最近のトラックバック

2009年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト

オンライン状態

無料ブログはココログ

通勤自転車利用者


-天気予報コム-

2009年8月30日 (日)

歴史は動いた!!!

003   日が変わって、30日。まるで山登りを終えた後の休日のようだ。

 午前中は、マンションので掃除当番最終日で、妻と作業をし、その勢いでマイハウスの庭の剪定と蔓の剪定に熱が入る。

 作業を終えて、思い立ってすぐ一人でスーパー銭湯「やまとの湯」尼崎に向かう。 

 やはり気持ちいい。今日は投票日。夜の開票が楽しみな日だ。帰りに豆コウ房でコーヒー豆を2種類500gを買う。ちょっとリッチな気分だ。

 家に帰って、妻といっしょに近くの小学校に投票に行く。

 まさに今日は歴史的な選挙だ。それはひしひしと感じつつ、投票用紙に向かう。最高裁判所審査はすべてペケにした。投票所を出たところに朝日新聞の腕章をまいた女性が出口調査をしていた。ぼくたちは声をかけられなかた。

 午後からは、換気扇のヒィルター交換、熱帯魚水槽の水替え、ベンジャミンの鉢の交換などなど、うろうろしていた。

 夕食は妻の当番で、先の風呂に入り、出たあと少しピアノを触る。というのは来週日曜日、おやじーずで出演の予定がある。

 「あの素晴らしい愛をもう一度」「レスペラード」。

 約10分のワンポイント練習で終わる。

 さて、今ブログをうちながら、テレビ「開票速報」を見ている。今回これほどおもしろい報道はないかもしれない。予想を超えて、自民、公明の候補者の落選が出てきた。わが尼崎も願いがかなった。公明、冬柴の落選は学会神話をどこかへ行った。

 実は午後6時ごろ、妻に電話が入り、西宮市職員らしい学会員が支持依頼ともとれる内容のことを言ってきた。おそらく指令が出たのだろう。そのときから危ないことが、彼らの側も思ったのだろう。

 まさに歴史的瞬間だ。関が原の天下分け目の戦い、明治維新の江戸幕府の崩壊など歴史の主人公になる勢力があり、退く勢力のパワーの喪失は、加速度的になるのはいつの時代も変わりないと思う。

 それは民主党の戦力というより、いかに変革を望む人が多いか、いかに政治が閉塞してるかということだろう。

 まさに今日はツール・ド・フランスを上回る興奮と、現実のドラマだ。

2009年6月 8日 (月)

共産党、志位さんがやってきた

003  今日は共産党の志位委員長の街頭演説があるというので、仲間の行って、終わってから軽く食事の飲む会をすることにしていたので、電車通勤とした。

 朝の通勤時は、JR東西線、海老江駅を降りると、72段の階段を登るのを日課にしているが、今日は同時に自分を入れて3人だけが階段を使った。

 だんだん慣れてきて、最上段を過ぎても心拍の乱れもない。まあこういうもんかと自負する。

 昨日も書いたが、なまじ楽な手段を求める必要もない。

 仕事は比較的予定のない日だが、ちょっと深刻な話もあった。

 今昼休みは、食事の後、定番の喫茶キャビンでいつも読書しているが、今派遣村村長、湯浅誠さんたちも共著「派遣村」を読んでいる。結構深刻なテーマだが、引きづりこまれる。

 午後の仕事も終え、5時のチャイムとともに仲間とすぐ退出する。街頭演説は、5時30分からだ。

 なんば高島屋百貨店前の宣伝カーがとまり、まもなく演説会ははじまった。ただ、もともと向かいのビルのビッグモニターから映像とともに大きな音楽がなっているので、必ずしも条件のいい場所ではない。

 やがて志位委員長が現れた。テレビでみるより生はスマートに見える。

 トヨタ、キャノンなどの派遣労働の実態を告発していたが、今やルールなき資本主義からさらに、残り少ない良識の法律も小泉内閣以後、ズタズタにされて、無法な資本主義のような状況が今だという。

 ただし、アメリカ大統領が、プラハでおこなった核廃絶演説は歴史的なものと評価し、オバマに書簡を送り、返事が帰ってきたのも共産党としては歴史的事件だとも言っていた。

 いまや日本の政権が社会保障でも、環境対策でも、核兵器への態度でも世界から送れてしまった感がある。

 総選挙は9月までには必ずある。少なくとも現在の政権は代わるべきだろう。民主党は高速道路無料化を主張しているが、かならず実現してほしい。

 日本のこれからの政治、経済はおもしろくなるような気がしてきた。

 うちの朝顔3本もいよいよ花を開いてきた。

2009年5月 1日 (金)

May Dayにさわやかな風が通る

001  不思議なものでメーデー(5月1日)になると、過ごしやすいというか、新緑と風がさわやかだ。

 自分の団体では、職場ごとメーデーに参加し、仕事は休日となる。

 今年は、偽装請負や日雇い派遣など、社会的に問題になってきて、新しい労働組合もたくさん生まれているようだ。

 会場の大阪、扇町公園では、緊迫感とうよりも、のどかな雰囲気で参加者はわきあいあいに久しぶりで出会った人と話に花が咲いている様子が各地であり、登壇の発言者の話を聞いていない場合も多い。

 昨日琵琶湖一周をやり終えたあとで、しかも落車したことがわざわいし、打撲した左手の手のひらから腕の付け根までが腫上がり、痛い。足の疲労は不思議なものでなんともない。

