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2009年11月 3日 (火)

立花こどもまつりは今年も開かれた

002 004_2

 昨日に続き、今日も気温もかなり低い。

 予定はいろいろあるもので、祝日の嬉しさもそこそこに、地域のこどもまつりが開催され、属している流れ星少年団と父母会でも食べものを売ることになった。

 メニューは各家庭で仕込んだ「炊き込みごはん」と「うどん」だ。

 午前10時から3時までおこなわれた。

 ほぼ終わるころ、イタリアに留学した3男からの依頼で、パソコンとプリンターをこちらで買って送ることにしたが、そのパソコンを買うか、一応見に行くため、ヤマダ電気西宮甲子園店に行くことにした。

 最初梅田のヨドバシカメラに車で行こうと思ったが、ちょっと店が大きすぎるし、梅田のそばなので、今日のような祝日は人が混雑していることまちがいないので、今電気店でシェア一番のヤマダ電気の一番近いところをネットで探った。

 西宮市今津に甲子園店がある。ちょうどすぐそばにスーパー銭湯「大和の湯」があるではないか。「そうか。一石二鳥だ!!」とひらめく。

 いちかばちか行ってみることにした。

 内部はちょっ倉庫のような内装だが、ワンフロアー200㎡ぐらいあるか。

 パソコンのコーナーを見つけ、若い店員に、聞きたいことを立て続けに聞く。ある程度知識があるようだ。「モバイルパソコンはオフィースは入っていません。容量は少ないです」などなど。

 しかし近所のコジマよりwindows7など品揃えが多い。

 即決、自分用のソニーモバイルパソコン1台とサンヨーノートパソコン、キャノンプリンター1台づつ(3男に送る分)を買ってしまった。

 総額25万円ぐらいかかるが、ポイントをうまく利用して20万円に収まった。

 「まあ、いいか」

 かなり直感的というかせっかちだ。

 しかしこれで悩むことはなくなった。 

 006 ヤマダ電気を後にし、そぐ近くの「大和の湯」にそっこう。案外空いていた。

 やはり風呂上りは気持ちがいい。

 自家用車プレーリーで移動したが、この前の修理でエンジンへのガソリン供給は調子がよく停止中もこきみがいい。

 家に帰ると今日は、妻は職場の人の結婚式、2男所用とでいない。

 夕食は自分ひとりなので、残り物でいい。

 それまでのしばしの間、おもいきりピアノを弾く。

 あと気になっているのは、マイビアンキのボトルブラケットの交換をどうするかだ。

 まあ今日はするべきことはした。 

2009年9月22日 (火)

シルバーウィークは琵琶湖ログハウスで

001  9月20日前日までの忙しさを終えて、1泊2日で妻と琵琶湖ログハウスにひさびさに行くことにした。

 朝7時15分に家を出る。とりあえず近くのガソリンスタンドで燃料補給していよいよ、名神尼崎入り口より高速道路に入る。

 かなりの渋滞は予想していたが、以前ゴールデンウィークで経験したことがある状態を思い出したように吹田からは前に進まない。

 それだけらいいが、京都東を出て、滋賀までのバイパスはかなりの渋滞。その後も一般道まで渋滞。

 003 途中宇川ファームパークで弁当を買い、そこで昼食としたが、ログハウスについたのは、なんと午後2時だった。

 通常は2時間で着くコースだが、5時間以上かかってしまった。

 現地に着いてしばし昼寝。起きてからしばし読書。4時過ぎに白谷温泉に向かって車を走らせた。

 しかしここでも入湯客が許容量を超えていて、整理券で30分以上待機となる。

 013 たださすがに時間が来て、ゆっくり湯に浸かると気持ちがいい。ここの白谷温泉は数年前までは古い建物の温泉で、狭い湯船しかなかったが、立て直され、大分近代的になった。それでマキノのキャンプ場の前の「さらさ」が込んでいる場合、近いのでこちらに流れてくる。

016 風呂から上がり、ログについて、今日は2人でベランダに出てバーベキューを食する。夜空は晴天で、星がちりばめられ、日ごろは味わえない感動がある。おまけに流れ星もキャッチした。

 バックミュージックは、平井 堅のケンズバーⅡのCDが室内のボール型スピーカーから流れてくる。最高のひと時だ。

 それで夜は10時には就寝にした。

 翌日は、朝またベランダで朝食。コーヒーがうまい。

022 2日目の予定は、妻は午前中持ち込んだ仕事の作業に。ぼくは、ベランダ西側の蔓や雑草の刈り取り。

 しかし倉庫から出してきた草刈機のエンジンがいくら紐を引いても始動しない。おそらく残っていた混合ガソリンが悪いのか。

 しかたなく、鍬を使って茎から切っていった。1時間以上かかってようやくすっきりした状態になった。そのあとは3台置いてある自転車(ママチャリ)の整備と修理。せべて大分長く使っていないので、空気が抜けていて、すべて空気を入れた。

 それで昼になってしまった。

 ざるそばで昼食とし、そのあとすぐぼくは、ホームセンターに自転車で買い物に行った。しかし距離およそ3kmぐらいはある。

 混合ガソリンやラッカーや紙やすりやトイレットペーパーやなにやらを買い、ログにもどった。妻はまだ仕事中。あとログにおいてあるエレクトーンのおき場所を変え、弾いてみた。ちょっと機械の操作がわかった。

023  それからしばらくして妻が「いいよ」というので、自転車でJR今津近くのスーパー「平和堂」まで買い物に行くことにした。片道およそ4kmか。車が通らない田んぼの中を縦断している道を通って移動する。まわりは田んぼかそば畑などだ。景色抜群だ。

 買い物よりサイクリングという感じだ。024

ちょうど2人の前かごに入る程度の食材と酒を入れて、ログに戻る。

 今日の夕食は寿司中心にしたので、準備は樂だ。 

 ちょっとゆっくりしてまた6時過ぎに白谷温泉に向かう。この時間なら空いているだろうと思ったのが、あまかった。

 昨日以上の待ち時間だった。

 まあしかし今日はそれの慣れて、待ち時間に新聞を見たり、子どもたちにメールしたりできた。しかし女性の回転が悪いようで、風呂から上がっても、妻はまだ順番まちだった。

 ようやく1時間後に妻が風呂に入り、その間、休憩室でテレビを見た。

 結構若い家族ずれがたくさん待っていた。

 白谷温泉を出たのは、もう7時半をすぎていた。8時前にログについて、ビールと寿司に舌鼓を打つ。しかし今日の空はアイニク曇り空で星が見えない。

 本当はこの日に帰るつもりだったが、ニュースを聞くと夜でも渋滞がありそうなので、疲れて帰るより、ゆっくり寝て、朝すぐに帰ろうということにした。

025 027 それが結果的に正解だった。朝は6時半過ぎに起き、ちょっと急いで帰りに支度にかかる。ただ朝食はしっかり食べた。

 忘れ物を確認し、7時半にはログを後にする。起きたあとなので、頭はさえている。

 帰る道は、不思議に空いている。渋滞はまったくなく、名神もスムーズだ。 

 それで家に着いたのは、9時半という幸せなタイムだ。

 家に着いて荷物の片付け、洗濯物干し、それに妻がテンションが高いまま家の片づけをしだし、そのあおりで、生ゴミ用ゴミ箱の根本的水洗いをおおせつかり、文句をいいつつ、きれいに洗いきる。

 そんなこんなで、旅行帰りの今日だったが、家もまた帰ってくると新鮮な目で落ち着く。

 午後からは、1時間純名理沙主演のテレビを見て、そのあと3時間読書にふける。先日にも紹介した「冬の兵士」を読みきる。アメリカのイラク戦争反対の運動は、帰還兵の中からも大きなうねりになりつつあるようだ。

 ただベトナム戦争と違うのは、徴兵制ではないかわりに、貧しい階層の青年が引き抜かれ、金もちらつかせながら、集中的に送りこまれていることだ。それで、国民全体の反戦運動になりにくい側面があると書いてあった。国民全体からは0.3%の参戦だという。 

 ただ兵士も親も含め、大変な犠牲を強いられている。ましてイラク国民の犠牲者の数はその比ではない。

 ブッシュ政権の犯罪性はあきらかだ。いつかさばかれるだろう。

 それにしても今回の旅行は、やはり疲れたが、ログハウスとその周辺をまた新鮮な目で見ることができたのがよかった。

 

2009年9月16日 (水)

休日を取って、新しいスーパー銭湯体験

002 003_3  先週の土曜日の出勤の代わりに、今日代休を取った。

 朝のトイレで今日予定をあれこれ考えてみた。猪名川付近を走るか、甲山まで走るか、それともスーパー銭湯へ行くか。

 ただピアノでデストラーゼの伴奏の練習はかかせないと思っていたし、本「冬の兵士」(イラク戦争に従軍した兵士たちの懺悔と戦争告発の記録)を読破することもしたい。

 休みは一つの課題だけするというのが自分のモットーだが、本音は欲張りたい。

 結局、以前ナンバサイクルの従業員の人から聞いていた尼崎南端の築地にあるスーパー銭湯に行ってみることに決定した。

 それで朝洗濯物を干し終えて、インターネットで尼崎のスーパー銭湯情報を開け、探していた築地のその場所を確認した。

 名前を「戎湯」という。2002年の開業で、蓬莱湯と同じように銭湯をしていたが、ボーリングで新たに温泉を掘り当てたらしい。ナトリウムの単純泉と書いてあった。

 移動はもちろん自転車で行ったが、GIOSのマウンテンを使った。いつもの通勤経路を通り、途中庄下川ぞいで2号線まで進み、さらに南に進路を走る。

 安全なコースを捜しながら走ったが、途中、ダンプばかりの横の路肩をこわごわ走らざるを得なかった。43号線の下の通路を越えると、すぐ築地に出る。

 001 ここは、阪神淡路大震災のとき、おそらく江戸時代からの埋立地で、液状化現象でことごとく建物が崩壊したと聞いていたが、今訪問してみると、ことごとく新しい家屋と集合住宅と、商店街がある。その一角に戎湯があった。

 料金は380円で、石鹸、シャンプーなどは別料金だ。

 わくわくして中に入る。下駄箱は、100円がいらないし、受付ではそのカギをあずからないし、ロッカーのカギは中に入ってから自分で場所を決める気軽さだ。

 内部では、かけ流しらしい湯船と別の湯船、それに露天風呂がある。

 それにしても高齢者が多い。ただ水曜日の朝10時過ぎだというのに結構込んでいた。地域ではよく利用されているのだろう。

 今日の目的の本命は終了した。帰りはナンバサイクルに立ち寄り、今日使っているマウンテンのハンドルグリップの交換品を買う。今のものはあまりにもねちゃねちゃ状態なので、買い換えることにしたのだ。

 それで家に帰って食事をし、コーヒーを飲み、マウンテンのグリップ交換作業にかかる。

 ハンドルを固定しているステムのネジを緩め、グリップをカッターで切り、ブレーキレバーを緩め、変速レバーを緩めながらはずす。

 ただ、ハンドルバーのブラックの、もともとの色がはげているので、家にあったカラースプレーで色をつけ、乾かしてからはめ込み作業をした。

 そんなこんなでざっと2時ごろになってしまった。

 あとは、ピアノの練習と、「冬の兵士」の読書。冬の兵士の方がのめりこんでしまって、2時間ぐらい読みふけった。とにかくイラクでアメリカが占領して兵士がおこなってきたことは残虐すぎる。交戦規則というもので、ある程度民間人に被害を与えないなどの規定が、まったく崩れ、無差別の銃撃がおこなわれ、まったく罪のない人が連日殺されているというのが事実らしい。

 ただ読んで思ったが、ベトナム戦争なら、そんなことが横行していれば、テロ反撃ではなく、実際権力を掌握するまで、ホーチミンという指導者のもとに結束して反撃していった。

 しかしイラクでは、そんなことが行われているのに、おおやけの抗議行動、反戦の戦いがない。今の政権は何をしているのか、完全にアメリカのいいなりになっているのではないか。オバマさんがそんな中で大統領に選ばれたが、その手腕が問われる。

 ブッシュは戦争犯罪人として罰せられて当然だとぼくは思う。

 というような思いで読んでいたが、夕方になり、時間ぎれ。夕食の作業にかからないといけない。

 夜は、なぜか思いついて"すきやき"にした。それでコープ立花に直行。見る間に空は暗くなってくる。

 家に帰ってとにかくもう一度湯船に浸かって、夕食の準備をし、2,3男と3人でスキヤキに舌鼓を打つ。今日は350mlのビールを2本飲んでしまった。

 

2009年9月 5日 (土)

箱館山ログハウスに行く

009_2  今日はいろんな用事も終わって、空白の休みなので、家でじっとしているのももったいない気がして、滋賀県琵琶湖のログハウスに行ってみる気になった。

 朝はいつものように6時半に目覚ましをあわせ、いつものように起き上がった。

 しかし朝の支度を終えても、ログハウスに行くための準備に追われ、家を出たのは8時半を過ぎてしまった。

 それにしても今日もかなり暑い。

汗をかきつつ、車に飛び乗り、琵琶湖をめざす。

 しかし今日は名神高速も、また琵琶湖への京都からのバイパスもかなり込んでいた。

 それでログハウスには途中現地のホームセンターに時計を買いに行ったこともあって、11時半を過ぎていた。

 しばらくぶりの来訪で玄関には蜘蛛の巣だらけ、室内では2階に鳥の糞がまたあちこちに落ちている。ちょっと閉口する。

 しかし一人きりで昼食を取り、もっていったキーボードを弾き、白谷温泉に行き、いい気分だ。温泉に移動する途中のセコイヤ並木は、全国の並木道百選に選ばれているみごとな道だ。

