日、6年前に6歳の少女が信号で左折してきたトラックのはねられ、そのまま犯人が見つからず業務上過失致死、ひき逃げの時効が成立するということで大きく報道されていた。そのときの両親の監督不注意も言えるが、僕は一番問題は、信号で自動車と歩行者、自転車が同時に侵入する方式がまかりとおっていることにこそ問題を感じる。歩行者、自転車はスクランブル方式にし、自動車と遭遇しないようにすれば信号での事故は飛躍的に減るはずだ。たしかに一部でスクランブルをおこなっているところがあるが、一部のかぎられている。なぜ全部に応用しないのだろう。

 それはきっと車優先の考え方が根幹にある。信号で車が停止する時間をできるだけ短くする。あくまでも車の交通をスムーズにという考えが見え隠れしている。しかし僕たち通勤自転車で信号に入る場合、直前で黄色信号になると信号をとおりすぎようとしても速度的に出てしまうときは赤信号になる。それも車のスピードを想定して黄信号の時間を設定している。

 なぜそういった部分への責任は不問になるのだろう。少なくともそろそろ車優先の道路をあり方を考え直すべきだ。

2006年10月 7日 (土)

地球一周まであともう一歩

  毎日自転車をはじめたのが、2001年5月1日として、今年の9月末で5年5ヶ月。ただ仕事に行くときしか走っていないとすると一年の通勤日数は250日とする。しかし電車で通勤した日が年30日として通勤自転車の一年日数は220日。それに一日の距離32kmをかけると一年7000km。で5年をかけると35000km。あと5ヶ月経過しているので、平均月18日として32kmを書けると9月末まで2880km追加される。さっきの35000kmに2880kmを足すと37880kmになる。あと月20日計算でいつ地球1周に到達するか考えると、残り2120kmなのであと30日。すでに10月は5日つまり160kmすぎたので、あと25日。

 つまり11月15日ぐらいが一周記念日と言える。

 実際地球を一周して走った経験のある人がいるが、それは直線ではないし、山あり谷ありだからそのとうの年月がかかるだろう。

 しかしぼくとしてはその間の記憶として、転倒は3回。雨のスリップが1回、歩道への乗り上げで2回。あとクルマとの接触は0.。自転車との接触が1回。人との接触は0である。

 Dsc00006 バラが咲いた!ところで庭の赤いバラが咲いた。春に咲いたのに秋にも咲く。一時は倒れかけていたものだが、今きれいに咲いている。

 それから今日昼からの役員の会議のあと、先週紹介した「蓬莱湯」に今日も行った。今日は帰りの自転車のまま行った。やはり気持ちがよかった。下町の感じがとてもいい。値段も360円だ。今日の番台はおとうさんだったが、気分よく応対してもらえた。

 明日は六甲散策と神戸ジャズストリート見学。ぼくにとってはとても楽しみだ。それに帰りは、今日行った「蓬莱湯」を参加者に体験してもらう。

2006年7月26日 (水)

安全運転の極意その2

 安全運転の極意その2

  昨日に引き続き、経験的に通勤自転車での安全運転のパフォーマンスについて話そう。ただし昨日からしゃべっているのは、あくまでも道路を自転車で走ることを前提にしているが、歩道のない道路もたくさんあるので、一般的に当てはまると思う。

手信号の効用!

 一般自転車走行になれていると手信号なんてしている人はなく、恥ずかしいと思うかもしれない。しかし特に国道などメイン道路においては、側道に車が駐車しているケースがいっぱいあり、そこを通りぬけるには危険な場合もある。僕の場合は自動車の走行数によってもちがうが、50mほど先に駐車中の車を発見したら、まず頭をできるだけ右後ろに向け、車がすぐ来ていないかどうか確認する。そこでずっと後ろにしか車がいないことを確認できたら、右手を斜め下か横に出す。それから車体をすこし右側によせ駐車中の車をやり過ごす。これで車からは、「右によるで」ということが表現できる。ただしすぐ後ろに車が来ているときは左による形にし、先に車が行くよう間接的に合図する。この場合、右手で数回前に動かし先にいくよう合図する方法もあるが、あまり成功していない。

 また左折する時は、左手をやや下に大きくだして曲がる。中途半端な出し方はかっこよくはないし、他の人に分かりにくい。右折の場合は2段階で曲がる必要があるので、出すチャンスは少ないかもしれない。それから道路直進中、左から飛び出そうとする車がチャンスを待っている場合があるが、直前で飛び出してこないことをよく見ながら、左手掌を車に「ちょっと待て、さきにいかして」という感じでとおりすぎるまで出し続ける。これはかなり有効だ。信号のない交差点で車が待ってくれている場合は、感謝の意味で手を上げる。こういったコミニュケーションは安全にとっても大事なことだと思う。自分が赤信号で強引に交差点を直進しようとし、車のほうがとまってくれていても何もなかったような涼しい顔で通り過ぎる人が時々いるが、人間性を疑ってしまう。まして後ろに子どもを乗せているのに大きな交差点でも赤でわたる人がいるが、最悪だ。なげかわしい。

 とにかくみんな見ず知らずの人通し道路を走っているのだが、相手が車でガラスの中にいてもその人を見て、いいことをしてくれたら手で感謝の表現か、声を出してお礼をいう。逆に無法な運転手や自転車の人には、おおきな声で抗議するか、どなる。これが自分のやりかただ。