 6時間以上、ペダルを踏み続けたわりには、問題ないようだ。ただ落車したとき、異常な足の踏ん張りをしたようで、右ふくらはぎがキンキンに固まったようになったが、それもどうもない。

 落車したのは湖西の安曇川南付近だが、それから約1時間よく最後まで走れたなと自分でも驚く。

002  集会は、10時半ごろ終了し、デモに移ったが、今日は金曜日なので、デモンストレーションには絶好の日だ。街を歩く人も多い。

「軍事費削って、医療にまわせ!福祉にまわせ!」「消費税引き上げ反対!」など結構今は響くスローガンだ。

 しかし、今というか今日というか豚インフルエンザの広がりがだんだん深刻になってきている。

 このメーデー会場などウイルスには絶好の感染場所なので、どんなものかと思ったが、まだそれほど緊迫感はない。 

 手洗いとうがいは、問題がおこる前から習慣としてやっているが、今日はそのメーデーから帰って、買い物から帰ってと、何回のうがいした。手洗いは左手が痛いので辛い。

 デモ解散後、職場の3つの団体で懇親会に加わったが、ビールと紹興酒の繰り返しに、帰りの電車の中で熟睡しかけ、家に帰って熟睡し、夜まで酒の酔いの影響を受けた。

 まあ、いよいよ明日から本格的に5日間休みに入る。ただ腕のダメージで自転車に乗れないかもしれない。

 まあ、休養あるのみだ。

2009年4月24日 (金)

今日は週末、OM9条の会学習会参加

001  今日はやっと週末という感覚だ。それだけ今週も必死で働いた感ありだ。

 自転車通勤も休むことなく、続けてきた。

 それで今日は、参加しているOM9条の会で春の学習企画「どうなる日本経済」に参加、というより運営側で出かけた。

 会場は、堺筋本町にある民医連大阪の会議室をすべて仕切りをとって利用する。

 200人以上の医薬品、医療機器メーカー、卸などの社員が、参加した。

 ぼくの参加での重要な仕事は、講演が始まる前の余興として、石川さゆりの名曲、津軽海峡冬景色を替え歌にし、「医療崩壊冬景色」という曲目に替えて歌うのだが、そのギター伴奏だ。

 ほとんどぶっつけ本番の演奏だが、まあまあウケタようだ。

 002

さて講演のほうは、演奏が終わってほっとして聞いたのだが、演者は山家悠紀夫(ヤンベユキオ)さん。

 「どうなる日本経済」という表題だ。

 おどろいたのは、日本の対外純資産は250兆円、世界第一位というのだ。

 それに比べアメリカ合衆国は302兆円の債務。つまりアメリカの借金だかなりの部分を日本のものであることになる。

 しかし国内では、格差社会がますます顕在化し、将来への不安と、今日の生活に直接こまっている人がたくさんいる。反対にどんどん金を蓄えている金持ち族もかなりいる。

 政治のやり方によっては、国民全体が安心して暮らせる可能性があるという。具体的には、今取り立たされている総選挙で、われわれがそれを実行する党や勢力に政権をとってもらうことが一番の課題ともいっていた。

 今の経済の悪化に悲観しているばかりでなく、ある意味希望があることを教えてもらった。ただ今の麻生首相の追加経済対策については、中途半端と明確に批判していた。

 ある意味出口が見える話を聞いて、さわやかな気分で、帰りの地下鉄、阪急電車を利用した。

 

2009年3月21日 (土)

再び高速道路料金値下げのやり方に物申す!

Photo 昨日朝日放送「報道ステーション」を見ていて、高速道路料金値下げに関し、すでに明石、鳴門大橋で1,000円化が実施されたニュースが報道されていた。

 インタビューでは、喜びの声を取り上げていた。

 コメンテーターの五十嵐さんは、自分はETCをつけていないそうだが、「これで多くの人が喜ぶことはいいことだ。しかし、なぜET搭載車だけにかぎるのか、すべて利用に同等にするべきだ。本来高速道路の料金は目的を達すれば無料にするのが原則だと思う」と発言されていた。

 ぼくはあもりにも驚き、そんな意見は一切ないのかと思っていたが、おおやけの場で発言されていたので、さっそく新聞の番組欄から朝日放送に電話を入れた。あいにく時間外で留守電扱いだったが。「ぼくは五十嵐さんの意見を支持する」とだけ名前を名乗って留守電に入れた。

 ただ進行の古館氏のいうことは振るわない。現金利用者の値下げ恩恵なしということには一言も応えず、また高速道路無料化は現実的でないと思うが、というようなコメントだ。

 まったくさえない。

 自分に意見はどうなのか。歯切れが悪い。

 とにかく今回の制度は、高速道路低価格化へ進んだのだ、そこには落とし穴が3つぐらいある。一つは、ETCに限っていること。これは企業と結託しるとしか思えない。さらに本来の高速道路のあるべき姿、つまり無料化するということには逆の既成事実を与えている。というのはすべての車がETCをつけると無料化をもししたときにその機械が無駄になる。利用者はおこるだろう。その点現金決算がほとんどなら何の問題ない。

 もう一つは、これだけエコがさけばれていながら、自動車の利用を誘導してしまっている。「1,000円から旅行は車で」ということになる。

 まあ今と比べと格段に交通費が安くつくわけだから、目先の比較ではたしかに助かる。しかしかしそれでいいのだろうか。

 とにかく、現金利用者にも1,000円化するべきだ。多少の差なら納得もするだろう。しかし遠くへいけば行くほど大変な差別になる。つまりETCを強制しているとしか思えない。