 あっという間の時間は過ぎ、来たときよりきれいに掃除をし、午後4時にログハウスを出る。

 帰り道白髭神社では祭り期間で交通規制をしていた。

 ロードバイクの姿もこの時期よく見た。

 帰り道も湖西道路がいつもの週末の午後どおりかなり混んだ。

 家に帰って、妻を待ち、近所に食事に出る。というのは2,3男が静岡に野外ライブかなにかを聞きにいっていていないためだ。

 013 最近できた焼き鳥中心の居酒屋に入る。

 近所で飲むのはなかなかいい。帰りを気にしなくていいし、妻と2人気兼ねがいらない。

 何だったか、アニメのキャラクター人形をカウンター横に置いていた。

 ほろ酔い気分で、今度12日に予定している予備校時代の仲間で医師のKさんの手術成功祝いで集まりの連絡をしまくった。

 しかしみんな予定がある人が多い。まあ少数でも祝ってあげよう。

 家に帰って、10時からBS2で「花はどこに行った」という曲にまつわる物語をドキュメンタリータッチで放映していた。

 事実上、フォークソングの神様といわれるピードソーガーが作ったことになっているが、彼が発想したきっかけは、彼が呼んでいたチェーホフだったか、その本の中でコサックの兵隊が語った部分を膨らませたという。

 そしてマリーナデートリッヒやドイツのフィギアスケート金メダリストの女性がその曲をうたっり、スケートに使ったりしたという話に発展していった。

 僕自身は、フォークソングを高校時代歌いだして、キングストントリオ、ピーター・ポール・アンドマリーの演奏で知りつくしている曲だ。いい番組を見た。

 まあ今日は異空間の一日だった。

2009年8月22日 (土)

間断を裂いてふらっと金沢、夫婦旅行へ

001  妻と1泊2日の予定をあわせるのは、なかなか難しい。

 その間断をぬって、今回8月21日夏休む休暇を6月中に予定し、インターネットでJTB旅物語の企画を探しまわった。

 そして、この21日に合った旅行を探し出した。

 それは、ホテルと交通機関のみを企画したもので、目的地は金沢だ。

 前日は、帰宅時間も遅くなり、妻も遅かった。

 21日朝からあたふたと荷物の準備、トイレの中で買ってキタ雑誌「るるぶ・金沢」を下調べする。

 大阪駅集合時刻は10時半中央コンコース。集合場所にはJTBの社員に人が一人、JRの切符手渡しのため待っていた。

 あとは自分たちですべて進める。切符をもらって、11時12分初金沢行き雷鳥指定席で行く。昼をまたぐので、弁当は大阪駅で買う。大阪駅内も大分変わった。

 近江牛弁当を買って、プラットホームへ。

 12分から7分遅れで列車は発車した。どこかの駅で線路に人が入って、遅れたというアナウンスがあった。

 やはり旅のはじまりはちょっとうきうきする。妻と行くのは一番気を使わないので楽だ。

 約3時間の移動では、ひたすらサイクルスポーツ8月号を見ていた。12時には近江は今津付近だったが、昼食とする。敦賀を過ぎたあたりだったか、急に窓に雨のしずくが目につく。そのままずっと雨だった。

 午後2時過ぎ金沢駅に到着。激しい雨が降っていた。ホテル、リソル「トリニティ金沢」までは歩いて15分と案内されていたが、豪雨の中を歩くのは辛いので、タクシーを使う。850円だった。ちょっと遠回りされたか。

 ホテルはまだ建って1年という新しいホテルで、各所に新しいデザインが匂う。天候が悪くてちょっと気分がネガティブになりかけていたが、助けてもらった感じだ。

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  とりあけず一服して、近くの近江町市場を下見し、そのあと兼六園近くの21世紀美術館に行くことにした。ここは「るるぶ」にも推奨していた。

 市場はかなり広い。夕食はこの付近で取ることにしていたので、夜まで開いていることが分かり、安心した。

 さて21世紀美術館への移動だが、たまたま市場を出たところで、「ひらっと金沢」バスというのが止まっていた。

 こちらは右も左もわからないが、東京でも見たちょっと小型の小回りバスだ。料金も100円。バスの表示に停車場所、市役所前・21世紀美術館があったので運転手にも確認し、飛び乗った。

 003

 その美術館は、基本無料だが、100人の主張というような企画は1000円の有料。

 かなり前衛的な作品、理解しにく作品がならんでいた。

 まあしかし雨の時間にはちょうどいいか。

 5時過ぎまで見て周り、歩いて夕食場所と思っていた近江町市場まで歩いてもどった。

 ちょうど金沢城の石垣の横を北上する感じで歩く。15分ぐらいで市場に着いた。

006_4 入ったところはすし屋さん。海鮮丼もあった。

 生ビールで乾杯し、丼をほうばる。同じカウンターの向こうには、アメリカ人か、白人系のご家族が2歳ぐらの金髪の息子といっしょに寿司を食していた。その店の若奥さんもおんぶ紐に赤ちゃんを背負って明るく働いているのがたくましい。008_3

店を出て、ホテルの部屋でも夫婦で二次会をするため、近くの小さなスーパーみたいなところでビールと酒とおつまみを買う。こんな時間もなかなか楽しい。

 ホテルに戻って、部屋で風呂に入り、テレビでの女子バレーボールの国際大会を見ながら、ビールを飲む。

 

 翌朝、天気は晴れ。朝食は1階のイタリアンレストランでバイキング料理。食事の後は、部屋で片付けをして、9時半ごろチェックアウト。

 もう一度「ふらっと金沢」バスで兼六園へ行った。

015  昨日と打って変わっての晴天だ。さすがにたくさんの観光客が園にいた。

 今日は午後の列車で帰るので、午前中のみ観光だが、この兼六園では、これだけは見ておこうと加賀前田藩12代奥方御殿の「成巽閣」(sei son kaku)入場料700円、に入った。

 豪華豪華絢爛というか、江戸中期の木工建築の粋を集めた感じだ。

 金沢市は、戦災を受けていないとタクシー運転手が話していたが、その通り昔ながらの入り組んだ道路事情がそれを示している。

 このあと主計町長屋街に行くつもりだったが、そでに時間は11時半を過ぎていた。

 それでよくばらず、そのまま園六園内をうろうろし、金沢駅往復のデマンドバス(運賃100円)を待った。

 バスで移動していると、なぜか、去年9月に行った娘のいるシンガポール、オーチャード街でバスに乗ったときのことを思い出した。国内も海外もちがった街に行くとなにか共通点がある。

019  JR金沢駅はかなり近代的だ。駅南側は、骨組みにグラスファイバーを重ね合わせたような屋根が覆っている。

 その手前は太い木材を組み合わせたアーチが建っている。

 最初もっていた金沢のイメージではない。

 名残惜しい気持ちで雷鳥30号に乗る。

 まさにふらっと申し込み、ふらっと行った旅行だった。ただ考えてみると、ロードバイカーは一人も見なかったのが、ふしぎだ。

 人間定期的に命の洗濯は必要だ。もし来る機会があれば、もう一度訪れたいと思う。

 今度はバスの利用を駆使して、いけていない茶屋町3つと長町武家屋敷も訪問してみたい。

2009年8月 4日 (火)

天橋立に行く

003  昨日から、仕事だが、近畿ブロックの会議で、丹後エクスピロラーに乗って、天橋立に行った。

 たしか15年ほど前、はじめて家族でキャンプのついでにここへ来たことがある。

 会議と宿泊は、天橋立ホテル+天橋立オベルジューと2つの施設を使った。

 大阪駅11時10発のエクスプローラーは自由席を使った。まるで2階立てのような客車でサンルームのような窓と天井側面だ。

 ちょっとアクシデントか、冷房がほとんど効かない。車掌に聞いてみると、「調子悪いので」というだけ。2時間半それほど気にはならなかったが、一緒に行ったYさんは、かなり苦しそうだ。

 それはさておき、ホテルは天橋立駅からすぐのところにある。会議は2時からなので、30分はある。近くで海鮮丼を食べた。

 午後は目いっぱい会議。5時すぎにやっと会議を終え、となりのオーベルジュに移動。ここで宿泊した。どうもこの2つの建物は阪急、阪神が経営統合していしょになったらしいが、ぼくらがとまるオーベルジュは、阪神系列と予想したが、設備のランクが落ちる。

 まあしかし1人1部屋で快適に過ごせた。ただ、大浴場は、ホテル側と移動がじゃまくさい。

 夕食はオーベルジュ。フランス料理だが、まあまあだ。10人全員でワインをかなり飲んだ。ここから見る夕暮れの宮津湾は、情緒たっぷりといえる。

 090804

 翌日は、会議が午前10時開始ということなので、6時半に目が覚めたが、時間はたっぷりある。それで、レンタサイクルを借り、天橋立を往復することにした。

 15年前の記憶を確認したいこともある。

 しかし、橋立の入口は、以前かなり広い広場だったように記憶があるが、移動していくと店ばかり。寺もあった。

 しかしとにかくその橋を進んでいく。

 松林の中は不思議に涼しい。風が通るのと、松がいったいに茂っているので、そうなるのだろう。

 途中白人の男女ペアと出くわし、なぜか外人だけにGood Morningと声をかけてしまうから、ちょっとうれしがりだ。

 対面のケーブルカー乗り場まで坂を上った。

ただ、財布を持ってくるのを忘れたので、時間は十分あったが、利用しなかった。

008

 まあ、ゆっくり走って、40分ほどでホテルに戻った。フロントにレンタサイクルのカギを返すとき、おせっかい癖で、「チェーンを貼りすぎてます。ペダルは使いすぎか異音がします」と言ってしまった。

 あと時間ぎりぎりだったが、また風呂に汗を流しに行った。

 出たのは、制限時間の午前9時ぎりぎり。掃除のおばさんが入りかけてきた。間一髪だった。

 ほどなく、10時から2日目の会議開始。しかし2時間はあっという間に過ぎ、全工程が終了した。

 みんなで、近くの手打ちそば家でお奨め海老入りそば1380円を食べた。

 そのあと近隣県のTさんとせっかくだからと、予定の帰り列車時刻13時53分まで、約50分を利用して、天橋立側の展望台まで登ることにした。ただしケーブルを利用する。

 090804_2

090804_3  ちょっと時間を気にしながら、登ってみると、眺め最高!!!

 股をくぐるように写真をさかさまにしてみると、言い伝えのように竜が空を飛んでいる見えるからおもしろい。

 日本三景の一つをまた確認したような喜びがある。

 およそ15分ほどに展望台滞在だが、列車発車の時間までのちょっとした緊張の中、観光してみるのもいいものだ。

 午後1時45分に駅にもどり、53分発の北近畿タンゴ14号自由席乗り込む。

 なんとか夕方には大阪に着いた。

2009年5月31日 (日)

ホタルを見にいく。兵庫県丹波市Mくん宅へ

003  2009年5月も残すところあと1日の30日、仕事でつきあいのあるMさんから、「ホタルが今出てきています。寿命は10日あまりです」

というメールが入る。

 いてもたってもいられず、妻と相談の上、30日(土)午後からそのMくん宅を訪問することにした。

 そのMくんは去年8月三重県から引っ越したばかりということだ。

 しかし最近、高速道路はETC搭載車のみ1,000円という差別的制度により、ぼくの車は、土曜日であろうと1850円を払わないといけない。

 ただ、現地は地道のルートでの行程は、地図でみたかぎり直線コースで尼崎から京都よりもさらに遠いのを知り、愕然とし、結局中国道、舞鶴道を利用した。

 それで1時間30分で迷わず現地近くの唯一のコンビに到着できた。002

携帯電話で到着の連絡をし、そこまで迎えにきてもらって、Mくん宅に着く。

 ちょっと雨模様だ。山々にかこまれた谷間にその村がある。

 家に入って驚く。正統日本民家。それも元地主というから結構大きな家だ。幅20cmぐらいの太い大黒柱があり、広い縁側がある。

 敷地もかなり広い。300坪という。農地を申請するため、その広さを維持したらしい。

 テレビ番組「人生の楽園」に出てもひけを取らないだろう。

 夕方より野外料理となる。自家製野菜、新鮮なとびうおなど、うらやましい食材ばかりだ。

 ひろしきり食べてあたりが暗くなること、目的のホタル探しにいく。ちょうど次女である娘さんが大阪から彼氏を連れてやってきた。まもなく結婚するらしい。彼氏もなかなかやさしそうな人だ。

 まず庭に出てみると数匹がすでにお尻を軽く光らして木々にとまっていた。それだけで感動だ。

 さらに少し歩いて、どんどん暗くなるなか、近くの大きな川の土手を歩く。

 006 いるわいるわ、感動している暇もなく、ただただシャッターチャンスを逃がさないため必死だ。009  

 ホタルの乱舞とまではいかないが、ゆるやかなその光の動きがいい。

 ホタルは、原始的な自然の中に宿るのではなく、人の暮らす近くの小川などに育つと知識では聞いていた。

 まさにそのとおり。ただ尼崎のような人家が密集したとろこではなく、里山などの自然と共生する環境がいいのだろう。

 だからこの地もうらやましい。

 家にもどり会話に花がさき、11時まえには用意してまらった床に入る。

 朝はやく目覚め、またひとしきり話に花が咲いたが、ただ田舎暮らしは、不便さもあり、地域が小規模のため、ケーブルテレビなども回線がまだとおっていないし、共同アンテナ等々負担費用も多いらしい。また共同作業のノルマも多く、草刈は半端ではない。100mぐらい1件が担当するらしい。草刈機での草刈作業のしんどさは滋賀県のログハウスで経験しているのでよくわかる。

 ただ人のつながりというか、付き合いは強い。いまだにどの家も農作業にいく間、家のかぎをかけないらしい。 犯罪もほとんどないのだろう。

 9時半をすぎ、M家を後にする。娘さんとフィアンセの彼が親切に、地道で帰るルートを教えてくれる。ちょっと不安だったが、なんとか要所、要所をうまくまがり、篠山まで出て、そのあとは以前自転車で走ったことのある西峠を通り、川西を通り帰る。

 西峠を通過するとき、どの程度の坂だったか確認しながら走ったが、結構きつく見える。

 しかしまた挑戦しよう。

 Photo トイレ休憩のため、猪名川公園休憩所というところに入った。

 とにかくはじめての訪問だったが、満足いっぱいで帰ってきた。

2009年5月 4日 (月)

万博公園が39年でりっぱな森になっていた!

