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-天気予報コム-

2011年2月28日 (月)

大工の一日、夜はピアノに向かう

020  今回3連休をもらった形だが、今日は、数か月前からあたためていた計画のベランダリニューアルに挑戦することに決めた。

 材料は昨日午前中に買ってきておいた杉材を使った。4m×90cmの板10枚かって2500円ぐらいという安さだ。

 朝8時50分ごろから、気持ちを集中して作業にかかる

 一応、電動ノコギリと電動ドリルは所有している。

  設計図はだいぶ前に作っていて、それにしたがって4mの板を切っていく。

 むむ、これはかなり短い時間でできあがるかと軽く考えたが、途中から窓を作ることを思いたち、そのための工作で時間を取られる。

 8割がた午前中にできた。

 ただ、ドアを作るのが、午後になった。

 ドアというのもなかなか手間取る。きっちり空間にはまるようにしないといけない。

 これにも手間取る。何回も端を切りなおす。カンナも使って最終の調整。

 蝶番は、自前で作って長い間ベランダの収納箱としておいていたものから拝借する。

 ただその箱(1.5m四方)を今回廃棄するため、解体することも作業の一つだ。

 なんとか午後3時過ぎ作業は佳境に入り、4時前に完成した。

 実は今日は雨を気にしながらの作業だったのだ。

 したがって塗装は後日に延期することにした。

 

 まあしかし予想を超える作品になった。

 これで西風はよけられるし、ベランダが広くなった。

 作業が終わって放心渋滞というか、温泉にいった後の疲れと似ていて、だるい疲労感が残った。

 結局この3日間はスキーに行って、交通科学館を見学して、工作をしてとまったく違うことをした3日間だった。

025 夕食を作り、妻が帰ってくるのを待つまで1時感ピアノに向かった

 満足、満足。

 僕は音楽中毒かもしれない。 

 楽器を弾き、歌をうたい、音楽を聞くことが1日でも途切れると精神的にはよくない。

 風呂はかならずFMラジオをつけている。

 音楽中毒、本中毒、テレビ中毒。最近はIT中毒。

 しかし一番の中毒は自転車かもしれない。

 明日は走るぞ!

 

2007年5月23日 (水)

自転車続けて15年

 昨日は、家族6人の琵琶湖一周旅行のことを書いたが、自転車とのつながりができたのは、今もかかわる流れ星少年団に参加してからだろう。子どもの大胆な遊びを親がかかわって実現しようと京都の同じような実践活動をしている「つくしクラブ」に習い、淡路島サイクリングを企画した。親も参加して、総勢30人ぐらいで淡路島を走ったが、そのための下見を2.3回したのがきっかけだ、

 されまでは中学生時代に当時の「サイクルスポーツ」を読んでいたのだが、大人になってからのスポーツ自転車の進化のことに遅れをとっていて、劣等感があったほどだ。

 しかし長男が小学校にあがって自転車に興味を持ち出してから、当時の子ども用変則自転車を拾ってきて改造した。その後次男、三男とつぎつぎ作ったことも関わりがかじまったきっかけだ。

 淡路島は当時、西宮に甲子園フェリーが24時間運営していて、いつでも淡路島の大磯に2時間ほどで行くことができたので、下見をかねて、5,6回一人で行ったような気がする。

 一度は、側道の溝に車輪を落とし、ケガをしたことがある。しかし、慶野松原の砂浜について、シャワーを浴びたときの気持ちよさは忘れられない。また同じところに1泊のつもりで来て、この慶野松原でキャンプしたことも忘れられない。

しかし明石大橋ができてからは、甲子園フェリーがなくなってしまい、かるく淡路島へいくことはできなくなった。

 その後は琵琶湖に目を転じて、2回琵琶湖センチュリーランに挑戦した。1回目は1000人中、250位ぐらいでゴールした。翌年は、ひたすら早い人の後ろについて800人中90位ぐらいだったが、そのとき計測のカードがこわれていて、正確にはわからない。