 賛同の方はコメントください。

 もう一つは、

2008年10月30日 (木)

通勤を電車に切り替えて、また人身事故が。

Lo_207  連日の肉体労働で疲れがたまっているため、今日は大事をとって電車通勤に切り替えた。

 のんびりと駅までの道を歩いて、いざJR立花駅の階段を上がっていったまではよかったが、どうも騒々しく、改札前で人がたまっている。

 アナウンスに耳をすまして聞いてみると、駅名はわからなかったが、どうも人身事故で電車が大幅におくれていて、阪急、阪神への振り替えを案内していた。

「またかよ」という感じで、いやになってしまったが、冷静に考えないとどうしようもない。

 阪急「武庫之荘」まで歩くことにした。しかし歩いていくのは30分ほどかかる。機転を利かして、この駅のバイパスにあるバス停から武庫之荘までバスが出ていることを思い出し、そのバス停に行った。

 ちょうど次の駅の「塚口」駅行きが来たので、飛び乗る。もう満員だったが、なんとか15分ほどで駅に到着。

 臨時急行がすぐ来て、梅田まで行く。しかしすでに20分ほど通常より遅れていた。携帯で、そこから延着の連絡を入れた。

 それで気分は落ちついて地下鉄四ツ橋線まで移動し、そのまま進む。

 しかし、電車に切り替えた日に限って人身事故かその他のトラブルに見舞われる。

 前にも書いたが、いまや頻繁に事故があるということだろう。乗客は僕以外は、なれっこになっている雰囲気がある。

 それでも地下鉄の西梅田までの通路では、走っている人が多い。

 帰りは、何もなかった。その方が不思議に感じるからちょっと異常だ。

 やはりぼくには自転車がいい。

 ただ人身事故、つまり飛び込み自殺に慣れっこになってしまうなんて異常な世の中だ。老人を使い捨てにするような政治、青年の未来に希望をもてないような政治、うつ病になる人が増えている社会、まさに今はそういうことではないだろうか。

 もっと世の中の動きに敏感にならないと。交通事故とその死亡事故や、飛び込み自殺に絶対に麻痺してはいけない。あたりまえの現象ではない。

 夜家にかえる道すがら、おばあさんとそのお孫さんらしい2,3才ぐらいの二人に子どもが、習ったばかりの童謡を歌いながらいっしょに踊って歩いているのを見て、ほっとする。

 子どもたちは天真爛漫で生まれてきて、好奇心いっぱいに日々を送っているのだろう。

 そんな子どもの心は失いたくないものだ。

2007年7月13日 (金)

参議院選挙公示。政治の流れは変わるか?

 昨日は、参議院選挙が公示されて、大阪、梅田に共産党の志位委員長が演説するというので、帰りがけに聞きにいった。6時半から始まって、約1時間ぐらいの内容だが、聴衆は50代以上の人が大半だ。

 今回の選挙は年金問題や、格差問題、平和と戦争の問題など、課題は多いが、何といっても、小泉政権以後問題がエスカレートし、勝ち組がますますのさばる政治、アメリカ言いたい放題の政治の流れを変えれるかどうかだと僕は思う。つまり自公政権がおおきく交代することを望みたいが、残念ながら、野党どうしは、自党の正しさを主張するばかりで、この大事な時期に野党が団結するという可能性がない。それがはがゆい。

 失政には明確な判断を下す。それが本当の近代民主主義の国のあり方だと思うが、自転車政策と同じように日本はまだまだ送れているように思う。大きくは政局は動かないのが今までの現実だ。

 歩道橋の上から演説を聞いていて思ったが、下を走る自動車のそばで自転車がときどき走っているのが目に付くが、以上な危険運転をしているのに驚く。進路を逆走している自転車、信号無視の自転車、自動車の右側を走る自転車などなど。交通整理のために警官がいるがまったく注意もない。

 この辺の車と自転車はこういった状況が日常茶飯事でなれているとしか思えない。演説中別のことが気になってしまった。

 演説が終わって、自分自身が自転車に乗って、この梅田を走るわけだが、福島まで移動する道も非常に怖さを感じた。今日の使用はランドナーだが、今日は以外と追い風が多く、走りやすい。それでも梅田近辺は自動車がわがもの顔というか、あまりの多さと無謀運転で辟易する。

 さて今日は、マンションの駐車設備の塗装で、自分たちの自動車は、外へ出さないといけないので、ついでに職場まで乗っていった。あいにく雨のため行きは、渋滞の連続。あわや遅刻寸前の8時56分に職場に着いた。ただし僕は絶対時計を見ない。あせりすぎて危険運転ぎりぎりになることを恐れるからだ。遅刻する覚悟でマイペースを保つ。しかし職場に近づくと遅刻しそうな予感がし、というのはCDを家からかえていたが、それは今日はジョン・レノンのものだが、何回も聞いていて、約40分で終わることがわかっているので、最後の曲がかかったとき「やばい!」と思ってしまい、フロントガラスの上に時計を見てしまい、8時54分。ああもうだめかと思ったが、一機にアクセルを踏み、信号待ちなしで、約2分で職場に着いた。

 今日の夜の用事は、OM九条の会での世話人会だ。近況報告の中で一人の人が、民主党の議員も憲法改正を主張しているが、戦争のことでは、9条を守るべきという演説が増えているという話があった。九条の会が全国で500以上結成されているらしいが、思想を超えて、かなりの人が、日本の平和を維持していくことの大切さを思いはじめていることの現れとも考えられる。