090504  思い起こせば39年前に、この地千里丘陵の一角を伐採し、大阪万国博の会場になったわけだが、今やほとんどのパビリオンの痕跡はなく、太陽の塔だけがその面影を写している。

 今日は、やっと夫婦で観光する日になったのだが、阪急電車無料情報誌「TOKKU(トック)」で紹介していた万博公園の自然文化園に設置された「ソラード」という鳥の目線で歩く木の橋を渡りたくて、ここに来た。

 移動はもちろん電車で行く。阪急「武庫之荘」から「十三」で乗り換え、宝塚線で「蛍池」まで行き、今度は大阪モノレールで6つほど、「万博記念公園」駅で降りると、入り口に近づく。

 入場料がいって、250円だが、自然文化園と日本庭園を利用できる。

 文化園内にはいると、びっくりしたのは、あたりはすべて森だということだ。大分前に来たことはあるが、そのときの印象とも大分違う。

 自然観察学習館という施設があって、どこにでもよくあるいろいろな樹木の種や、生息する動物の剥製、生息する魚の水槽など、印象はとくにないが、万博が開かれた1970年から終了後の39年、自然再生の試みの歴史を写真と解説で掲示されている。

 これは世界でどこにもない試みらしい。なにせ博覧会会場のコンクリートを剥がして、そこから苗木を植え、池を作り、いろいろな試み、手立てをしてきたらしい。ただそれは完全ではなくて、同じような樹木が生長するが、低木や草木の植生がおもうように進んでいないという。

 動物も新しく生息してきたたぬきなどもあれば、草原や低木群がなくなったために、キジなどはいなくなったという。

 さらに歴史が必要らしいが、壮大な実験だ。しかし自分の年齢が増すたびにこの森の変化を見ることは楽しみになってきた。

090504_2 090504_3 090504_4 目的のソラードは、期待どおりだが、小鳥を見なかったのが、残念だ。むしろあとから入った「日本庭園」の方が、歴史が古いからか。小鳥の声を良く聞いた。

 そのあと向かったプラタナス並木は、入場者の女性が、ぼくたちの横で話していた、「冬のソナタに出てくる場面に似ているらしいから行ってみよう」という言葉につられ、行ってみたが、とにかく木の高さがすごい。幹も太い。これが30年ぐらいで成長したのかと驚く。

 菖蒲園では、菖蒲の花の紫があざやかだ。

 この連休、無理に車で遠くに行かなくても、電車とモノレールで移動して、自然の植生の中に踏み込めた。

 これはなかなか穴場だ。

 3世代の家族ごとや、若い親子、恋人どおしなど、実にのんびりと園内を楽しんでいた。

 3月に行った京都の御苑(御所)もよさはあったが、ここも穴場だ!

 帰りは、もときた方向でモノレールと電車で移動したが、モノレールを降りた蛍池駅の前の十割そば家に入って、そばを食べた。

 まだ打撲の左手がよくならないのが辛い。

2009年4月12日 (日)

桜見物最後の日曜日

007  今日はひさびさに予定nothingの日曜日だ。

 それで先週夜桜で企画していた神戸水の科学館に行ってみることにした。今日は夫婦同伴だ。

 しかしそのため昨日ホームページで桜まつりをまだしているか、調べてみたが、その企画が消えていた。

 まあ、行ってみることにして、阪急で三宮へ、そのから地下鉄西神線に乗り換え、大倉山で下車。大倉山にも行ってみた。

 大倉山もまだ、かなり桜が咲いていた。そこから何川か知らないがその山の横を流れる川筋を水の科学館がある楠谷町(クスダニチョウ)歩いたら、あるではないか、通り中桜だらけだ。001

右の写真は、大倉山。その向こうに神戸大学医学部が見える。

003 次に写真が、川筋の桜並木だ。

 この道をまっすぐ上流に歩いていくと10分ほどで水の科学館に出た。

 それで入り口の様子を見てみるとかなりお客さんが来ているようだ。

 まだ11時だったが、入る前にコンビニを探し、弁当を買った。

 

005 入場したが、すべて無料。科学館の展示室も今日は無料(通常は200円)。

 まあそれなりの展示だが、烏原貯水池のダムの建設工事の鮮明な写真が展示されている。なにせ明治23年とたしか書いてあったので、100年ほど前の写真だ。

 そのころは水が満タンな風景で、ボートを漕いでいる姿をあった。まあこれを見たのは収穫だ。

 とにかく今日は桜三昧だった。

 家に帰って、午後からは今日の課題にしていた窓の網戸の張替えに挑戦。まあまあうまくいった。なにせ14年ぶりの張替えだが、結構丈夫なものだ。

 今日は桜三昧だった。

2009年3月22日 (日)

一泊二日琵琶湖に出かけました

001  昨日からひさびさに滋賀県、今津のログハウスに一泊二日で出かけた。

 今回は、地域流れ星少年団として企画されたものだが、父母8人と指導員、子ども13人の大所帯で出かけた。

 第一便はすでに午後2時に尼崎を出発した。

 ぼくは昼は、職場の理事会。午後7時の出発を約束して、第二便で3人で出発した。移動はJRを利用した。

インターネットの時刻表で近江今津までの便を調べると、午後7時33分立花駅を出発し、大阪駅で新快速に乗り換え、さらに京都、山科駅で湖西線に乗り換え、終点をめざす。

 しかし不思議なほど時間通り各車両はやってきた。

 駅からはタクシーでログハウスまで移動したが、駅には、仲間が迎えにきていたのだ。入れ違いになり、何度もあやまった。

 夜は宴会となり、酒で話に花が咲いた。ギターも弾き、歌もうたい、午前1時になってしまった。

 しかし21人の人数で、20畳ほどのログハウス、一回とロフトの寝るのだから、大変だ。ぼくたち大人は男女関係なく一階の床にシュラフをひいて寝た。

 004

 翌日は、ゆっくり起きるという確認で、しかし7時には、トイレが混雑することも気をつかい、起きた。

 朝は雨もようだったが、止んだ間断を利用して、近辺に山菜を取りに行くことにした。

 ふきのとうは、周りの田んぼの土手のいっぱい咲いている。

 もともとチェックしていた林の近くでもやはり咲いていた。

おまけに161号線の土手に目がいくと、つくしが開いたあとのスギナがいっぱい目に入った。

 その付近に目を凝らしてみてみると、つくしがこれでもかというぐらい群生していた。

 おかげでかごいっぱいのつくしが手に入った。

 今日はなかなかラッキーだ!とうれしくなる。家に帰ってから、ふきのとうとつくしを天ぷらにしたが、美味である。新鮮だ。005

 003 先週の京都祇園の旅行もよかったが、こういった自然の中で緑に囲まれ、ログハウスの気の味わいと、蒔きストーブの炎を見ながらFM音楽を聴きながらゆったり過ごすのもいい。

 そのソファーの机に残してあった利用者の日記の中に自分の2007年9月22日の琵琶湖一周のことが書いてあって思い出した。休憩も入れて7時間25分と書いてある。

 とにかく途中で熱さのためバテたことだけが、脳裏に焼きついている。

 今年は春に挑戦しよう。そして少しでも記録更新に挑戦しよう。

2009年3月16日 (月)

一泊二日京都夫婦旅行出かけました

006_2  突然のようではありますが、妻がすでに1月には休みの申請をしていて、本当はこの月の14日、15日の予定で考えていた夫婦旅行を、14日の集会参加の予定が後から入ったため、よむなく15日(日)、16日(月)の日程で実行することにした。

 予約は今回はホテルのみ。妻の共済の全国的な厚生施設から、京都祇園ホテルを選んた。

 予約は3週間ほど前だったが、うまく空いていた。直前に調べるとあのアパホテル系列とわかり、失望したが、行ってみると結構老舗ホテルで、あとからアパと提携したようだ。場所は阪急「四条河原町」から八坂神社の方向に歩いて、5分ほどだ。

 祇園からの通りからも近い。

 14日はまず清水寺を目指した。当然「四条河原町」から歩いていったが、建仁寺という大きな寺に寄り道し、清水坂というルートから登った。

 大分前に来た覚えがあるが、たしか生まれてから一回しかきたことがない。010

 まあある意味予想どおりだったが、違った面もあった。

 気になるのは今日は、やたら自動車が多いということだ。祇園にしろ清水寺周辺にしろ、ひっきりなしに車が行き来している。ちょっと失望した。

 世界遺産が泣く。

 提案だが、京都の中心部、観光地は車を制限して、路面電車とバスだけにするべきだと思う。

 昼食はこの清水寺を降りて、「茶碗坂」という道を降りたが、途中「清坂停」という感じのいいレストランに入る。

 地ビールを飲み、ランチを食べる。

 それからその坂を下りていったが、妻は悔いのないぐらい焼き物の店を見て回った。面白いのは、坂を下っていくにしたがって、値段が安いものを販売していることだ。その焼き物の値打ちなど見抜けないが、とにかく値段が安いものが店頭にならぶ。

 それで自分的には掘り出し物のマグカップ(1000円)を一個買った。妻は五条坂の近くの店で湯のみとマグカップを買った。

 015_2

 そこから五条で地下鉄に乗り、丸太町で降り、京都御苑(御所)に向かう。

 喧騒としたさきほどの五条通りから、一転都会のオアシスという感じはこの御苑にはある。

 しかしここは広い。最近読んだ、「京都の江戸時代を歩く」によると、公家さんたちは京都の広い地域に散らばっていたらしいが、今はよくわからない。御苑内にも何箇所か旧屋敷跡の看板が多い。

 この日は時間がたぷっりある。御苑内の休憩所でコーヒーを飲み、時間を楽しむ。

 妻も大分歩きつかれているらしく、この御苑内の西北の地下鉄駅「今出川駅」からホテルの方向へもどることにした。ぼくの学生のころは、このいったいは路面電車が縦横部準に走っていたのを思い出す。京都にマイカーの混雑は似合わない。

 地下鉄から阪急に乗り換える烏丸駅の阪急切符売り場で、白人の初老がぼーとしている。ぼくもオーストラリアの切符機械でパニックになった経験があるので、失礼だが、声をかけ、「どの駅まで買いたいのですか」と質問。ただなんと言ったか思い出せない。(where will you go?だったか)。それで「キュウト!キョウト!」と自分の地図を出してくれた。それでここは阪急なので、その駅はない。きっと地下鉄です(sub wey)というと理解したみたいで、安心していた。その方向を指さしてあげた。

 役に立ってこちらもうれしい。

 四条河原町にもどって、それでも時間は午後3時半だ。夕食に利用したい場所を下見してみた。情報は持っていったJTBの「歩くおてがる京都地図」に掲載されている店をあたる。どれからホテルでチェックインした。

 部屋ではしばしダウン。

 夕食は下見した高瀬川付近ではなく、祇園、花見小路からちょっと入った初音小路の中にある「ぎおんまんざら」にほとんど偶然だが、入った。元茶屋のオーナーが改装して創作料理やに立て替えた店だ。

 016 なかなか感じがいい。料理もうまい。

 店員に人もよく教育されている。雑誌を見てきたことを若い接待女店員さんに告げたり、よけいなコミュニケーションをしてしまった。017

2人でビールと日本酒2合飲んで、9450円。まあ気分もよくなって「まあ、いいか」という感じで店を出た。男性店員さんが戸口まで見送ってうれたが、NHK朝の連続小説「だんだん」の京都場面は、すぐ近くがロケに使われたということを教えてくれた。

 いろんな人と言葉を交わすには楽しい。

 020

 翌日は、朝四条の通りを眺めだがらの朝食バイキングを食べ、チェックアウトしてすぐ帰路に向かった。

 家に帰ってひたすら読書。「慢性疲労は首でなおせる」を読み会えた。

 内容でロードバイクの運転に関係ある部分があったが、それはまた明日。

 まあ、新鮮な気持ちを取り戻した2日間だった。

2009年1月 9日 (金)

北海道キロロに来ています

011_2 職員旅行で北海道キロロスキー場に来た。パソコンの更新は無理なのだが、携帯で初めて挑戦してみた。正直今回はスキーの意欲がもう一歩という気持ちで来た。
しかしゲレンデに出て滑ってみると、その魅力が甦ってきた。
というのもお腹の調子がまだ不安定で気分が乗らないということか関係している。
スキーのスビード感覚は、自転車のダウンヒルに似ている。体の重心の置き方の調整が面白い。
明日は吹雪くらしい。もう少し体調を回復させて楽しみたい。005

2008年12月 7日 (日)