 その後このレースもなくなってしまった。

 もともと通勤自転車をはじめたのも、このレースで記録を伸ばすことが目的でもあったが、今は通勤自身が目的化しつあり、レースにはでていないが、ハワイのセンチュリーランには一度出てみたいと思う。乗鞍のヒルクライムのも出てみたいが、参加者が多すぎて申し込みではねられる。

 今の価値観はもっと広くて、交通体系事態に目が向いてきて、日本中で自転車専用道路が増えること、スポーツ自転車を使う人が増えることを夢みている。ヨーロッパのように自転車ロードレースが日本でもっと増えることを願う。

 さて今日の通勤はとくに変わったことはなかったが、昨日の疲れはかなりとれてきた。しかし道路温度は20度を超えている。ちょっと暑い。最近ペダルを回しているときに変な音がするのが気になる。
 ペダルのワックス不足か、ボトムブラケット(ペダルの車軸)が磨耗しているのか、何しろ40,000kmは、この自転車を買ってから走っているので、ちょっと心配だ。

 まあブログは書き出してから10ヶ月。多くの人が見てくれているようだ。自分の考えがいろんな人に見られているのは、インターネットのなせる業。いけるところまでいこう。読者のみなさん。よろしく。

2006年12月 9日 (土)

音楽バンドの一日

 きょうは休日。しかし、地域で障害者団体のクリスマス会に演奏をしにいくため、朝から曲目の練習、機材の用意であわただしく過ぎた。

 演奏は午後3時半だが、すでに午前11時のは現地に行った。現地といっても自宅マンションから歩いて5分程度。しかし早く行っていてよかった。会場は婦人センターというところできれいな建物だが、肝心のホールの音響設備は二流としかいえない。マイクはワイヤレス1本と有線マイク1本。これではわがバンド3人のボーカルマイクが足りない。

 しかたがないので、いつもうたごえ喫茶で使っているコンパクト音響セットを持ってくることにした。いつも会場に行ってみないと実際の状況はわからないものだ。Dsc00034_1

本番は、音量調整ができない状態だったが、数々の失敗の経験からうまくいった。今般障害者自立支援法というのができて、実際は障害者にとっては、負担が増え、ますます生活しにくくなっているのは最近よく言われる。しかし今日は参加者や介護する先生たちは、そこぬけの明るい。 

おかげで、僕たちの演奏にもよくノッテきた

 さて今日は雨が昼間も続き、会が終わり機材をもって帰るころも雨もよう。わが愛車プレーリーが役に立った。以前も話したとおり雨の日も地下駐車場に入れると、まったく雨にぬれずに家に入れる。Dsc00036

Dsc00037

 帰りは4時半になっていたが、5時からFM大阪の「アバンティ」を聞きながらゆっくり新聞を読んだり、あと米を買いにいく必要があったが、小型ラジオのイヤホンを耳につけて、それを聞きながら雨に歩道を歩いていくとなにかしっとり落ち着いた気分になれた。

2006年11月29日 (水)

プレーリー物語続編2

 昨日書いた風邪の症状は、かなり改善した。ただ今日職場に行ってたくさんの人から「だいじょいうですか」と心配されるついでに「ノロウィルス」と違う?といわれた。そして体験者の症状を聞いて見ると下痢、高熱、お腹が張る、痛むというところまでまるで一緒だ。ただ吐き気はない。

 普通3日が症状の引かない期間らしいが、僕は今のところすぐにM医院へ駆け込んだこともあって1日半で完治に向かっている。おかげで2日間ビール、酒を飲んでいない。またM医院に行くのもだいぶなれてきた。