 今戦われているツールド・フランスも平和であればこそ維持できると僕は話した。

 自分で話して、「ああ、そうなんだ」と思ってしまった。昨日の放映でもひまわり畑を集団が通過するスチュエーションが見事だったが、これは平和の象徴だ。

2007年5月24日 (木)

環境の危機は回避できるか

 今これを書き込もうと思って、テレビを見ながら電車手帳を開いていると、NHK「クローアップ現在」で地球環境への対策を訴える環境学者レスターブラウン博士の話があった。

 環境改善のグローバル化の時代は終わって、博士の提唱するプランB、つまりエネルギーのローカル化というキーワードを打ち出していた。南米や中東の石油に世界が頼る現在のありかたから、脱却し、それぞれの国が地熱、風力、太陽光などその開発によって、石油エネルギーを転換し、結果的に地球環境の悪化をおさえていくというものだ。

 実際デンマークではエネルギーの20%を風力で供給しているし、それより注目したのは、オランダは、働く人の4人に1人が自転車通勤しているというのだ。

 これはすごいぞ!

 これこそもっとも効果絶大ではないだろうか。というのは必然的に車が減る。化石エネルギーの使用は減
る。国民の健康度が高まる。事故も減る。

 こういった取り組みが世界の多くの国が実行すると本当に地球環境の悪化を抑えることができるような気がしてきた。いい話だった。

 しかし日本への期待も語られ、太陽光やその他の技術革新を日本がリードできる立場にあるとも話された。アメリカに追随して憲法9条を改悪して、戦争の国になっているときではない。外国と戦争して軍事産業を援助しているときなのか、ということだ。

 ジョンレノンのイマジンは歌っている。「想像してごらん。もしも世界に国境がなかったら、平和な中で暮らしているだろうI

 ぼくは想像する。道路という道路は自転車と歩行者しか通っていないことを。自動車はあっても恥ずかしそうに専用地下道を走っていく。地上には出てこない。地点、地点のターミナルで地上に駐車して、運転手はそこから自転車か歩行者に変わる。

 自動車をエンジンを燃やすためのエネルギーはどれだけ減るだろう。バイオエネルギーを代替えする必要もなくなるだろう。

 そんな社会が未来にやってこないだろうか。今より不健康な人はどれだけ減るだろう。犯罪者も減るのではないだろうか。

 課題評価しすぎ!と言われそうだが、レスターブラウン博士はこうも言っていた。「革命、改革は一夜にしておこることもある。現代はそういう時代だ」

 すいません。今日体調悪く、電車で通勤し、午後から家に帰ってきたので出来事はありません。しかし今日のクローアップ現代は衝撃的だったので書き込みました。

 

2007年4月20日 (金)

OM九条の会、「なぜ今国民投票法か」緊急学習会

 仕事はある程度一段落的気持ちだが、なぜか体は疲れている。それに今日は夜の集会で歌を披露しないといけないので、通勤は電車、おまけにギターと譜面立てをもっていくため、家からJR立花までの約13分を担いであるいていった。これがよけいに疲れた。ぼくにとっては自転車で通勤するほうが慣れていて楽だ。

 おまけに電車は、JR尼崎に行くまでの間、異常に徐行運転。よけい疲れる。結局連絡のJR尼崎駅で大阪行きがすぐ来ていなくて、いつもより遅れたので、連動して、地下鉄、西梅田駅では、座るため次の電車を待つ余裕もなく、全行程、座れたのは、地下鉄、本町から難波の2駅だけだった。

 仕事は余裕なくなんとかこなして、夕方4時半には、集会会場の民医連事務所にY君と向かった。ところが、6時半の開会までの間、事前に送っておいた「千の風にのって」の自前のテープを流すということで、それが流れたが、はずかしいやら、自分としての未完成部分がこれでもか、これでもかと再確認する感じで辛い。

 集会は2人の報告と講演があったが、その真ん中でいよいよ歌の披露ということになった。なにせ200人以上がびっしり入っているので、自分の出番前は少しあせった。

 本番は、意外と人の顔が見えるぐらい落ち着いているのだが、それでもやはりあがってりるのだろう。ギターの押さえを若干まちがった。やはり余裕がなかったかもしれない。しかし歌っている最中は、ちょっと気持ちは乗っている。

 講演の方は、なにせ来場者が、医薬品や材料メーカーなど動員されてきた人がほとんどなので、前半日本国憲法のあるべき姿について述べられて、ちょっとおもたいかなと思ったが、後半講師の体験、他の引用などをまじえ、心に訴える内容が多く、よかった。

 また国民投票法案の問題点は、最低投票率がなく、いくら投票率が低くても改正に賛成が多ければ、それが民意となってしまう。公務員、教員は、投票までの間しばらく、授業でも憲法の話をすると、法律違反とみなされる。などその法案の問題点はよくわかった。

 それにしても210人ほどが集まったわけだから、大したものだ。日程的にも衆議院でその法案が可決されて、参議院で取り上げられる段階であるだけに、あまりにもタイムリーであった。

 一仕事終えた感想を胸に秘め、家路へと急いだ。

2007年3月16日 (金)

堀江孝文、君は反省しているのか?