地域、流れ星少年団父母会ハイキング決行

007_2  今日は、以前から関係者に案内していた流れ星少年団父母会のハイキングの引率だ。

 集合の午前9時の5分まえには次々参加者がやってきて、当初3人ぐらいで行くことになるかと思ったが、11人が集まった。

 しかし父母は自分を入れて4人、あとは指導員の青年7人がやってきた。

 しかし今年が企画を実行する回数が少なく、3回目の企画だ。

 天気は快晴。阪急電車から見える六甲山、甲山はきれいにオレンジに色づいている。

 002

阪急電車は夙川で枝腺の甲陽園線に乗り換え、終点まで乗るが、それがたった2駅目だ。

 駅を出て、前の道路を東に歩き、郵便局前の坂道を登っていく。

003  父母3人の体力を気にしながらゆっくり登る。

 この近辺は、結構所得の多い家が多いようで、かなりユニックな家が多い。しかし家から大阪湾が一望できるところが多く、恵まれている。

 ひとしきり坂を上り続けると、ついに坂の最後に到着し、下りの代わる。

 ただ甲山が前面に見える付近でちょっと長い登りの道になる。

 その峠もやり過ごし、下ったところを左の森の中に入る。ここは、四国八十八箇所のミニチュア仏像が続いていくという面白いところだ。

 008

そのうち仏像郡がなくなり、道路に合流するが、しばらく歩いて、北山貯水池に着く。

 その土手を歩いていると、なんと地面の水溜りのあとが凍っていた。さすがに昨日から温度がかなり下がっている。

 ここから南に目を向けると、大阪湾が一望でき、今日は天気がよく、はっきり大阪南港の火力発電所の煙まで見えた。

 時間はまだ、11時前。一機に西宮市立緑化植物園まで歩くことにした。

 下りが多いが、この付近は北山緑地というか、完全に森の中だ。

 ふたすら下っていく。今日はハイキングに来る人が少ない。やはり寒さのせいだろうか。

 そのうち進行方向と平行に右側に道路が見えてきて、車がひっきりなしに走っている。

 まだまだ自動車利用者はどこでも多いようだ。

 やがて駐車場が見えてきて、緑化植物園入り口が見えてきた。

 時間はまだ11時半。ちょっと管理施設に入ってみた。009

クリスマス飾りの展示をしていた。

 ここはなかなかいろんな企画を季節ごとにやっている。

 そのあと、広場に移動し、昼食とする。

 家からは、今日は玄米のおにぎりを持ってきた。あとはさばの焼いたものとキャベツとプチトマトだ。

 陽が照ってなかなかぬくい。

 いわしの煮干を焼いたものや、つけものなど出してくれて、最後は、粉末のカフェオレや紅茶をお湯にポットの湯で飲む。

 いつもはガソリンバーナーを持ってくるのだが、今日は寒さを考えて、すぐ湯を出せるよう考えた。

 011 014

食後、園内の北山山荘といってもともと個人の屋敷をこの植物園に移築された屋敷の中を見学する。

 まだもみじが数本見事に紅葉していた。

 ただいつもは抹茶のもてなしを500円払うとできるのだが、12月からは閉店ということだったのが残念だった。

 ここでハイキングは終了。

 このあとは阪神バスで西宮駅まで乗り、そこから阪神電車一駅の「今津」で降り、スーパー銭湯「やまとの湯」に行った。

 016_2

 尼崎Hにもおなじ「やまとの湯」があるが、西宮の方が古い。

 風呂に浸ると自然体が緩む。

 風呂上りに、生ビール小を飲み、そのうちみんなが出てきて、思い思いの飲み物、食べ物と会話が花盛りだ。 

 ただ一人高校生のHくんが出てこない。1時間以上入っていたらしい。

 この企画は、温泉が定番になっていて、むしろ若者の方がそれを楽しみにしてくれているようで参加者が多くなってきた。

 なにせ父母の一人は医療生協病院の医師であり、もう二人は患者なのだからおもしろい関係だ。ただその二人は医師の指導がよく、健康面で改善しているそうだ。

 まあ、地域での繋がりというのは、歳を取っていっても、かけがえのないものになるだろう。

 次は1月2日の09年初歩きの企画が待っている。

2008年9月20日 (土)

続シンガポール紀行 アラブ通見学から帰還まで

Photo サントーサでの昼食を終え、またモノレールに乗って、始発のショッピングモールを見学する。日本の大型ショッピングモールより規模が大きい。

 見学を終え、また MRTを利用して、今度はアラブ通という地域に近いと思われる駅に下車。

 しかしなかなか場所がわからない。何人かに聞いて、いったりきたり。

 とうとう見つけた。

 シンガポールの他の場所と比べると雑然としている。なにか怪しい店が多い。

 衣料品と生地、激安のジーパンなどの店が一杯だ。

 ここを歩いているころ、疲れがピークだった。

 夕方になってきて、帰りの空港の時間はだんだん近づいてきたが、ただ出発は午後11時58分の深夜だ。

 娘も夜勤があって、午後7時半には出かけないといけない。

 それでこれ以上移動はやめ、夕食を娘の家に帰ってすることにし、トアパヨの駅に向かうため、MRTに乗る。

 トアパヨの駅ビルの2階に食堂街がある。テークオフも出来るということで、麺類を頼む。しかし疲れはここでもピークで、メニューを頼むのもどうでもいいという感じだ。

 なんとか4人それぞれすきなものを買い、1階のコンビニでビールを買い、マンションに帰る。

 もう午後6時をすぎている。順番にシャワーを浴び、食事をする。

 そのころここの住人の一人のマレー人の女性がもどってきた。

 そのまま会話をしないで出ていくのも心残りなので、直接英語で「利用させてもらってありがとう。もし日本に来ることがあったら、ぜひ家を訪問してください」というと、にっこりしておたがい和んだ。

 すべての荷物を準備し、家を出る。またMRTに4人で乗り、まず乗り換え駅のシテイーホールまで乗る。月曜日で仕事帰りの人が多い。

 シティーホールで降り、いよいよ娘と別れる瞬間だ。妻と娘、ぼくと娘 それぞれ握手し、やってきた列車に乗る。妻は涙を浮かべている。それを見てぼくも涙ぐみそうになる。

 列車が動いても手を振って名残惜しんだ。

 いよいよシンガポールに着いたとき、こわごわ乗った反対のルートを帰る。

 約30分で最終駅、エアラインステーションに到着。

 Photo_2 エスカレートを登り、ついたところはターミナル3。しかしまたチケット手続きをするところがわからない。

 それで、近くの案内人らしい男性に聞いてみると、その人は、JARの搭乗手続きは、ターミナル1で、ここからステーショントレインに乗っていけばいい。ターミナル1では11番カウンターです。

 と正確に説明してくれたのでとても好感がもてた。

 移動して無事搭乗チケットを手に入れた。しかしその窓口では現地の女性で、席の希望も聞いてくれたい。

 搭乗してから分かったが、座席は満員だったので選択の余地がなかったのだろう。

 そのあと、飛行機の乗るまで2時間ほどもあるので、土産店でマーライオンのチョコレートなどを買い、それでも時間がたっぷりあって、ターミナル1の中をうろうろ。

 階段を上がるとラウンジがあるらしく、その方向に向かう。

 ドアをあけると屋上になっていてそこがラウンジだが、ビールなどが頼める。ベルギービールをたのみ、3人で飲む。周りはなぜか白人ばかり。ちょっと別の国に来た感覚。遠くでは頻繁に滑走路を離陸していく旅客機が見える。

 しばし落ち着いた感覚になる。

 そのあと42番ゲート近くで待機し、いよいよ搭乗する。

 しかし深夜出発の便は辛い。台風の影響は朝食サービスをできないかもわからないということで、なんと午前2時ごろそれが繰り上がって出てくる。

 しかたがないので全部たべワインも飲んだ。

 ほどなく消灯になったが、座ったまま寝るのはつらい。リクライニングは満員のためか、シートを倒せないようになっているのか。みんなそのままで寝ていた。

 まるでブロイラーだ。

 いくら消化しないといけないといっても午後2時の朝食は興ざめだ。

 午前7時10分無事関空の滑走路に車輪が降りた。ほっとする。

 飛行機を降り、ずっと歩いて税関に。チェックは早い。そして預かり荷物の変換。ハードケースはシンガポールでは、自分のところのものとなかなか判別できなかったが、帰りはオレンジのバンドをオーチャードで買ってあって、つけていたのですぐわかた。

 そのあと荷物チェック。3人でかたまって出ると、うたがうことなくすぐクリアー。

 3日間停車しておいたプレーリのある駐車場へ向かう。

 料金を払うとき、値段は予想どおり8000円だった。まあいいさ。このほうが楽だと納得して車を走らせる。

 日本はやっぱり日本だった! たった3日だが、懐かしくおもいながら家に向かった。

2008年9月19日 (金)

続シンガポール紀行 3日目の一部始終

Photo シンガポール3日目、今日が最後の日になった。

 娘は夜勤の仕事があるが、夜までは、時間が空いている。やっと朝から同行できる。

 昨日まではいけなかった、サントーサの島へ行くことにした。

 シンガポール本島の島だが、サントーサというリゾート地がある。年中泳げる場所だ。

 この島へは、モノレールで行く方法が格安だ。

 駅を降りると、例の大型マーライオンがそびえていた。テレビの観光番組で最近みた。中の入って頭の上まで登れることを知識としてしっていた。

 これも行ってみたいところだった。料金は300円ぐらいだが、中で、シンガポールの歴史を紹介したアニメが上映されていた。

 シンガポールの名前はもともと「シンガポーラ」と呼ばれていて、シンガポールを発見した王が最初に見たのが、その島のライオンで、やがてライオンが海にもぐり、下半身が魚の姿になったという話らしい。

 シンガーとはそのライオンの意味らしい。だからこの国はライオンが国名に由来しているのだ。マーライオンはまさに国のシンボルということだ。

 ラーマライオンを出て、ガウディの作品をもした噴水の道を通り、浜辺へ向かう。

 Photo_2

  あった。砂浜がきれいだ。

  しかしこの砂浜は人口のものだという。

 流れついたのか、古い椰子の実を2男がみつけ、近くにあった石で穴をあける。ぼくも手伝って20分ぐらいそれに集中する。やっと中が開いたが、やはり古くてすっぱい。

 まあしかし満足した。

Photo_4

 もう一度着てみたい衝動に駆られる。

 一日ここで泳いだり、昼寝をしたりしてみたい。

 このあとアラブ街に行くが、それは後日に。

 

2008年9月18日 (木)

続シンガポール紀行 2日目夕方からナイトサファリで夜はふける。

Photo  コンサートホールをあとにし、もよりの駅を探す。そこはどうも娘が働いている地域らしい。

 りっぱなビルが林立している。

 そこからまたオーチャードに向かう。もうMRTの鉄道の概要と自販機の要領はわかっているので、どこでもいける気分だ。

 オーチャードの百貨店のようなところの地下にスーパーを発見。

噴水のようなところに座っていると、「その中の店にごようですか」とか聞かれ、あんにそこに座ってはいけませんと言われているうようだので、立ち上がり、スーパーに入る。夕食をもちかえろうといろいろ探したが、朝のパンも買ったが、夕食には、日本人の寿司屋主人がいるコーナーで寿司を買う。日本とほとんど同じような品揃えだが、ちょっとアレンジしてあり、マヨネーズを塗った軍艦巻きのものもあった。

 そこから宿泊しているトアパヨの駅に向かう。

 マンションの部屋について、外側の鉄の柵のカギをあけようとカギを入れてまわすが、柵はあかない。15分ほどかかりきるが、開かない。

 ついに娘の職場に電話をかける。

 急いでかえってくると返事があったので、それまでとにかく、カギの入れ方を変えたり、上のちょっと柵をもちあげてまわしたりしていたら、偶然開いた。

 やっと家に入ってまずシャワーをあびる。

 そのうち娘も帰ってきた。

 ひとしきり休んで、いよいよ念願のナイトサファリに向かうことにした。

 Photo_3  マンションをあとにし、駅近くでタクシーを捜すが、全然ない。結局一番ちかいMRTの駅まで行くことにした。

 夜8時を過ぎているのに、車両は結構込んでいた。

 オンギモ?だったか、駅に着くとナイトサファリの看板がある。入場券と園内バスと会場までのシャトル車を合わせて、料金が書いてあり、シャトル車は無料ということで考えていると、どこからともなく青年が「ナイトサファリのバスはこちらです」と近寄ってくる。

 

 料金は車を降りてからでいい、ということなので信用して車を待つところに移動する。

 無料で助かったと思ったが、車に乗ると以上に長い距離を走る。どこか違い場所に連れて行かれるのではないかと思ってしまう。

 車には10人ほど客が乗ったが、途中ナイトサファリとは程遠い場所で止まり、そこに若い係り員らしい女性が入ってきて、料金を徴収していく。

 妻は園内バスは日本語用と聞いているがそのチケットかと日本語で聞き、娘が英語で問うが要領をきず、返答せず出て行った。

 あとから思うとどうもこのサービスはサファリとは関係ない団体がやっているようだ。

 まあ、無事会場のついたわけだが、30分ぐらいかかった。

 Photo_4 結局会場内に日本人むけの窓口があり、インド系の女性と若者が応対していて、園内バスを教えてくれた。

 明るい女性だ。

 先に園内をバスで見学し、10時半からショーを見ることにした。

 Photo_5

園内は、フラッシュ禁止。カメラにはかろうじてフラミンゴの集団が写った。

 ただ、ライオンや象やトラなどは、夜であるのも関わらず、昼間の動物園とおなじように寝そべっている。

 これではナイトサファリの意味がない。

 案内では、絶滅種と園内のジャングルを守っているというが、夜を頻繁にバスが移動するのは動物にとってはいいことなのか、またジャングルにはいたるところにライトを設置しているが、これはどうなのか。

 園内バスでの見学を終え、最後のショーに走ってむかう。なにせ満員になると締め切るらしい。

 しかしショーは、火のついた棒をまわす踊りがあるのと思ったが、一人のアシスタントのアナウンスを中心にハイエナやイタチのが出てくるだけ。ただ途中座席の下からニシキヘビが出てくるぐらいがサプライズだが、それだけだ。