 さて、プレーリーの3回目の危機だが、それは昨年次男と友達3人で深夜にプレーリーで行って、夜中を過ごしたあと朝方尼崎に戻ってくる2号線での出来事。完全に居眠り運転で中央分離帯に右前部ボディを激突。怪我はなかったが、タイヤがボディにからみつき動かなくなった。なんとか近くの警察署の駐車場に車を移動し、次男は帰ってから、どうしていいかわからず寝ていたが、妻が気づき、すぐ修理屋に連絡。JAFを呼んで、そこまで運んでもらった。

 後日その修理屋「勝本モーター」から連絡が入り、修理するのは不可能ではないが、20万円ぐらいはかかるということだ。なにせ車体がゆがむぐらいの衝撃はあったらしい。 しかし昨年のアクシデントを乗り越え、すでに15年間の思い入れがある。

 ええい、断腸の思いで修理を頼んだ。結局部品を取り寄せてもらったり、車体のゆがみをおぎなう対策をとってもらったりして、なんとも以前と遜色のないものによみがえった。実際13万円ぐらいかかったかもしれない。

 そんなこんな小さいものも入れると、かなり自動車内部はよみがえっている。ヒーターの温度がなかなか上がらなかった冬場、急速暖房が可能になった。エンジンのアイドリング時の異常な振動もこれを機会に調整してもらって直った。

 それから廃車というよりもこの車には不思議な事件もある。それは今年はじめだったと思うが、これも次男が原因。大阪なんばに夜中にプレーレーで友達と出かけて、それも朝その車で帰ろうとすると車が消えてなくなった。すぐ警察に届けたが、これはいよいよ外国にでも売り飛ばされたかと諦めかけていた翌日警察から連絡で、駐車違反の調査中に心斎橋の道路上で見つけたとのこと。次男が見にいったが、なにも物色されたあともいじられたあともない。

 いったいどうして車を移動させたのか、なぜその車をほかしていったのかまったくわからない。不思議な事件だ。

 さて4回目の危機は今年5月の車検の費用。この車にとって10回目の車検だが、見逃せない箇所を合わせると費用で20万円になるとの報告。躊躇はしたが、ある程度結論は早く決断した。車検を頼んだのだ。

 ええい!こうなったらこの車にとことんのるぞ! なかばやけくそだが、16年の歳月は重い。琵琶湖を家族全員で自転車を積んで一周したこと。上九色村(オーム真理教の本拠)などをキャンプで旅行した。上高地、唯一露天風呂のあるキャンプ場「合掌の森」にはじめて大型木綿テントをもっていき、夜中に着いて 炊事場横に無理やりテントを立てたこと。そのころいつも車の屋根に特性ケース(自家製)を乗せ、移動していた。

 つまり家族の思い出が染み付いている。子どもたちはみんな20代になってその車を運転しているが、小学生のころからその車に乗り、父の運転を見てきたのだ。こんなケースもめずらしいと思う。いきた教材ではないかと自負している。とにかく今住んでいる家より古いんだから。

 インパネには今はやりのナビゲータもETCもない。ただ音楽はすきだから、3年ほど前カーステレオをCD、MD対応に買い替えた。

 ただ言い訳しておくと僕がこの車に乗る回数はびっくりするほど少ない。だから子どもがすべて海外に行った1年間の間と冬場、あまり乗らないので、バッテリーが切れそうになったこともある。まあ、琵琶湖に行くときと、ホームセンターで重たい荷物をもって開けるときぐらいだろう。だからとても大事に乗る。燃料はハイオクを入れているが、そんなに負担に感じない。一応環境に迷惑にならないよう配慮している

プレーリー物語はここで終了。16年あるとエピソードはマダマダ山ほどある。思いついたらまた書いていきたい。

     

2006年11月28日 (火)

プレーリー物語続編

 昨日突然の風邪がぶり返した。今度は種類が違っていて、お腹、特に胃が刺し込む。下痢もともなう。昨日の昼休み、食事に出たが、出てきたおかずを見て急に食欲がなくなる。別に料理が悪いわけではない。