 今日も夕方ある医院を訪問する予定があったので、着ていく服のこともあり、やむなく電車で通勤した。そのため通勤自転車に関することはかけない。ただし、今日帰りの電車の中で最新ビーパル(アウトドア雑誌)を読んでいると、中古自転車に長くのっているスイスの女性たちの記事があった。

 彼女らは、中学生や高校生時代から買ってもらった自転車に10年、20年乗っているのがざらにあるということだ。日本とはちがうなと関心してしまった。

 さて、よるの報道ステーションでは堀江孝文氏に対する地裁の判決が下って、2年6ヶ月の実刑が下された。それで、今日報道ステーションに生出演しているわけだが、被告人の彼を一流番組に出演させるのはどうかと思うが、その中での彼の発言を聞くと、「自分はやっていない」ということばかりが主張されて、ただ「あなたはどういう立場で仕事をしてきていたのか」という点では、一応肩書きは社長だがというようなことしか感じていない。

 株式に上場するぐらいの大きな企業の中で社長をしているのであれば、直接自分が犯罪を首謀していないとしても「おれは何の知らなかった」では済む問題ではないと思う。そういう点では30歳ということは別にして、本当の大人に成長していないとしかいえない。

 自分の立場の重大性がわかっていない。数人に従業員をしたがえた町工場の社長がどうにもならず自殺するという現実がある中で、あまりにも考えがあまい。

 彼をもちあげた前小泉首相や武部氏は連帯責任をとるべきだ。

 しかし、日本の大企業の無法ぶりにはあきれる。日本の商約束というか伝統的考えには、もうけは社会に返していくという理性がかってあったはずだが、今はそれがかけている。そればかりでなく戦争のできる日本を作ろうということまで考えているように見える。だから日本経団連の主張は、憲法改正に期待している。

 爆笑問題、大田光がいうように日本国憲法を世界遺産にするという考えはあながちばかなこととはいえない。本当に戦争の無い世界を目指すべきだ。

 ちょっと今週末の開放感でビールと日本酒とぶどう酒をのんでしまったため、ちょっとよっている。おゆるしを。

 とにかく自転車が自由にはしる社会は平和な社会でなければならないのだ~~~!

2007年3月 4日 (日)

おやじーずひさびさの演奏

 今日は日曜日。朝はやっと寝坊ができる。これはやはりかけがえのないチャンスだ。ただ今日は、午後1時半ごろ演奏に出かける。演奏といっても参加20人ほどの集会でのうたう会のようなもの。それでも6曲ぐらいの楽譜を探すのに苦労しているし、オーベーションギターの弦を張替え、胴体もきれいにしていった。

 朝はそれで、いつものテレビ番組は一通り見て、洗濯物をたたみ、ほし、その後昼からの演奏のための一人練習。きょうはいつものキーボードではなく、ギター1本の伴奏で、2人だけのボーカル。音響はなにも使わない。アナログの世界。会場もまちの集会場といった感じの場所だ。

 内容は共産党の地域後援会の総会。参加者は概して高齢者が多い。ただそこで挨拶におとづれた今回の統一地方選挙の県会議員候補は女性だが、前回の議員から交代して登場したSさん。ただ何が因果か、20年ほど前、子どもたち4人を入園させていたM保育園の保育士をしていて、次男、三男は担任の先生だった人だ。

 なんと選挙のチラシには、Sさんと彼女に抱かれた3歳ぐらいだった三男が写真に写っているではないか。

 演奏は、みんなで歌うための曲。早春賦や花「はるはなのみの・・・」など、と今ミリオンセラーの「千の風にのって」をリードしたが、どうも乗らないムード。会議の最初のほうでみんなリラックスしていないためか、選曲がまちがっていたのか。千の風にのっては、これはきっとおおきな声でもりあがるだろうと思ったがそうでもない。ちょっと拍子抜けの感ありだ。まあ場所の雰囲気にもよるか。

 しかし今の政治に対してはひとこと言いたい。昼から家に帰って家族が見ていたテレビ番組「たかじんなんとか」でも言っていたが、大企業ぼろもうけ、中小企業、庶民は格差社会の犠牲者という感じだし、地域では大型開発があきずおこなわれていたり、大型店舗がわがもの顔だ。僕の近辺でも西宮の球場跡、JR尼崎駅北空き地なども大型店舗や百貨店がはいるらしい。

 この建設に関しても本当に地元の景気にプラスになっているのだろうか。こういったことをストップさせるには、政党にすれば「わが党へ投票を」といういいチャンスだろうが。その前に、この前にも書いたようにあやしい公共事業、住民にとって不利益なことを、政党、イデオロギーにかかわらずやめさせる住民運動、示威行動をおこさないといけないのではなだろうか。

 「まず政党地図を変えるため投票に思いを託す」だけでは、消極的だ。今はあまりにもひどいことが堂々とおこなわれているし、とくに大企業の経営者の考え方が昔の人たちに比べ、近視眼的、めさきの儲けしか考えていないし、もうけをみんなに還元するというような考えがない。そのくせ環境問題では「わが社が積極的にとりくんでいます」というイメージつくりにいそがしい。

 大阪の中ノ島公会堂を作った人は当時の相場師で大金持ちになった人と聞いているが、その儲けからぼーんと資金を提供してあの公会堂ができた。その後事業に失敗して自殺するという不幸もあったが、明治、大正、昭和を通じて日本人の経営者の中に、伝統的に「人にために役立つ」という思想が受けつがれてきたのではないか。