 ちょっとがっかりでショーは終わり、園内を歩くコースがあるので、妻は積極的で行こうという。時刻は11時を過ぎている。

 ひとしきり歩くとあと1時間はかかるらしい。途中で案内に人がいて、聞いたがその方向に歩くと、またその案内人で出くわす。ようするにただまわってきただけだった。

それで途中の駅に園内バスが来ていたので、交渉して乗せてもらうことになり、園内バスコースを2回回ったことになる。

 やっとバスを降りて、11時半ぐらい。会場を出て、タクシー乗り場に行く。りっぱなハイヤー風のタクシーに乗る。ずっとまっていたためか、冷房でタクシーの中の窓はすべて曇っていた。

 しかし直接トアパヨの駅に向かうと、20分ほどで到着。意外だった。料金も11$(900円ぐらい)。

 まあ初めての経験だが、それなりにミステリーだった。

 2日目のスケジュールは深夜に及んだ。

2008年9月16日 (火)

続シンガポール旅行記・書ききれないエピソード

Cimg9286_2  今、16日午後6時。さっきまで更新していた記事が保存する前に一瞬に消えた。こういうことはたまにある。

 2日前に書き残していたできごとを書いておかないといけない。

 それはシンガポール(チャンギー)空港について、出国手続きをスムーズに終え、そこを出れば娘がまっていて、家に案内してくれるだろうと安心していたのだが、娘がいない。

 電話番号を控えてきていたので、公衆電話を探し、娘に2男よりTELしてもらう。しかし一瞬非常な不安がおそわれた。右も左もわからない外国で路頭にまようのか。

 Cimg9245 結局連絡がついたが、娘は仕事に日で、難問の仕事を終えられず、まだ職場にいるということ。結論といては、娘の住むマンションの最寄の駅までこちらから行かざるをえない。

 日本からルルブの観光雑誌を持っていたので、それを便りに向かう。しかし空港内部は広く、肝心の電車MRTのターミナルはどこにあるかわからない。最初に聞いたたよりなさそうな現地人に聞いたが、バスで行くのが早いという。しかしどうも違う。

 それでみんなが進んでいるターミナルトレインの方に歩き、ターミナル3に移動。「あった!!!!」。MRTの乗り場案内矢印がある。エスカレータがやたら多く、方向が確認できない。

 掃除のおばさんにぼくが「MRT乗り場はどこですか」と聞くと、そばのエスカレータを降りるように促され、その順序でどその駅はあった。「チャンギーエアポート」とある。

 まず自販機できっぷを買う。やり方がちがう。ただ以前オーストラリア、シドニーで列車に乗るとき、30分ほど悩んだことがあるので、なんとなく発想は予感できた。

 つまり先に画面の目的駅を指で触る。それからお金を入れるのだ。3人なのだが、人数案内ページがでて、3を押す。日本にように人間にイラストのついたボタンはない。

 すると切符でなくキャッシュカードのようなカードが出てきた。

 これをイコカカードのように改札口であてる。ただつがいのは料金は1$余分に払っていて、目的地の駅についたとき、自販機でカードを入れて、1ドル戻ってくる。

 うまくできていると思った。

 まあ、娘のいるトアパヨ駅に着くまでも乗り換えで冷や汗ものだったが、なんとか着いて、駅の外に娘が待っていた。申し訳なさそうだ。

 しかしこのMRTは日本に地下鉄に似ているが、車内は日本にようにおびただしい広告はない。また乗客はインド系、中国系、マレーシア系等々ごく自然だ。こちらから見ると国際的に見える。また乗降の仕方はちょっとよろしくないが、中のマナーはいいように感じた。両サイドの座席が日本に優先座席と同じだが、さっと譲り合っている姿がいい。

 また治安もいいようだし、一人だけ大またで周りをふさいでいるような人は見当たらない。

 一日目のエピソードでこれだけだ。続きは明日に。

2008年9月15日 (月)

シンガポール2日目、運河をくだる。ナイトサファリに行く

 娘の家にやってきて2日目。彼女は、仕事が休めず、3人でとにかく街と観光地を回る。

オーチャード、リトルインディアン、クラークキー、マーライオンのいるマリーナシティーすべてMRTという地下鉄で行く。

夜は島北部のナイトサファリへ。いそがしい旅である。

詳しいことはまた後日Cimg9262

2008年8月 5日 (火)

近畿ブロック会議を終えて

Photo  昨日は、夜ふくろうの湯というスーパー銭湯に行く途中、和歌山城のライトアップをバックにスナップ。

 大阪より和歌山の夜は熱帯夜の暑さはゆるい。

 泊まった部屋は、シングルだったので、自分のペースで過ごせるのがよい。

 朝は6時半に起き、朝のトイレ、洗面を済ませ、朝食に向かう。どこも同じだが、レストランのバイキングだ。いろいろ選べるのはいいが、自分にとっては面倒くさい。この前のツアーのときと同じ機械が、トーストの横にある。自動で動いてパンが焼けるものだが、あまりきちんとやけていないし、パンも上手くなかった。最近自家製パンになれてきて、贅沢な材料で家では作っているので、一般の食パンはまずく感じる。

 部屋にもどって、うんよくNHK連続テレビ「瞳」をじっくり15分見る。

 終わってすぐ、部屋を後にし、1回受付でチェックアウトし、みんなを待つ。

 そのあとまた会議場所の教育会館に移動。3時間みっちり会議であった。

 会議を終えて、昼食のため、街を移動したが、格別に暑かった。到着した食事場所は、大きな屋敷で、それを改造した料亭。ただランチは1050円で、われわれ庶民にも手が届く値段だ。

080805  ひといきり時間を過ごし、いよいよ解散で、帰宅となる。僕はHさんといっしょにJR和歌山駅まで約20分歩いた。

 和歌山は遠いようで、そうでもない地域だ。行きと同じように大和路快速で行く。

 眠気がどんどん押し寄せてきて、しかも弱冷房の車内だったので、ぼっとしたまま帰路に向かう。

 家に帰るとクーラーはないので、格別に暑かったが、夜突然の雷と大雨。一度に涼しくんなった。

2008年7月27日 (日)

2日間阪急交通社ツアー参加

080725_2 最近いわゆる旅行社の格安ツアーに3度ほど参加したが、5月段階で宣伝していた「門司、下関、津和野の旅というのに25日、26日の一泊2日で参加した。

 新大阪駅に25日午前7時半集合。はじめて顔をあわす人ばかりだが、カップル、子ども連れ家族、会社グループなどさまざまな人が参加している。

 新幹線で西に向かうのは実際はじめてだが、広島で下車した。ざっと広島市街を通ったが、一応原爆投下の当時のことをガイドさんは説明してくれた。市内は路面電車が活躍している。地下鉄は逆に作っていないそうだ。

 さて、そこからまず厳島神社に向かった。ここもまったく初めて見る。名前の通る厳島にフェリーで渡る。潮風が気持ちいい。

 080725_3 この島の神社は文字通り世界遺産になっているが、なかなかの貫禄だ。海にせりたった神社は潮の満引きでその様相を変える。潮が引いているときは、干潟そのもので、かにの穴が無数にある。

 しかし気温は高く、暑い。

 干潟におりてかにを妻と見ていると、写真を写してほしいと白人の若者カップルが声をかけてきた。シャッターを押し、一応通用するお決まりの英語で「Where did you came from」(どこから来られたのですがと聞くと「イズランド」と言ったようだが、どこかwからない。よく聞いてみるとイスラエルということだ。

 しかしこの神社中にも白人、アジア人の外国人観光客が異常に多い。それにぼくたちが行ったときは、自衛隊の入隊まもないのか、非常に若い男性たちも観光らしく来ていた。

 港に止まっていた上陸艇のような船がそれらしい。あまりいい気はしない。

 さて、ここのホテルで昼食が用意され、ビール1本飲んでしまった。

 ここから下関の唐戸市場に停車し、その横のカモールかなんとかいう店屋街にしばらく滞在。ここから関門大橋が見える。そして源平壇ノ浦合戦で命を落とした○○天皇の痛んで作られた赤門神社?に途中下車。ここはまたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作「怪談」に出てくる耳なしほういちの像があるところだ。その近くには、源平合戦で命を落とした平敦盛らの自然石で作った墓がある。

 080725_8 さてこの日の圧巻は、そこから関門トンネルを渡って門司に入り、港周辺と今の現役の門司港駅を見たことだ。

 小樽港と同じように明治、大正時代に建った建築物が多く残され、周辺はだいぶ整備されていてきれいだ。

 その門司港駅は、行く前に神戸新聞の何かのシリーズといてその駅の写真が夜のライトアップした姿で掲載されていた。その前知識があっただけに実物を見て感激した。

080725_5 おそらく、日本の中でレトロな時代の現役駅舎としては最古のものらしい。構内というか改札の手前だが、今も洗面所(トイレではなく、夜行列車当直時顔を洗うためのもの)がある。

 たしか30年ほど前の大阪駅にもプラットフォームにあったのを覚えている。

 改札が自動の機械がある以外すべて昔のままだ。

 ライトアップを待ったが、残念ながら夏が日が長く、それを見る前にバスでホテルに向かう時間になってしまった。080725_6

2日目は、秋吉台、秋吉洞、津和野、岩国錦帯橋と特に感動するものはなく、津和野は、どうも街を売り物にしているにしては、ちょっとマンネリ感をなぜか感じる。とくに道に橋を流れる疎水の鯉の太りかたの異常さがそれを象徴している。それに山超えの道路を降りてくる途中2件の中型ホテルが廃業で廃れている姿を先に見て、よけいにそう思った。

 ただしその津和野まじかの道路で、JR単線が平行して走っているが、ちょうど同じ時刻に同じ方向にSLやまぐち号(D51)が見えたではないか。年配ガイドさんも長い間ガイドをしていて初めての体験です。と喜んでいる。

 思わずシャッターを押した。080725sl

 昔はごく一般的に走っていて、その煙を煙たがられていたSLも、こんな形で感動する貴重な存在になっていること事体不思議な感じだ。しかしわくわくするから面白い。

 それだけ今の時代が、便利になりすぎ、どんな乗り物も早くなりすぎ、懐古的ではないが、便利とはいいがたい、スマートとはいいがたいSL機関車のようなレトロなものが、新鮮に感じる環境になっているからこそ、そのような感覚になるのだろう。

 無骨でもいい、不器用でもいい。より人間的であれば・・・ という感じだ。080725_7

 ところで、新大阪駅でひかりに乗るとき、反対のプラットホームに初代新幹線が止まっていた。ここでも思わずシャッターを押した。これはもうすぐ迷宮入りになる。

 

 まあ、今回の旅は、この1泊2日で一人29,800円という価格だが、内容は、みやげ物屋へのスケジュールもなく、宿泊ホテル(ダイワロイヤルホテル)も各上で、添乗員さん、防長観光バスのガイドさん、運転手さんもいい人で、まあ三ツ星の内容だ。

 阪急交通社の女性添乗員Yさんは、聞くと派遣社員という待遇らしい。それに最近社会保険などが完備されたとのこと。しかしなかなか落ち着いて、自分で旅を楽しんでいるようで、それでいて細かい配慮もあり、なかなか優秀だ。お世話いただきお礼をいいたい。

 アンケートに書いておいたが、今回はホテル等も上質のところだったが、ちょうど企画と宣伝はガソリン高騰前であり、今後おなじような値段で質をおとさず企画を作るのはかなり難しそうだが、そういったお気軽ツアーもそれなりに味があり、よく検討してほしい。

 しかし国内には、まだまだ見るべき観光地があるぞ・・・・・。

 

2008年6月18日 (水)

一路、東京ベルギー大使館へ

 080618 いよいよ3男がベルギーの王立大学受験のため、渡航することになった。それでそのビザを取るのに、親の保証人としての証明が必要なため、直接一緒に大使館へ行くことになり、それが今日だ。
 朝7時27分の新幹線に乗るため、午前6時半に家を出た。
 なんとかダイヤに間に合い、一路東京の品川駅をめざす。朝の新幹線はビジネス系の男性サラリーマン風の人が多い。
 
 2時間半の移動だが、ひたすら雑誌BEPAL7月号を読む。ほとんどの特集を読んでしまった。
 
 ベルギー大使館は港区だったか、芝大門の増上寺の前にある。ただ建物は、イメージしていた塀があって、門を通り、建物に入るという感じではなく、ビルの1階を入るとなんといったらいいのか、すぐ受付がある。警備はきびしくガラスごしに唯一下の5cmほどの隙間だけが、書類のやりとりのために開いているだけだ。
 
 保証人はちょっと手間な英語での記入があったが、時間はそんなにかかわなかった。
 ただ、息子本人の書類記載が多く、約1時間まっていたわけだが、その間、ベルギーを紹介する雑誌の英語と格闘していた。
 
 結構その国家の成立が1830年であること、第一次大戦でドイツに占領されたこと、母国語は、オランダ、フランス、ドイツ語が使われていることなど分かった。
 
 渡航は24日なので、ビザを手に入れるのが、かなりシビアーな日程ではあるが、結局大事をとって、またあさって20日に本人だけでこの東京までそのビザを取りに来ることになった。
 それは、新幹線での帰りの列車の中に連絡があり、わかった。
 
 それにしても東京の人が多いことにはおどろいた。大阪の人間の方がせわしないとよく言うが、いまや東京の喧騒は比ではない。
 
 それは新大阪駅についてから、逆に大阪の人たちの方がのんびり歩いているように感じたから、そう思った。
 それに大使館のドアごしに見えたが、結構メッセンジャーが多いようだ。3人ほど走っていくのを見た。