 だが、残すには悪いので全部無理して食べたが、それがいけなかったのか、デスクに戻るとだんだんお腹が張ってきて、2回トイレに行った。夕方は倉庫の応援に行ったが、途中で目の前が真っ白になりかけた。これは20代のころ、正月あけの出勤で駅まで急いで走ったとき目がくらんだ体験以来だ。夜もよりのM医院に行ったが、窓口で貸してもらった   体温計で熱を測るとなんと38度以上。急に風邪を自覚してきた。

 今これを書いている28日午後7時30分ころはだいぶマシだが、まだ完治はしていないようだ。

 さて一昨日に続きでわがプレーリーにまつわる話をしよう。この車は、前回言ったように所有して16年以上になった。走行距離は160,000Km。しかし順調にここまできたのではなかった。3度ほど廃車寸前ということになるアクシデントがある。普通の人ならそこで新車に買い換えているだろう。

 最初のアクシデントは12年ほど前、そのころ親交のあつかったHさん家族とスキーにいくことになったが、Hさん家族と我が家の子どもたちは先に宿舎に行っていて、妻と僕は夜に遅れて出かけた。目的の兵庫県温泉町の宿舎(宿舎といってもHさんの友人のもっている工事現場の家という感じ)へ登る坂にさしかかったとき、雪がいくぶん道路に積もっていたが、「まあ、チェーンなしでいけるだろう」と安易に考え、そののぼりをすすんでいたとき、急に前輪が動かなくなった。つまり雪がタイヤの間にたまり、じゃまをした。

 車を降りて見たとき、坂をゆっくり後ろにすべりだした。動転していて、うしろから突っ張ってとめようとしたが、間に合わず、運転側のドアを開けたままどんどん下がりだし、がけにドアをぶつける形で停車。この先どれぐらいで宿舎にたどりつけるのだろうかとものすごい不安にかられた。しかもあたりは真っ暗。

 しかたがないので、歩いてその坂を登っていったが、そんなに遠くではなかったので助かった。しかし運転席側ドアは蝶番を無理やりゆがめてしまい、帰りはドアがきちんとしまらないまま、紐で固定して帰った。ただこれは、無事修理できたので助かった。

 2回目は3年前か。今はオーストラリアの大学にいる長男が家に帰ってきているとき、野菜の納品のアルバイトをしていて、プレーリーを使っていたのだが、急に車がガ、ガ、といって停車動かなくなったらしい。当時ディーラーの修理工場にずっとお願いしていたが、そこの判断では、オートマが壊れているので、それごと変えないといけない。2~30万円は費用がかかるといわれ、これは廃車するしかないかと、そのとき同じ形状に車のパンフを物色したりしていたが、「ちょっとまてよ、念のためもう一件修理工場にあたってみよう」と、電話帳で探していると、ニッサン専門の修理工場が目にとまった。あたってくだけろだと電話し、さっそく車をもって行った。

 ベテランの整備士の人がとにかく一緒に近辺を乗ってみましょうということで近くを運転してみたが、どうもおかしいという顔をしていて、最初は前の修理工場の判断を考えていたようだが、とりあえず車を預けて見てもらうと、リアタイヤのゴムが一箇所磨耗していて、それが原因にまちがいないということだった。ここに見てもらってよかった。あかげで3万円払うだけでなおった。その後はこの修理屋さんをずっとお付き合いしている。

 ディーラーの修理工場は若い整備士が多く、技術がおとるわけではないだろうが、新しい車の修理が多いので、うちの車のようなケースを経験する機会がないのだろう。それに営業がすぐ連携していてこんな時は、すぐ新車の話を間断なくもってくる。一度そこの営業の人に説教したことがある。新車を売ることばかりを考えているからだ。