 それが今もろくもなくなっている。ここに一番大きな問題があるのではないかと、今日の番組をみたり、「9.11と9条」の本を読んだりしながら思っている。

 だからこそもっと怒ろう。声をあげよう。

 ああ、いいたことを書いてしまった。ちょっと考えていることを整理して書き出せないが、もっと日本人はおこるべきだ。そして他人のことをもっと考えよう。宮沢賢治の思想でいこう。こまっている人に手をかそう。

 今日は手がはずむ。

 現実にもどって、夕方まじか折りたたみ自転車の後輪パンクの原因をさぐるべく、チューブをはずして、水を入れた洗面器で空気もれをしらべたが2回りしてもわからない。

 手術で原因がわからず開腹したおなかをまた閉じるように、わからないままタイヤをもとにもどした。それから空気をいっぱい入れ、試験的に自転車屋さんに用事があり、そこまで乗っていったが、帰りはまた空気が減っている。不思議だ。ああ不思議だ。

 しかたがないので、虫ゴム全体を替えて、空気を入れてほってある。そのあと息子が乗っていったが、今空気が減っているかどうか不明。

 それにしても今日の昼はぬくい。春らんまんだ。家の庭のすももが目をだしてきた。いつもは3月下旬に花を咲かせるが、この調子だと中旬に咲くのではないだろうか。

2006年9月25日 (月)

最近の悪質交通事故報道を見て

 昨日も今日も学生や、今日は歩道のない生活道路で保育園の児童の集団の中にクルマが突っ込み、2人の園児が死亡する事故の報道があった。

 それはよそ見運転ということだが、これは果たして特別な事故のケースなのだろうか。1年間に交通事故で死亡する人数はざっと7000人という報告があるが、1日に換算すると365日で割って毎日20日人ぐらいが死んでいることになる。それをできたらすべて報道してほしい。警察は出し惜しみをしているのではないか。死亡する事故で残酷でないものはないはずだ。

 全部報道するとしたら国民はどう考えれるだろうか。クルマを運転する人も、そうでない人もクルマを作り続けている自動車会社に批判が広がるのではないだろうか。あまりにもクルマというもののいい面だけをコマーシャルで流され、誰でも運転免許を持てば遠慮することなく乗れるものという感覚にならされすぎている。

 だから最近のように社会的タガがはずれてきている状況の中で、信号変わり目の強行突破自動車が多すぎるし、あまり注意する人はいない。緊急車が通行する場合の対処、狭い道路での譲りあいに対する挨拶、道路へ左から入ってくるクルマに対する譲りあい、信号のない交差点の真ん中、消防署前の斜線内にとまらない約束、それをきちんとできない運転手があまりにも多すぎる。

 また別に急ぐ必要がなくても変に先を急ごうとする態度。この社会状況をなんとかしたいと強く思う。

 とにかくクルマを減らすべきだ。必要性の少ない利用は控えてほしい。タバコに対する世界の生産会社がやっているように、クルマを買う人、使う人に「事故ではこんなにひどいことがありますよ。あなたはまかり間違えば、重大や加害者になりますよ」と正直に宣伝してほしい。

 いいたいことをちょっと言っちゃった。ところで今日は休みを取ったわけだが、読んでいる途中だった光文社文庫「ローカル線ひとり旅」(谷口 一己著書)を今日読み終えた。

 どうも日本は鉄道もクルマと同じ流れがあり、「急ごう、もっと急ごう」と誘導され、国民はその流れに巻き込まれてきたように感じた。国鉄からJRに代わったとき、経営を黒字にするという大目標でやったようだが、その成果があったり、駅にいろんな店ができたり、車両がバラエティーに飛んだものになったりしているが、利用者への本当のサービスはあとまわし、国鉄時代にあった人間的サービスは排除された。また特急中心、窓も空かない車両中止だ。

 だから駅弁のある駅はどんどん減り、食堂車も無くなってきた。ヨーロッパでは在来線を基本に早い電車を作ってきたことと比較すると、日本はどんどんまっすぐな新しい路線を作り、景観はよかろうが、悪かろうがトンネルばかりだろうが、目的地に早く着くことだけをめざし公共工事を繰り返してきた。鉄道そのものを楽しむ魅力を奪ってきている。やはり地方ローカル線をもっと大事にするべきだったのではないか。「それでは赤字になる」という主張はあるが、国の鉄道は黒字でないといけないのか。そうじゃなくもういちど国の鉄道にもどして、赤字であろうが、国民の生活、旅に貢献する魅力ある交通機関にすればいい。あの尼崎事故が象徴的だ。

 そんなことを本を読んで思った。それでも「青春18きっぷ」を使いこなすとかなり今でもしれなりの楽しい鉄道旅行がでいると書いてある。できればどこでも自転車をそのまま電車に乗せられるようにしてほしい。この夢は追い続けよう。

2006年8月29日 (火)

福岡の自動車事故に思う

 一昨日、福岡で市の職員22歳が、5人家族の自家用車に突っ込み、そのクルマが海に押し出され、子ども3人が死亡した事故が報道された。

 非常に残酷な事件だ。しかし、ここで考えてしまうのは、これが特異な事件かということだ。考えて見ると、1年に7000人の自動車死亡事故がおこっている。ざっと計算しても1日に日本のどこかで15人以上が死んでいる計算だ。そのなかには報道されないひき逃げや残酷な事故があるはずだが、どれだけの報道が行われているのか。