 まあとにかく用事を済まして、家には午後4時すぎに着いた。

 じっとしていない性分だが、すぐ米の無人精米機のところに向かった。それで旧折りたたみ自転車で行こうとおもったら、その自転車のクサリダイヤルのカギが消えている。

 それで精米をしてから、一度家に帰って、すぐ今度はナンバサイクルに向かった。前と同じものはなかったが、一応ダイヤル式ワイヤーカギを買い求めて、少し長さがたにないものしかなかったが、その店にいつも世話になっている息子さんが、工夫してくれて使えるようにしてくれた。ついでに二台もさびを落としてうれて、ラッカーを塗ってくれた。

 あと近くのコープこうべ立花に行き、夕食の材料を買った。

 やはり体を動かしていないと、新館線での移動などは疲れるようだ。

2008年5月 4日 (日)

満足度120%、連休旅行、琵琶湖・今津ログハウスヘ

Photo  5月2日、あたふたと仕事を終えて、あたふたと用事をこなし、旅行に出る。

 丁度車検整備中のマイ・プレーリをぎりぎりこの日、自転車で帰りつつ、勝本モーターに立ち寄る。しかしその前に近くにあるサンワサイクルにマイ・ビアンキをフロントフォーク交換の依頼のため、預けにいった。

 車検はなにせ22年目の年式の車だから、交換部品も多く、日数がかかった。

そして慌しく今度はこの日の夕食と旅行の材料を買いに、家近くのスーパーオウジへ行く。

 午後6時半夕食作り。そして妻が帰ってくる前に旅行の支度もすませる。

 午後9時いよいよ琵琶湖に向けて始動。

 渋滞を恐れたが、まったく問題なく、スイスイ進み、午後11時すぎログハウスに着いた。

 翌日5月3日 朝6時半には目がさめる。ゆっくり広いテラスで食事をし、10時より琵琶湖の反対方向の米原の近くにある旧中山道、醒が井宿場に向けて、電車で移動することにした。

 ログからもよりの駅JR近江今津までは、ログに置いているママチャりで行く。ただ長期間誰も使っていないので、ペダルの遊びがない。さび付いている。それを直し、出かけた。

 湖西線を近江塩津まで行き、北陸本線に乗り換え、南へ。米原まで。そして東海道本線で次の駅「醒が井」へ。これで片道950円。まあいいか。

 Photo_2

 湧き水を利用した疎水にカリガモ?、花をさかせる藻が有名だ。

 5月は、まだ開花まえで観光客も少ない。それだけのんびり歩きまわった。ついでに駅まえで焼いていたアユの塩焼きを買い、川筋でビールを飲みながらたべる。なかなかいいものだ。

 JRの本数は1時間に2本程度。帰りの時刻を午後1時41分と考え、それでもゆっくり町を散策できた。3月に利用したバスツアーの旅のスケジュールづけはない。

 移動するだけで往復4時間かかったが、途中長浜手間でSLを目撃。鉄道マニアもひっきりなしだ。自分の乗った列車を撮影しているマニアも多く見る。

 午後4時にJR近江今津に帰ってきて、夕食の材料買出しに、平和堂スーパーへ。向かう途中、近江地方では有名な建築家ヴォーレスの記念館に立ちよる。近江八幡の豊郷小学校の存続問題でヴォーレスはその設計者としてクローズアップされ、僕も知るところとなった。

 Photo_3

その記念館は、元銀行の今津支店だったところだが、その通りにはあと元教会と郵便局があるとその記念館で聞き、ちょっと立ち寄る。

 教会がいい。今は幼稚園として利用されているということで、荒れ果てていない。

 夕食はログのテラスでバーベキュー。夜空を照らす星の数はここならでは。ビール、ワイン、日本酒とどんどんいきおいがつき、やがて睡魔に。もう午後10時には、倒れるように 2階の寝床に。

 2階の小窓を締めるのを忘れ、さすがにこの季節まだ夜は寒い。ちょっと震えがきた。

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3日目は帰る支度の日だが、朝ゆっくりまた食事をし、一通り妻と分担して掃除、片付け、食器洗いなどで時間が過ぎる。

 しかし10時より子一時間自転車でログハウスの周りを山菜取りに回る。 

 まずぼくら夫婦だけが知っている穴場がある。そこはみゅうがの宝庫。しかし今回は時期が、まだ早いらしい。

 次に箱館山麓の広大な水田に圧倒されながら、散策をさがす。

 宗教団体が所有する小山付近に今度はタラが群生する場所がある。もちろんワラビも沢山ある。妻はワラビ、ぼくはタラの芽を目をこらしてさがす。

 あった!あった!。タラの芽を他の人にとられるまえに採取するのははじめてだ。

 ログに帰って妻が仕込んでおいたざるそばをほうばる。

 帰りの支度をし、午後1時過ぎログを後にする。

 途中、琵琶湖を一周か、長距離走っているらしい自転車のグループや個人をよく目にする。しかしヘルメットをかぶっている人が少ないのが気になる。おそらく最近はじめた人も多いのだろう。思い思いの着こなしで、普段着風あり、スポーツウェアあり、完全ロードウェアアあり、なかなか多種多様だ。 

 帰りも渋滞を覚悟したが、この5月4日は、まだ旅行に出る人の方が多いようで、161号線は、ぼくたちと反対方向が大渋滞。名神までの道もスイスイ。名神も障害なし。

 午後3時半には、尼崎インターを降りた。

 それから携帯にフロントフォーク取替え依頼していたサンワサイクルから完成の連絡が今日昼入っていたので、支払い費用4万円をサイフで確認し、マンビアンキを引き取りにサンワサイクルヘ行った。

 キレイにおさまっている。「うしこれでマイビアンキもまだ5,6年は大丈夫だ」と大きな気持ちになってしまう。ちょっとうれしい。

 明日は試運転にしようか。

2008年3月23日 (日)

ツーリズムクラブの高山・五箇山のツアー参加

080323  この22日、23日の2日間、ツーリングクラブ主催の旅企画を神戸新聞の広告で見て、まったく初めてのツアーだが、参加することにした。

 というのは、妻が旅に行きたくて、行きたくて仕方がないという感じで、衝動的に申し込みをしたのだ。

 価格は1泊2日で1万3千円。場所は高山、五箇山コース。たしかに安い。ただそれだけの理由はある。

 旅行会社間の価格競争ははげしいのだろう。しかし覚悟していたとはいえ、見学コースの指定、いわば買い物チェーンと提携しての企画だ。これはよくあるパターン。

 それから宿泊はアバホテル。去年か、京都で耐震問題で指摘された施設だ。それはいいとしてもアバホテル富山は問題が多い。朝食だけでなく、夕食もバイキング。部屋はタバコ臭い。壁が薄くとなりがまる聞こえ。どうも換気設備が十分でない。大浴場は、地域への還元とか言って、別棟にあるが、なんと着替えを入れるロッカーはなんと普通の職場にあるやつと同じ縦長のもの。ちょっと興ざめだ。どこかの払い下げではないかと思ってしまった。ちょっと客をばかにしていると思ってしまった。

 それに驚いたのは、エレベーター自体許容量に十分ではない。かなりの泊まり客に対して2基しかない。しかもエレベーター内に企業の宣伝画像を流している。これもいらない。

 あまり言いたくはないが、アバホテルの将来はきっとあぶない。

 080323_2

ちょっと文句ばかり書いてしまったが、弁明しておくと、添乗員さんはそれなりによく働いていたし、行ったところはそれぞれ見ごたえをあるところばかりだ。

 とくに五箇山、菅沼の合掌作り集落では、売店をやっていた人の話を聞いて、その村を維持するのはたいへんだなと思った。なにせ世界遺産に登録されたのだから、見に来る人には大変感動する。

 しかし今時、この茅葺の家を維持していくのは大変らしい。国と県の補助金がなければもうとっくに売り払っていたという。しかし内部へに補助は一切ないらしい。それにしても、9件の家が実際生活をしているのだが、四六時中観光客がやってくるのだから、プライバシーがたもてるのか心配だ。

 ただ最近住宅について勉強したことに、究極のエコ住宅の姿は、断熱材による無暖冷房住宅らしい。断熱材の研究が盛んにやられている。

 しかし五箇山の集落を見ると、過去のそれが実践されていたということを学ばされる。人口的な暖房、冷房にたよる建物のあり方、街のあり方が問われる。そんなことを学んだ。

080323_3 そして、富山に入って加賀百万石を作り上げた町の中で長町の武家屋敷跡はなかなかうかく保存されていて、まるで太秦映画村に迷い込んだような錯覚を感じるが、疎水がながれ、そのとおりにモダンな喫茶店などもある。なかなかいい感じだ。080323_4

富山はまた路面電車導入のモデル都市らしく、新しいなんとかいう列車が入っていて、マイカーをやめる人が増えているという話を添乗員さんがしていた。その部分について非常に共感した。

最後の方で行った金沢のガラス館は、なかなかきらびやかだった。ガラスの醤油さしを買った。

 参加された人たちは、同じように庶民ばかりだと思うが、50,60代の方が多く、若い女性のグループがその中にいたり、家族で参加もあった。

 バスは姫路組、三宮組など3台で行ったわけだが、オプションがやたら多く、つまり2日目の昼食、見学場所の入館料、などなどあり、結局13,000円と言っても、ないやかやで2万円はかかる。

 それなら最初から込みにして、2万円ぐらいの値段を提示するべきだと思う。だいち、そのためにいちいち添乗員が個別に希望を聞いて集金していくという姿はツアーとしてはスマートではない。添乗員もそういったところにエネルギーを費やしないといけないのはいかがなものか。

 まあ、ぼく自身旅行にはうるさいほうなのでつい自分で希望した旅行に文句を言っているが、もっとこうすれば気持ちのいい旅行になり、内容の濃い質の高いツアーをできるのにと思ってしまったのだ。 

 日ごろ仕事では、自分が企画の側にまわることが多いのでとても気になる。

 裏話だが、バスの移動が多いおかげで、持っていったレコードからCDにした音楽はみんな十分聞けた。それに今読んでる小説「また会う日まで」をほとんど読み終えた。

2008年3月16日 (日)

休日は神戸酒蔵めぐり

0803116  今日は定期的に企画している流れ星少年団のハイキングの実施がある。

 場所は神戸灘五郷に酒蔵郡だ。

 4年前に一度おこなったのだが、そのルメイクだ。

 春の気候がここちよい体感を生み出す今日だが、阪神「大石駅」下車し、最初の沢の鶴をめざす。

 10分ほどで記念館に到着した。バスで見学にきている団体もいた。

 解説のビデオを見たり、案内のおじさんの話を聞いたが、阪神大震災当時、会館が倒壊し、破損箇所を継ぎ足しながら、再建したという話は深いものがある。

 麹、杜氏などの言葉が新鮮だが、酒の製造工程の伝統はどこから生まれてきたのか、興味深深だ。

 ほどなく試飲になったが、2回飲んでしまった。あまさが心地よい。Photo

  そして甲南漬けの会館、神戸酒匠館、瀧鯉(木村酒造)と4件をまわった。神戸酒匠館では有料だが、500円で3種類の福寿の純米、純米吟醸、大吟醸を飲み比べ、あわせて豆腐もいただく。

 瀧鯉の木村酒造は、建物が大正時代そのままで、以前NHK連続テレビ小説でもロケ地の場面として放映されていたところだ。今でも機械だけに頼らず、手作業の部分を残している。

 などなどほどよい酔い心地の中で、帰路に向かう。ただし途中今津で下車し、「やまとの湯」に入る。この西宮の湯はひさしぶりだ。客もそこそこ着ている。

ここでも風呂に上がってから生ビールで乾杯。ただいまだに親知らずと口の内側に肉の痛みがなおらない。

 080316 まあ、のどかな気分で今津駅から西宮北口、武庫之荘と阪急にのり、家に帰る。

 家のカリンの芽がまたよけいに大きくなっていた。

2008年1月14日 (月)

マイナス18℃体験スキー旅行の3日間

Photo 080112  

 11日(金)からの3日間は、ブログが更新できない状況におかれた。

 つまり職場の慰安旅行で、スキー組として、北海道余市のキロロに行ったのだが、マウンテンというゾーンの宿泊場所は、部屋にインターネット接続の線が通っていない。

 せっかくノートパソコンを持っていったが、役に立たなかった。ただデジカメで写したデータ取り込みだけは可能であった。

 もう一つの方法として、電子手帳でも無線phsでインターネットが繋がるようになっているので、試みたが、アンテナが不可になる。自分の接続端末は、京セラのPHSだが、どうもアンテナ環境は、どこでもというわけにはいかないようだ。

 それでこの3日間は音信不通でありました。

 さて、スキー旅行のことだが、まず雪質は予想どおり上質であり、快適なすべりができた。第一、本土では考えられないが、リフトに行くまで、スキーをはいて歩くが、「キュッ、キュッ、キュッ」という音がする。そして手のひらに乗せると、すぐ風で小麦粉のように飛んでいく。

 ただし、今回寒波のど真ん中であるらしく、頂上での温度の案内は何とマイナス18℃とアナウンスしている。それにかなり強い風が吹いている。

 スキーを滑って、だんだん寒くなるというのははじめての体験だ。ただロシアに留学していた経験のある新人Wさんは、もっと寒いというから、まあまあ驚いてもいられない。

 ところで、このゲレンデスキーというスポーツを自転車スポーツとどう関連づけるかというと、ダウンヒルのスピード感に似ているということだ。だから、下りに体感を、このスキーで学ぶということは考えられる、そんなことを自転車の関連の本で書いてあった。それで僕自身もスキーを続けてきたふしがある。