 長男も以前免許を持ち初めて、「家のプレーリー早く買い換えたら」といっていたが、オーストラリアで住むようになって、いかに向こうが中古のそれも日本の自動車がいっぱい走っているかを目の当たりにして、カルチャーショックをうけて、それ以後新車のことは言わなくなった。残りの家族5人とも彼のところに旅行に行ったときも、ぼろぼろのうちの車より古い日本のクラウンだと思うが、それに乗っていた。向こうでは、ない部品は、現地で作ってしまうらしい。それもそんなに高くない値段で。

 さて3回目は、昨年だが、ちょっと疲れてきたので明日また書くことにする。それから思い出したが、4回目が今年あった。それもいっしょに書いてみよう。

2006年11月26日 (日)

わが愛車プレーリー

                                                       Photo_1   今日は本当は、流れ星少年団父母会で紅葉見学山歩きにいくはずだったが、雨で中止にしたため、書くことがなくなってしまった。ただ今日起きるのが8時前にまってしまい、集合の9時には、1時間しかないのであわてていただけに、結果的に助かった。

 そこで、今日はもう15年以上大事にのっている自家用車プレーリーについて書きたい。もともと自動車そのものに批判的な考えなので矛盾していることはあるが、自分の自動車とのつきあいについて反省もこめて報告してみたい。

 そもそもプレーリーを所有したのは、車を買い始めて、4台目だ。最初は独身でまだ仕事について間がない24歳ごろ。職場の友人が乗っていたニッサンダットサンを2万円で購入したのが、結婚するちょっとまえの失敗。というのは、購入してすぐ車検になり20万円ほど払ってしまったこと。それに当時すでにだいぶ古いタイプで、車の中からゴキブリが発見されるというしろもの。

 当然すぐ廃車にし、結婚してしばらくして買ったのが、ダイハツクオーレ(軽自動車)。当時は、駐車場所についての認識も薄く、車庫証明も要らないので、団地の道路にずっと止めていた。それでも子どもが4人生まれてもしばらく家族6人乗って旅行に出たことも多々ある。名神高速道路の吹田の登り坂で急にスピードが落ちるのをはっきりと覚えている。しかし、2男、3男の双子が生まれてから車通勤をしていたが、送り迎えをよくこの車でおこなった。今考えると貴重な思い出だ。そして長男が小学校に上がるころまで9年間乗り続けた。

 次に買ったのが、スバルドミンゴと言って、形は軽のワンボックスに近いが、排気量は1200ccで4輪駆動、7人乗りだ。これはこれなりに最初は満足していて、毎年年末に出かけていた岡山県蒜山国民休暇村までのルートで、トンネルを出ると雪だったというところが実際あって、その道路を走るとき4駆の性能が威力を発揮した。

 ところが、この車なぜか愛称が悪いのか、1年もたたないとき、駐車場にいれていたとき、盗難にあってしまった。警察に届けを出し、しばらくして六甲山の芦有道路で岩にぶつかった状態で発見された。三田警察から現場まで行き、最初一応警察の人もいてくれたが、JAFに連絡しているからとほったらかしにされ、夜暗くなる7時ごろ約1時間その場所でまっていた。ときおり事故かと思って通る自動車から降りてきて「だいじょうぶですか」と親切に聞いてくる人もいたのがせめてもの救いだった。後日談として、犯人は見つかったが、当時19歳で常習犯らしい。警察で情状酌量の依頼を受けたが、今考えるともう少し厳しく対応するべきだったと思う。

 というようなわけで、その車は廃車にし、保険では全損といって、保険料全部もらえなかったが、修理見積もりで100万円かかるということで、保険がおりることになった。そのお金をもらえるかという前に、尼崎の国道2号線ぞい朝日オートセンターという中古車販売の大型店に冷やかしがてら行った(ここは今も営業している)のだが、そこでピ、ピ、ときたのが、今のプレーリーだ。もう一台三菱シャリオだったかライバル車もあったが、断然こちらだと思った。一発で商談成立。そのときの対応の店員の人も印象がよかったのが決める要素になったかも。