 長男の同級生も以前書いたが、5年ほど前バイク事故で突然亡くなった。おそらく報道などされていないだろう。

 今回の事故は残酷だし、飲酒運転だから報道されたというより、公務員がおこした事故ということで大きく報道されたのではないかと疑う。すると人々はさも珍しい事故がおこったように思ってしまうし、公務員がなんてことするんだと今公務員バッシングが多いだけに今回の事故もハイエナのようにそこばかりクローズアップする。報道にはあきらかに誘導があるように思う。

 また年間7000人も死んでいる道具を作っている自動車会社というものは責任が一切ないのかと思う。公害の発生にからんで、トヨタを訴えた訴訟はおこっている。そろそろ国も危険な運転手が必ずいることを考えて、スピードオンリーのクルマ製造を規制してはどうか。

 ちょっと無謀な主張かもしれないが、みんなクルマの事故になれっこになってはいけないと思う。存在自体が危険なのだ。運転する人はそのことを肝の命じるべきだ。

 

 さて話は変わって、今日は自分にとって週明け。自転車通勤できるスタートの日だ。今日は赤のウェアに黒のレーサーパンツで出かけた。Dsc00029

しかしこのウェアは心地いいはずだが、少し湿度が高いせいかちょっと不快な感じだ。ただやはり風を受けてペダルを回すのはなんとも言えず気持ちいい。

目だっている!クルマの渋滞をすり抜ける!電車の中のように周りの人を気にする必要がない!汗がべとつかない!時代を先取りしているような自己満足感

 それからついでに昨日、家の庭に実をつけた姫りんご(バレリーナ・ツナ)を全部もいで、ビンに入れ、果実酒にしてみた。最近落ちたやつを食べてみたが、すっぱい。酒ならおいしいかもしれない。

しばらくホウィトリカーにつけて、熟成されるのが楽しみだ。Dsc00031

2006年8月26日 (土)

ヒートアイランドについて考える

 今日は今週5日目の通勤自転車である。それで累計は160kmを走った。

 ところで、2日前テレビで「ヒートアイランド」と集中豪雨の因果関係について、東京を例にして説明していた。今日はとくにまた暑さがぶりかえし、信号待ちでふと考えると、自動車の横からかなり熱が出ているのにあらためて気がついた。1台の横でこの体感だ。まして道路自体も60℃以上に熱を帯びているらしい。僕が言いたいのは、自動車にはいろいろの害があると思うが、その熱についても真夏のころはヒートアイダンドを増幅する大きな要因ではないかと思うのだ。

 コンクリートの建物の連なり、土のない地面、少ない公園と緑。その環境の中で人々は、自分の家の中を冷やすためにエアコンのスイッチをONにし、そのおかげで、そのエアコンの室外機が熱風を吐き出す。ただこの量のことを考えるとせいぜい一軒に3台までだろう。しかしそれ以上に熱を吐き出しているものに自動車がある。大阪市内だけを考えてもいったい1日に何台の自動車がエンジンをかけて走っているのだろう。だからその都会の温度が年々上がるのは、室外機の数と自動車の数の増に比例しているのではないか。

 その点自転車は、なんの害もおよぼさない。自分の足と心肺をきたえながら遠距離を移動できる。これ以上のメリットの多い乗り物が他にあるだろうか。

 すこしまじめになってしまったが、これを書きながら自転車に乗るひとがもっともっと増えることを望みたい。必然的にみんなの心はより健全になり、自動車が減り、ヒートアイランド現象も減るだろう。

 ところで久しぶりに通勤中あぶない場面に遭遇した。行きのコースで新なにわ筋といってかなり車線の多い広い道路だが、御堂筋のように外側と内側をしきっている箇所がある。僕の前の車が左折しだし、狭い道路へ入ろうとしたが、同時にそこから個人タクシーのクルマが進入してこようとしていた。タクシーは出てこないと、その左折車は道にはいれないのだが、急にタクシーが外側の道路をとびこえて内側車線に入ってこようとした。こちらも内側車線を走っているので、考えようによっては、それ自体も危険かもしれないが、外側も駐車している車が多かったり危険箇所が多いので、そこは内側を走っている。

 そのタクシーからあきらかにこちらが見えているはずなのに僕の進行方向にあきらかにぶつかるような入り方である。僕は思いっきりどなった。おそらくその運転手には聞こえているはずだ。僕もその前から「ひょっとすると入ってくるぞ」と感覚的に察知していたので、上手く交わしたが、なれていないロードバイクなら確実にぶつかって飛ばされているかもしれない。下手なタクシー運転手が多すぎる。それはタクシーに限らないが。

2006年8月 9日 (水)

原爆投下の日に思う

 今日は長崎に原爆が投下されて61年目の記念日。自転車で通勤しながら、本当に暑いとつくづく思いペダルを踏む。こんな日に原爆を落とされたのだ。道路温度表示は1箇所目30度、2箇所目31度。道路は完全に昨日からのぬくもりをひきずっている。

 途中一人新顔の人が走っていたが、モンベルの青年、シマノの本格派の顔見知り2人に会った。道路は大分休暇をとっている人が増えてきているのか、尼崎を走っているときは車が少ない。しかし、大阪、歌島交差点にさしかかるといつもと同じだ。この交差点では、信号待ちしたくないと思った。まわりに日陰がぜんぜんない。3分はがまんしないといけない。腕や足にボトルの水をかけた。

 帰り福島区、阪神電鉄の野田阪神駅前で戦争反対の示威活動をしている姿があった。レセ・パセの映画でもドイツ占領に抵抗する人々の姿が描かれていたが、どんな戦争であっても一般市民がたくさん犠牲になることは変わらない。戦争したいものだけで、遠くの大地で戦えばいいと思う。