 それはそれとして、スキー板がカービングが主流になって、ターンが非常に難しくなくたった。その分中高年の年齢の人は曲がりすぎて怪我をするということが増えているそうだ。

 スキーのおもしろさは、さっき言ったスピード感と、変化にとんだ雪の坂の上を、その状態に応じて滑り方をかえることでクリアーすることではないかと、ちょっと上達してきて思う。初心者、初級者への講習では、そこまで教えない。ぼくはそうだった。

 また人によっても滑り方は違う。これが一番というものはない。それがまたいい。

Photo_2

 ところでこのスキー場では、夕方5時半から、これは週1回かもしれないが、土曜日の夜にゲレンデで花火をあげてくれる。50本ぐらいだろうと思うが、次々に真っ白な雪のゲレンデにライトアップした中で、真っ暗に空に向かって花火を打ち上げていった。

 なかなkロマンチックであり、レストランはそのためライトを落としてくれてなかなかいい。080112_2

 結局到着した日(1月11日)から帰る日(13日)までの3日間滑りきった。

 ところで今回特に感じたが、遠距離自転車通勤の効用として、スキーをしたときに疲れと、足の筋肉痛が他人に比べておそらく少ないということだ。

 とくに太ももの筋肉はスキーでもよく使うともう一人の先輩が言っていたが、むしろ連続通勤で走っているときの方がきついかもしれない。

 スピード力のある顔みしりにあって、ついていこうとしたときなどテキメンだ。

 まあそれでも旅行というものは、寝床が変わるし、日ごろ一緒に暮らしていないものどうし同室になるし、今回は国内といっても結構移動時間があるし、精神的にも肉体的にも、まったく疲れないということは言えない。Photo_3

 しかし、最近は毎年のように北海道に行く機会があるが、やはり北海道はいい。夏もいい。冬もいい。

 今回撮影に失敗したが、行き、帰りの移動バスから眺める景色すらあきない。

 帰りはちょうど夕方キロロから新千歳空港へ向かうバスの人であったが、西に沈む夕日が、確か羊蹄山にかかり、幻想的で、3日間の疲れをいたわってくれているような錯覚を感じた。

 同じ日本であっても北海道や沖縄は別格だ。まだまだ知らない日本はそれ以外にもたくさんあるが、それなりに日本のよさを再認識できる3日間だった。

2007年8月13日 (月)

ようやくのお盆休暇に突入

 妻とのお盆休みの連続での休暇日程の一致がなかなかできない。ぼくはすでに11日土曜日から完全6日間の休みに入るが、妻は職業がら(保育士)、連続の休暇はとりにくい。それでちょっとでも合う日程を生かそうと、11日妻が午前の仕事を終えて帰ってきてから、琵琶湖ログハウスを目指すことに決定した。

 しかし、11日午後になっても待てど暮らせど妻はなかなか帰ってこない。2男、3男はその間、この夜から長野での野外コンサートめざして、キャンプする予定らしく、家の8人用大型デントをはじめ、キャンプ道具をそろえている。

 」「まあ出発が夕方になってもいいや」と気持ちをおちつけ、テレビを見ていた。午後4時まえようやく妻が帰宅。

 準備やらガソリンの補給やらで、出発は5時前になったが、ニュースによると、今日からどこもかしこも高速道路が帰省ラッシュで渋滞30kmとか報道されていたので、時間がずれてちょうどいいかと名神尼崎ランプから京都にむけてアクセルを踏む。

 昨日までの暑さと仕事の緊張から解放され、気分は最高。道路もずっと空いている。FM大阪の「イタリアンレストラン・アバンティ」を聞きながら、時速90km/hでできるだけキープしながら、京都東出口をめざす。

 今日の目的の80%は、高島町の山奥にある畑地区の棚田を見ること。というのは去年秋に同じ場所を訪れたが、ちょうど稲刈りをした後で丸坊主状態だったからだ。

 069 070

時間は現地についたのだ、午後6時半近くであったため、日が沈む前間一髪だったが、満足、満足!

 しずかな夕暮れの棚田を見学できた。ただ日が暮れかかった時間に行ったものだから、地元のおじいさんが不審そうな顔でこちらに向かってきそうに見える。

 写真もとってそそすさとそこを跡にした。072 琵琶湖の方にもどる途中の夕日がなんともいえずシャッターを押した。畑をすぐ下りたところに和風のシャレた店があり、ピザが食べられるらしいので立ち寄った。

 すでに午後7時で店じまいの最中らしい。中にはいって自家製パンを買って、話を聞いたが、1年前に田舎ぐらしで、そこ地に来たということ。まるで「人生の楽園」のモデルだ。やはり別の番組で何本か取材を受けたと奥さんが話していた。もともと東大阪市に住んでいたというから驚いた。この金曜日、その東大阪の医院に集金にいたところだった。

 そのあと一路、今津のスーパー平和堂ヘ。夕食と朝食の材料と、ビールを買い込んだ。レジのあと無料の氷をもらえる場所があり、そこには「一人2袋までにおねがいします」と書いてあるのにやたら袋につめているおじさんにさえぎられ、なかなか次の番にならない。どこでもこういうあさましい人がいるものだ。「ああ、いやだ、いやだ」

 もうすでに8時を回っているが、食事をする前にどうしても温泉に行きたいので、スーパーで買ったおのぎりを一つづつ妻とたべ、白谷温泉「八王子荘」にむかう。

 いつも通るメタセコイヤ並木があいにく真っ暗だったが、まっすぐに続いていて何回来ても気持ちがいい。

 八王子荘は、もともと古い温泉で、宿泊施設とともに古い建物で、温泉場は床がぼろぼろ、料金も350円と、とてもリーズナブルなところだったが、最近改築したらしい。新しくなっていた。しかし料金は500円と抑えてるのが気に入った。なかに入る前に玄関に20待ちでお願いしますという案内を張っていたが、リニューアルして客の増えたのだろう。

 しかし、この時間中はそんな様子ではなく、受付で聞いてみると、もっと前の時間のものらしし。ただ「入浴は9時までですのでそれまでにお願いします」とコメントされた。でも8時20分ぐらいだったので、まだ余裕はある。

 まあこの日は、出発が遅れた分、すべて計画どおりスケジュールをこなせた。

 そのあとログハウスにつくと5月から誰も着ていない状況で、駐車スペースのところまで1m以上の高さに雑草がびっしり生えている。こんなスチュエーションははじめてだ。とにかく強引にその中をバックで入っていく。まあ雪のときとは違い、雑草を踏み倒して入れた。

 満開の星を眺めながら、遅い夕食に舌鼓した。平井 堅のCDを2本聞きながら至極のときをすごす。

 074 翌日12日は、午前7時起床。妻が翌日仕事なので、なるべく早く帰る予定にしていたが、「昼でもいいよ」ということなので、ログハウス周辺の草刈となる。草刈機はぼくの所有物。

というのは従来のものが故障したので、ぼくが買ってきたのだ。一時はいちいち家にもってかえっていたが、そこでしか使わないので、置いていっている。

 ところがなかなかエンジンがかからない。一応使用後はタンクの混合ガソリンを抜いておくものだが、だいぶ長いこと使っていなかったので、エンジンが乾燥しているらしく、点火しないのだ。何回も手動のロープをひっぱる。

 あきらめかけたとき、草刈機を逆さにしたり向きを変えたり動かしてみると、燃料がうまくまわったらしく、始動成功!

 約2時間かけ、3分の2は借り上げた。しかしこれは予想以上に疲れた。なにせ長袖の上下に帽子をかぶり、結構太くなった幹の雑草もたくさんあり、力が入った。おかげでそのあと、右手がなにもしないでも親指が震える状態になった。

 帰りは直行がベターだが、白髭神社ちかくに地元の食材を生産者の名前を入れて販売している「うかわファーム」という店があり、その裏の傾斜地がみごとな棚田であることが、もともと気になっていて、うかわファームで買い物するついでに裏の棚田を歩いて上ってみた。077

 棚田と裏山と琵琶湖の湖面と雄大な雲のただよう空と、棚田の間を通る湖西線の線路と、なんともいえない風景だ。湖側では、たくさんの旅行者が水泳やマリンスポーツを楽しんでいた。

 家に帰るまであまりにもスムーズにことが運ぶので、午後2時半には家につけるかと思ったが、さすがはこのお盆の連休。名神高速道路は、大山崎から西宮まで40kmの渋滞という電工表示が出ている。

 まあそれでも1時間遅れの3時45分ごろ帰宅することができた。

 琵琶湖での人数は少なかったが、炎天下を走っていた自転車族はやはり気になった。

2007年5月22日 (火)

11年前の家族6人琵琶湖サイクリングの思い出

 思い起こせば約12年前家族全員で車に6台の自転車と6人を乗せ、琵琶湖を目指した。長男中学1年生、次男、三男小学5年生、長女2年生、そして妻と僕。

Cimg0466  一周は2泊3日で到達する計画だった。ちょっと強引かと思ったが、家族旅行の思い出の中でももっとも感慨ぶかいベスト3だろう。

 Cimg0469_2 一日目は、琵琶湖の着いたのが、昼をずっと過ぎていたので、すぐマイアミ浜でキャンプ。

左の写真は、2日目の出発の瞬間だ。

ここからが長くなんと80kmあまりを一機に走ることになる。次のキャンプ地に着いたのは午後7時を回っていて、湖西知内浜キャンプ場は満員。Cimg0468

 それで当然空いていたトイレの裏の空き地にテントを張った。

これがなかなか楽しくて、朝暖かい風とともに目を覚ましたのが、忘れられない思いでだ。

 3日目は旧道を琵琶湖畔ぞいに走り、夕方なんとかゴールの琵琶湖タワーに到着。今はなき、まだあるか?観覧車下の店で夕食をとり、みんなで無事ゴールを祝った。今思い起こせば一番小さい長女はしんどかっただろうと思う。でもよくがんばった。Cimg0467

 やはり僕にとって家族はかけがえがない。今は子どもたちはみんな20代になった。自慢じゃないが、全員外国長期体験者だ。長女はもうすぐ一度帰国するが、今のオーストラリア・タスマニアで大学に通っている。

 この時の体験が今の彼らに影響しているとしたら、自転車の長距離旅行ってほんとうに役に立っているのではないかと自負している。

 そして僕自身もまた通勤自転車6年という結果につながっている。

2006年11月 5日 (日)

心の洗濯へ、琵琶湖ログ日記

 昨日の警察への出頭であるが、9時半に家を出て、10時5分前に尼崎南署に到着。面談のHさんと会う。事故係も部屋へ通され、調書のようなものに書くため、もう一度事故現場の地図でHさんの質問に対し、返答する。被害者の女性は、どうも足の一部がバスの下敷きになったかもしれず、脊椎と骨盤、骨盤と大たい骨がはぜれてしまっていたということ。体を救急用のベッドにのせる時など、措置が悪いと、体の内部の動脈を切る可能性があり、かなり危険であったらしい。

 ぼくの証言も重要な要素になるが、それぞれの不注意はあるということで、文書作成に同意し、警察を後にした。Hさんの話では事故の目撃者の申し出る人は、なかなかいないらいい。今回もぼく一人となった。ただ道路自体の問題点、歩道の直進とクルマの左折が同時に信号でおこなわれれることの問題点は指摘しておいた。

 Dsc00012_1 さて、昨日夜から今日まで、通いなれた奥琵琶湖、今津のログハウスに妻と出かけた。今回はテレビ放映で見た「鶴瓶の家族に乾杯」の高島町、針江地区での疎水を家庭に利用した様子を見たくて、そこを探しにいった。

 4日の夜はぼくの職場の会議が長引いた関係で、出発は7時45分ごろ。しかし夜は車が少ないので、現地まで1時間50分ぐらいで到着した。9月に来てから1ヶ月半ぶりだが、夜はちょっと寒く、ストーブをつけた。ビールで乾杯。平井 堅と小野リサのCDを流し、満月の空に感激しながら、夜長を過ごす。

 朝は8時過ぎに起きて、洗面、トイレを済ませ、ゆっくり食事をした。ログ近くの田んぼの稲刈り後に伸びた田んぼを眺めながら、コーヒーを飲み、トーストと野菜を食べる。至極のときである。そこにおなかが茶色で、羽が青い小鳥がこちらを向いて近くにとまった。たぶんシジュウカラじゃないかと思う。そのあと掃除機で掃除や自転車の整備、昨日うかつにも境界線のレンガの中のはまったクルマを何とか動けるようにし、10時過ぎにやっと針江に向かうため、自転車2台をクルマにつんで出かけた。

 Dsc00001_2                                                       クルマは風車の森(道の駅)に止め、自転車を出して、それにまたがり、広い田んぼばかりの農道と自転車歩行者専用道路をとおり、目的地を探す。妻が地図から「かばた館」にまず行かないというので針江についていたが、そこを探した。しかしここはただの食堂だった。また針江にもどってどうも湧き水があるという寺 に向かう。そのそばのとうふ屋さんで豆腐を買う。Dsc00005 そこの娘さんの話を聞くと、最近いろんな番組や新聞の取材があるらしい。また「かばた館」は愛想が悪く、地域の案内はしてくれないと苦情を言っていた。

 そこからその集落内を散策。どのDsc00004_2家も道の端を流れる疎水から自分の家にたまりをつくり、そこで野菜を洗ったりしてるらしい。残飯は、そのたまりに飼っている鯉にたべてもらうらしい。ぼくたちが散策しているときちょうど川ざらえというか村の人総出で、その作業をしていて、テレビの取材らしい人も密着で、同じように川に入る服装をして着いていっていた。

 Dsc00006_4 あと川島酒造というとこで原酒を買う。ここは鶴瓶の番組に出たところかと思って入ってみたが、どうも後から考えると違うらしい。ご主人にもそのことを質問してみたが、もうひとつはっきりしない。しかし近々別の番組の放映があるらいい。