 なにがよかったかというと、年式は5年落ちだが、今まで狭い自動車ばかりになれていたので、天井の高さに驚いた。頭ひとつあまっている。横幅も今感じるよりずっと広い印象だった。それから8人乗りという定員。うちは6人なので、まだ2人余裕がある。また運転席側がフラットで横に移動が簡単。リアドアはスライド式で、中央の柱がなく、ドアを前とあリアをあけると丸秋になる。この発想は最近のステーションワゴンでリバイバルしている。ハンドルとオートマチックのレバーもハンドル合体型で新鮮だった。

 契約を済ませ、そのまま運転して帰ったような記憶があるが、とても大きな車に思えた。そのまま結果的には15年乗り続けている。この車に絡むエピソードは明日に「つづき」としたい。こうご期待。

2006年9月16日 (土)

これからホビー自転車を始めようと思っている人へ

 台風が来そうで、朝は雨。用心して今日は電車で行った。帰ってきて自転車に乗っていないのに足が筋肉痛。ふしぎだ。よく考えてみると昨日琵琶湖まで自転車を輪行して移動して階段を上ったりしたのと、夜中に次男がキャンプに行くということで、地下収納庫から長い事使っていない8人用木綿製小川テントを引き出してきたせいかもしれない。このテントは古い家型だが、雨が降れば降るほどテントはピンとはる優れものだ。

 さて職場の人もなんだか自転車をはじめたいように感じたので、ぼくなりの初心者へのアドバイスを書く。

 まずは自転車を大事に使うこと。とくに走っていて気になるのは、チェーンが錆びていて茶色になっていても平気で走っている人。まず油をさそう。特性の油はあるが、とりあえずホームセンターなどで売っている普通の自転車用油でもよい。見違えるようになる。そしてときどき使い捨て雑巾でチェーンの上から拭いていく。それはこびりついた泥をとる。

 これで走りはかなりスムーズになる。それから第2番目に気をつかうのはタイヤの空気圧。空気入れは必ずかっておこう。大体両手の親指で強く上から押してもほとんどへこまない感覚まで入れる。このほうがパンクしにくく、抜群に軽快に走れる。

 今日のアドバイスはここまで。何でというとこれから、今夕方7時前だが、少年団の父母会に行って、それからそれが終わって旅行に出る。時間がなくなってきた。続きは明日書こう。

 最後に昨日から2日連続で食べている夕食は、自分流特性カレー。これを紹介して終わる。Dsc00132

このカレーは季節の野菜いっぱい入れた。ナスビ、トマト、ニンジン、ジャガイモ、リンゴ、タマネギをいっぱい。それに昨日の他人丼の具があまっていたんので、それ。あとグリンピース。カレールーはジャワとハウスの2種類。

サラダは、キャベツ・人参・なすび・りんご・チーズをまぜ、米酢で合えた。ビールは季節限定「秋味」。 なかなかの味だ。

2006年7月22日 (土)

休日の活動 おやじーす

 もう一つの顔音楽グループ おやじーず

 ひさしぶりの土曜休日、しかし夕方は、僕が参加している音楽バンド「おやじーず」でいっしょに活動していたリーダー 山口泰徳さんが突然なくなって1年がすぎ、その1周年のあつまりがあった。われわれ同じバンドメンバーは追悼演奏をすることになったのだ。722_1 722_2

 それから僕達50代のうたごえ運動を知る人たちはよく知っているフォーク歌手 横井久美子さんがこの会にわざわざ出席されるということで演奏もしてもらった。722_3

やはりプロ歌手の生演奏を聞くのは、聞き応えがある。それにしてもその人のトータルの評価というのは、死んでみてはじめていろんなが集まり、いろんな印象が公開されるのだなと思った。

死んだ山口さんの人となりは、本当に多くの人の心に残っていて、人徳をもっていたのが今日70人もの参加者の数が物語っているのだが、われわれの暮らす尼崎の今の地域のいろんな人のつながりの深さがあることも、あらためて感じた集まりだった。

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