 帰り道、国道を離れ、普通の道に入ると、無灯火の自転車がいっぱいだ。こちらがサングラスをかけていて、8月にはいって7時をすぎた時間でかなり暗くなりかけているため、周りはかなり暗い。ひゅっと交差点で無灯火でまがってくる女性の自転車があった。もっとお互いの危険に注意する意識をもってほしい。命のたいせつさは戦争時代だけでなく、今のような平和な時代でももっと考えるべきだ。

2006年7月14日 (金)

トヨタのリコール隠し

 トヨタ自動車のリコール隠しが発覚した。いままでトヨタ自動車の故障いにくいという信頼性がステータスになっていた面はある。でもその真相の仲で99年以降に車は、それまでの欠陥を認知した上で、その部分を改良し、それ以前の欠陥を公表しなかったとしたら、「トヨタお前もか」としか言えない。

僕がその部分を想像するに、99年といえば今からも7年がたっているが、ユーザーはほとんど車を買い換えていて、急タイプは廃車になっているだろうというおごった考えかたがあったのではないかということだ。僕の自動車はニッサンだが、20年が経過していて、とくに問題はないのでよっぽど信頼できるといかいいようがない。僕から言わせれば、車はだぢじにのってつねに整備をおこたらなければ20年は充分乗れる。日本のモータリゼ^ション全体にユーザーも新車への乗り換えに走りすぎだ。もっと一度買った車を愛してほしい。ユーザーはばかにされている。しかも欠陥が原因で死亡事故にいたった事故がどれだけ今まであったのか、はかりしれない。

へんなたとえだが、トヨタは世界に目をむけ,,GMを抜いて世界一をめざしているようだが、大きな落とし穴があるのではないか。僕の行き着けの自動車整備屋の言わせると、ここ数年のトヨタの自動車の質は後退しているという。それだけ生産システムを拡大すると、技術人材の育成は追いつかないはずだ。それでも売り続けることを最優先のかんがえているとしたら先行きにきっと問題が拡大するだろう。

 戦国時代に例えると、豊臣秀吉と徳川家康の比較だ。秀吉は朝鮮まで領土を拡張とするあまり戦争は続き、家臣は苦労した。しかし家康は戦国時代に決別し、250年以上鎖国というあら事業はあるが、とにかくほとんど平和な社会を築いた。今の大阪の基礎はこの時代に繁栄している。秀吉は大阪の象徴のようにいう人もいるが、所詮名古屋の人間だ。トヨタも名古屋。同じ鉄をふんでほしくない。

しかし僕は自動車産業が産業全体をひっぱるような今の経済界はどうかと思う。ヨーロパの自動車会社は、、ほとんど元は自転車を製造していたと聞く。ここに日本文化との違いあるかもしれない。とにかく人間を優先させる取り組みができないのか。そこが言いたい。

2006年7月13日 (木)

車社会を問う

 昔まだ20歳そこそこのころ、車を持つ事を夢みていた。結婚して、当時ダイハツクオーレという軽自動車を買うため、パンフレットを手に入れ、何度も眺めていた。子どもが4人になってもこの自動車で遠出を何度もした。その時自動車を持つことはごく普通のできごとのように思っていた。通勤もそのついでに自動車で行ったこともある。

 しかしいつから気づいたのか、これは普通ではないと気づくようになった。時代の流れと、年を重ねて気づいたのかもしれない。車の悪弊を多く気づくようになった。渋滞にショッチュウ巻き込まれてイライラすることがいっぱいあった。そのうちスーローライフという言葉の意味を知るようになったり、自転車の魅力を知るようになると、車の害をいっぱい目に留まるようになった。ある日長男の友達が毛皮のアルバイドをしていてその展示会にさそわれて妻といっしょに行ったつい3日後ぐらいにその子がバイクを運転していて車と接触し死亡したと聞いてすごくショックだった。

 今の世の中、車の運転手は、自転車や、歩行者を優先に、気をつけて運転している人は非常の少ない。相手を死亡させても、死刑という罪には絶対ならない。町全体、道全体が車中心に作られている。人間がいちばん尊ばれなけれないけないのではないのか。車は生活道路では遠慮して運転するべきだ。

 たしかに今老人、体の弱い人には車はかかせなといえるだろう。しかし今の車自体はそういった人たちを中心には考えられていない。F1レースやその他のレースで試されずみのエンジンを開発して、どこまでも早く走る車をめざしている。老人にそういった車は必要ない。ヨーロッパの都市で先進的な交通網を考えている人は、町で走るすべての乗り物の最大スピードは30kmでよいと唱えているのを何かの本で読んだことがある。この速度は死亡事故を防いだり、町をもっと眺められるスピードなのだろう。一般市民が自転車で走る最大スピードがこの速さだ。

 僕はいくつかの自分の夢があるが、社会から今の自動車がほどんどなくなる世界を夢みている。「おまえはあほか」とあざ笑われそうだが、子どもたちはきっと安心して道路で遊ぶだろう。歩く人は今の道路を後ろを気にせずに歩いていけるだろう。早く目的地につけない。遠くへいけない。荷持をつめないと苦情をいう人もういるだろう。しかし50年ほど前まではみんなそうしていたのだ。そして他の交通機関をもう一度見直せばいい。自転車を利用して、もっとかっこがよくて早くはしれる自転車で道路を走ればいい。きっと交通事故死亡者は、1000人ぐらいになるだろう。

そう思いながら毎日走っている。