 しかし目的の探索は達成した。ぼくは折りたたみ自転車での移動だったが、風邪がなおっていないせいでちょっと疲れた。妻も疲れたらしい。ログに帰って昼寝。目を覚ましてかえるまえに抹茶のアイスをテラスから田んぼを見ながら食べる。

 午後3時半に現地を後にした。帰りは、やはり連休の最後の日の道路状況で湖西から名神に入るまでかなりの渋滞だった。しかし比良近くの山並みと空の夕焼けと琵琶湖の眺めがなんともいえない絶景だった。

2006年10月 8日 (日)

快晴の山歩き。摩耶山からハーブ園へ

 今日は地域流れ星少年団父母会の例会、つまり山歩き。集まったのは、青年3人を入れて10人だった。

 JR立花駅に集合し、六甲道駅までいく。都合よくみんな集合時間にあつまり、9時4分で予定より少し早い電車に乗れた。六甲道駅について、摩耶ケーブル下駅行きに乗る。ポピュラーコースの「六甲ケーブル下」行きもあって、その待合にはたくさん人が並んでいので並ばないといけないかなと思ったが、よく停留所を確認すると別の18番乗り場で誰も待っていない。「このコースは穴場かも」と思った。

 予定どおり摩耶ケーブルに行く事ができたが、駅に着くまでの勾配はかなりのもので、バスが急坂をバックしてしまうのではないかと思うほど急なのぼりだ。しかし空は晴天。気持ちがよい。Dsc00002_2

 ケーブルを降りるとさらにロープウェイが山頂まで続いているが、ぼくたちは、旧天上寺への道を歩くことにした。うっそうとした森の中を歩いていく。途中320段の階段を上ると、昭和61年に消失した天上寺の後が残っている。昔の人々は、道路もない中を、木材を運びこの寺を建てたのだろうと昔を偲ぶ。しかし昭和の時代さすがにこの地に寺を再建することはできなくて、摩耶山頂の北側、道路に近い場所に新たに寺を建てた。ただこの場所に建てたわけはそこからの眺めをみれば納得する。下界の景色が大阪から神戸まで素晴らしい眺望の場所にある。まるで空に浮いているようだ。

 さてそこからさらに登りのシングル道を通って、摩耶山山頂に着く。阪神大震災のときはもっと荒廃していたが、今見違えるようになり、経営にあたる阪神電車の六甲観光の目玉にしている。夜くると100万ドルの夜景が見ものだ。

 そこから予想外の時間がかかったが、アップダウンの山道を歩く。そこは天狗道といって、かなり岩場が多く足元が悪い場所である。登りのときはしんどさを体感するだけだが、下りはそれはないが、ちょっと恐怖感も持ち、足の筋肉を疲れさせる。

とくに今回も50代の年齢が多いので、ちょっと心配だったが、終わりよければすべてよしで何とかこなせた。Dsc00010_1 途中休憩でみんなで食べたイギリス発のチョコレートがやけにうまい。笑いの宝庫わが「おやじーず」メンバーのTさんの話に腹をかかえて笑う。先日の演奏のときの司会でもメンバー紹介のとき、2人の紹介の後、自分の紹介で「おやじーずのハンカチ王子こと、Tです」と言って、すかさずハンカチを出して顔をぬぐうとかなりうけて笑いがドォーと起こった。ハイキングでもムードメーカーだ。

 摩耶山から1時間半かかって布引ハーブ園に到着。12時45分になっていた。とにかく山の中から神戸の香りとハーブの匂いがただようお城のようなこの施設。早速昼食に入った。強い風が気になるが、やけにのりで巻いたおにぎりがうまい。今回、いつものカセットバーナーを使って沸かした湯で作るコーヒーではなく、ポットに入れてきた湯で作ったコーDsc00013ヒーだったが、ちょうど10人分計ったように足りて、それなりにうまかった。

 そのあとハーブガイドの企画にみんなで参加した。ハーブ園内に植わっている数多くの種類のハーブを触ってにおったり、指導員の女性が摘んでくれた葉を食べてみたりした。レモンバームはまさしくレモンのかおり、カレーなんとか?はふしぎにカレーの匂いがする。こ一時間があっという間にすぎた。

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 そのあとハーブ園から降りられるロープウェイを使い、異人館のある北野町に向かう。「北野クラブ」という高級クラブがあり、結婚式が隣でおこなわれていた。その後異人館がたちならぶ通りを歩き、昨日と今日北野坂界隈でおこなわれている「神戸ジャズストリート」を外から味わおうと会場をさがす。おもな店と教会で名だたるジャズプレーヤーが一同に演奏をおこなっている。以前ぼくもそれを聞きたくてチケットを買って教会の会場にはいったことがあるが、その時のデキシージャズの調べが忘れられなくて、そこを帰りの道にくんだ。

 残念だがら今回はゆっくり見る時間も組めないし、値段も1日4000円以上するので、その香りだけを味わった。Dsc00019 しかし、ストリートでブルースを演奏する若者たちの音を聞くことができた。

 人通りをぬって、阪神三宮に到着。今度は、昨日も言ったが、尼崎の「蓬莱湯」に向かった。今日はもちろん湯を楽しんだが、この施設の待合場所で、生ビールとその他の飲み物で一服。今日は若いご主人が番台にいたので、この風呂の運営のことでいろいろ会話をした。聞けば、もともと温泉を掘り当てる前は昭和6年から銭湯として運営してきたとのこと。ここは先々代から営業しているのだろう。

 さてあとの話でちょっとおもしろかったが、そこから阪神「センタープール前」の駅前バス停に行ったが、時刻表を見ると、なんとこの街中で日曜日は、バスは1時間に1本。結局30分以上そこで待つjことにしたが、ぼくも案内の責任上手持ち無沙汰なので、ちかくのローソンで酒とおつまみを買ってきた。そのバス停は路上宴会場と化してしまった。

 そしてやっと午後6時4分に1分遅れで入ってきたバスに乗り込むがほとんど貸切状態。ほろよい気分でもよりの駅に着いた。

2006年9月24日 (日)

流れ星少年団能勢川キャンプ

 昨日、今日とわが地域で活動している「流れ星少年団」の秋のキャンプをおこなった。キャンプといっても、指導員の青年、学生、中、小学生たちは、集団遊びが中心。親は、それをバックアップしながらゆっくりと時間を過ごす。

 Photo_55 キャンプ場は、宿泊施設と教会が併設したキリスト教の教団の施設。ただ父母の一人で医者のUさんの患者を通して借りれることができる。去年に続き、2回目だ。地域からクルマで便乗して1時間足らずとアクセスには便利だし、そのわりには、能勢という地域の入り口でほとんど田舎モード。施設のまわりは、広葉樹がたくさん生い茂り、自然そのもの。いまだにツクツクボウシ(セミ)がないている。

 夜は、子ども達の提案でなぜかキモダメシ~?。

 その施設の電気を全部消して、二人の女の子がおばけ役になり、2人一組ぐらいでその中に入っていく。ぼくは、親では男一人だけということもあって、トップバッターとして、一人だけで入っていった。

Photo_54  しかしこの程度の肝試しは怖さを感じなく、なんなくクリアーした。なにせ自慢ではないが、以前マウンテンバイクでサイクリング中、能勢付近から、武田尾というところに下り、家に帰るには、廃線跡を通り、トンネルを7箇所取らないといけなかった。しかたなく懐中電灯なしで真っ暗な中を、しかも枕木が残り、ガタガタの道のトンネル内を越えていったことがある。さすがに肝を冷やしたが、覚悟を決めるといけるものだ。またあえて書かないが、もっとビックリすることに遭遇したことがある。これはかなり恐怖に対する訓練になった。

 そんなことだが、怖い話は終わって、とにかく自由時間は1日目、2日目ともふんだんにあり、大人の男性はぼく一人ということを幸いして、去年そこにピアノがあったのを覚えていたので、2時間以上練習できた。こんど10月4日は、集会で「おやじーズ」として演奏の機会がある。その演目の検討と、ピアノ曲「アベマリア」を練習してみた。これはなかなかいい曲だ。

 2日間自転車には乗っていないが、ちょうど風邪の兆候が出だして、のどが痛いし、疲れがあるのでこの休息はちょうどいい。このキャンプへ移動する途中、レーサーパンツとヘルメット姿のサイクリニストをたくさん見た。自分と比べてどうかなとか、あいつの格好はヘルメットがしっくりかぶっていないなとか見ていないようでチェックしている自分が怖い。

 よく考えてみると先週の置く琵琶湖ログハウスに続き、郊外への旅行の機会が続いている。これは結果としていいことだろう。

 明日は休みを取っているので、スーパー銭湯にいこう!

2006年9月18日 (月)

台風、でも旅行

 16日夜10時過ぎ、予定の会議を終えてあわてて琵琶湖に向けて、妻を乗せ出発した。目的地はもちろん奥琵琶湖、今津のログハウス。先日中央自動車道路で深夜の21台衝突事故かあっただけにクルマでの高速道路移動はちょっと気が引けたが、なにせ夜深くの出発だけにやむをえない。

 名神高速道路は案外トラックは少なかったし、湖西道路もそんなにとばすクルマもなく、約2時間あまりで現地に着いた。しばし乾杯。平井 堅の「ケンズバアー」を効きながら、いい気持ちになり、寝たのは1時半だった。

 17日は昼前に帰るつもりだった。しかし、ゆっくり朝飯をたべ、先日近江今津駅においてきた折りたたみ自転車を取りにいったりして、午前10時を回っていた。それで「ちょっとそこまでサイクリングしよか」と妻と出かけた。自転車は4台あって、実際長い事ほったらかしのため、つたがからまって、とても使えそうにないような状態だが、つたのからまりを取り払って、なんとか動く2台を選んで、どこへ行くあてもなく、出かけた。

 しかし、いつも行く箱館山の方角と反対のマキノの方へ、161号線の側道が続いてそうなので、そのほうへいった。途中温泉つき分譲地というのが見えて、前から気になっていたので、ちょっと立ち寄り、そのまま進むと、見覚えのある小さなトンネルが見えてきた。

 Dsc00142 「あれ、ここくぐったらそのさきセコイヤ並木やで!」と思わず叫ぶ。じゃあそこまで行くかとペダルを踏むと、緩やかなのぼり坂だが、「美しい街道100選」のマキノメタセコイヤ並木が見えてきた。一度自転車で通ってみたかったので、今日それが実現できるとは思わなくて感激した。そこは道の駅のような施設があり、入ったがぶどうがりなどで、この日は人が多く、にぎわっている。横のレストランで食事をすることにしたが、メニューはバイキングランチかバーベキューしかない。しかたがないのいで1人前2000円の分を1つ注文し、銀河高原ビールと生ビールを1つづつ注文した。しかし追加で野菜1皿と生ビール1本を注文し、飲みきる。

 えらいこっちゃ! またまたえらいことで、今日昼に帰るつもりだったが、このまま帰ると飲酒運転になる。相談し、ログに帰って台風情報をよく聞いて、今日帰ったほうが無難なら深夜に帰るとして、それ以外ならもう一泊とまることにした。

 雲行きがあやしくなってきて、1時ごろログへ帰ることにしたが、帰りはゆるいくだり坂が続くので、走りやすい。しかし、こんな普通の自転車(俗に言うッママチャリ)でもすぐれものだ。クルマには替えがたい魅力がある。とにかく行きたいと思いついたことろに自由にいけちゃう。それも自分の足で。とくにこんな郊外はほとんど人が歩いていないので、走りやすい。あらためて、そのよさを知った。ログに帰ってから、もう一台のパンク車を修理したが、これが以外と早く完了した。ぼくはなぜかこのパンクj修理が苦手。ただ天気が悪いので、建物の中で作業したこと、下が無垢の木の床なので、チューブを置きやすかったのが幸いした。家でも作業環境を考えてみよう。Dsc00143 Dsc00138

 夜は自前のバーベキュー。その前にマキノの「さらさ」という温泉に入湯。近くにキャンプ場があるので、そのキャンパーの若い子ども連れ家族が多い。600円で入れるのでまずまず低価格だ。ただしすべて循環湯になっている。近くには由緒ある「白谷温泉」があるが、今日はここにした。外に出ても台風の影響はまだない。

 バーベキューは2人だけなので、七輪に網を乗せ、少し台風の雨と風がする中をベランダの軒下で食べる。近くでとってきたミョウガも焼くと食べられる。マキノで買ったなすびも上手い。貝つきのホタテも上手い。ビールと無添加ワインも上手い。これでテレビと縁を切って2日を過ごした。

 3日目今日は早く帰る予定。しかし後片付けと、大型掃除機の中のゴミをほかそうとして大塊に度肝を抜かれて、処理したりすると、ログを出たのは10時半。今日の帰りお目当てがあって、前にテレビで日本の風景100選とかで選ばれた「畑の棚田」というとことが紹介されていて、それが今津から近い高島町というところにあるらしいので探すことにした。どこらへんか分からず帰り道その高島町の161号線ぞいに「道の駅」が新しく完成しているのを発見。この観光案内所で聞いてみるとすぐ教えてくれた。それからここの道の駅はコンビニもあるが、地元を名産と野菜をいっぱい売っていたのは好感がもてた。そこでさばずしも買った。

 Dsc00145 さて棚田は、すごい急斜面にたくさん作られている。農民の苦労が偲ばれる。付近で農家の年配のおとうさん同士のんびり談笑していた。琵琶湖も山深くに日本の原風景がいぱいある。それを一つ発見できただけでもよかった。その畑の山からクルマで下りたきて、近くのふもとの小川のほとりでさば寿司を広げた。のんびりできた。